オウム真理教捜査への警察上部からの圧力

仙波敏郎元警察官が先日外国メディアとの会見で語った内容は下記のオウム事件の本に当てはめるとよくわかる。
警察を監督するために公安委員会がありますが形だけの組織。
警察内に監察というセクションがありますが、警察の不祥事を表に出さない為の組織。
女性職員に対するレ○プもあった。
ヤクザとの付き合いは共存共栄、もちろん全員では有りません。
拳銃を差し出してもらえば、代わりにヤクザの事件を見逃す。
やくざから上納金を取っている現職の刑事もいる。
彼らは言う、『自分たちは悪いことをしているが、幹部はもっと悪いことをしている。』




「オウム真理教がまだ、オウム神仙の会と呼ばれでいたころ、ある事件に関連して現地の警察に目を付けられていたことがあった。ところが、当局がいよいよ、麻原彰晃被告ら幹部から事憤聴取を行い、そのある事件に本格的な取り調べに入ろうとした矢先、なぜが、上の方からストップがかかったらしい。

『あのころ、オウムを摘発していれば、地下鉄サリンなど悲惨な事件を未然に防げたかも知れない』と


坂本事件をめぐるオウム真理教と暴力団を結ぶ捜査は着実に進展し、照準は絞られつつあったかに見えた。
ところが、坂本事件の捜査は突然、打ち切られてしまった。

「いよいよ、坂本事件の真相究明ができると張り切っていた矢先に、暴力団関与説を唱えていた幹部や捜査員が次々と、人事異動で捜査から外されたり、発言を封じられるようになったんだ。内部でつい、暴力団の話でもしようものなら、上司から『今さら何を言い出すんだ。あれはオウムに決まっているだろう』と一喝される始末だ」

「現場の捜査員の間では『暴力団を叩き演す絶好のチャンスなのに、どうして止めるんだ』との声が高かった。直属の上司は我々の話を理解してくれ、意見具申してくれたようだが、かなり上の方の考えらしく、どうにもならなかったらしい」

現場の捜査員たちからは、こうした不審や不満の声が漏れたが、上層部の方針は変わらなかった。

神奈川県警磯子署の坂本事件捜査本部は既に、昨年[1995]11月に解散している。打ち上げ式では、未だに「本当にあれでいいのかな」と漏らす捜査員もいたという。

これだけの有力情報がなぜ、封印されてしまったのであろうか。




http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061018

■日本の闇を探る?

闇に葬られた警察情報

オウム真理教の闇の部分に肉迫した貴重な本があります。
『オウム帝国の正体』(一橋文哉著)。
04151.jpg

ぜひ読んでいただきたいのですが、その重要な部分がWEB雑誌『憎まれ愚痴』38号に掲載されていましたので、少々長くなりますが、引用させていただきます。
第1章 伝説

女がひとり、泣いていた。


1983年。その女性は関東地方のある町で暮らしていた。

厳格で真面目な仕事人間である父親。優しく控えめな性格ながら、シンの強さを持っている母親。そんな典型的な中流家庭に育った女性は、地方都市ではよく見られるように、家柄や学歴、父親の職業に対する信頼度、地域社会における評価などから、学校や周囲の推薦もあって、その地方でも規律が厳しいことで知られる団体に就職した。父親がその団体の関係者であったことも影響したのは間違いない。

その団体は全国組織で、本拠地が東京にある。女性が勤めたのは、その県の中心都市にある本部であった。

職場では総務畑に属し、さまざまな事務処理を担当したほか、本部の上層部である上司の秘書的な仕事も任せられた。

明るく素直な性格や、スリムで都会的な容姿、のびのびと健康的な色気を感じさせる肢体は、圧倒的に男性が多い職場ではかなり目立ったようである。

元同僚の一人は、こう話す。

「とにかく明るくて、我々がからかうと、頬をポーッと染めるような純情な女の子でした。何一つ不自由なく育ったせいか、ややひ弱で、他人に甘えるところもありましたが、そこがまた可愛らしくて、『俗世間の荒波から守ってあげたい』と思わせるところがありましたね。男性からも女性からも“職場のマスコットガール”として、大変な人気でした」

数年後、職場の先輩からの紹介で同じ団体に勤める“明朗快活で前途有望な青年”と見合いし、半年程度の交際期間を経て婚約……という、これまた、お決まりの「幸せコース」を辿った。

すべてが順風満帆……のはずだった。そんな彼女に悲劇が襲いかかったのは、結婚式を数ヵ月後に控えた、ある蒸し暑い日のことであった。

女性はその日、東京から単身赴任中で、団体の上層部専用宿舎に1人で生活している上司のため、宿舎の清掃に出掛けた。

これは正規の業務ではないが、そうした上司のほとんどが単身赴任であるため、総務畑の女性職員が月に数回、交代で宿舎の清掃などを行うのが、長年の慣習となっていた。同僚の女性織員と一緒のケースが多いのだが、この日はたまたま、同僚に急用ができたこともあり、1人で宿舎に向かった。

この女性にとって、こうした雑用は貴重な休日を潰される難点はあったものの、必ずしも嫌な仕事ではなかったようだ。

彼女はある日、女友達の一人に、

「あの上司は男らしいし、仕事もできて尊敬できる人だから、(身辺の世話は)決して嫌じやないの。それに、私たちからすれば、雲の上の人みたいに近寄り難いエリートでしょう。その素顔を見ることは、他の人にはなかなかできない訳だから、楽しみなところもあるわ」

と語っている。

だが、そうした“密やかな期待”が、逆に警戒心を緩め、悲劇を生んだ。

女性が家事をしている最中に、その上司が突然、襲いかかってきたのである。

上司は団体内におけるポストはもちろんだが、社会的にも信頼される地位にあった。しかも、日頃の温厚で紳士的な言動、いかにも優秀なエリートといった感じの冷静沈着な仕事ぶりなどから、まさかそんな破廉恥行為に及ぶなどとは想像もできなかった。女性の心の油断を責めるのは、あまりにも酷い状況であった。

その男の妻が長期間にわたり重病を患っていたことも災いした。

不意をつかれた女性は最初、ショックで呆然としてしまい、「止めて下さい」と懇願するのが精一杯だった。それでも途中から必死に抵抗したが、女性の細腕ではどうにもならなかった。

それは決して不倫だとか、醜聞などではない。レイプというれっきとした犯罪行為であった。しかも、被害者は親子ほども年齢が離れた自分の部下で、フィアンセがいる女性なのだ。

女性は帰宅後、ずっと自分の部屋に閉じこもって泣き続け、事情を知らない家族を心配させた。

信頼していた上司に裏切られたショックや、婚約者に対する悔恨の情が女性の心を苛み、絶望の淵に追いやったことは想像に難くない。女性は誰にも相談できず、1人部屋の片隅で泣くしかなかったのだろう。

性はその“事件”の後、しばらく勤め先を休んだ。それを知った上司は自分の行為が発覚し、スキャンダルに発展することを恐れた。何どか女性と連絡を取り、謝罪するなど善後策を講じようとしたが、うまくいかなかった。

男は立場上あまり自由に行動できなかった。そうかと言って周囲に相談することもできず、焦り始めた。

そこで、本拠地の東京近辺にいる腹心を呼んで打ち明け、“事件”のもみ消しを依頼した。

腹心が何をしたのかは分からない。が、女性は数日間休んだだけで、その後は何事もなかったかのように出勤し、前にも増して熱心に仕事を続けた。

ただ、私生活の面は大きく変わった。

明るく爽やかな笑顔は消え、口数も滅った。あまりの激変ぶりに、同僚らは心配して理由を尋ねたり励ましたりしたが、女性は何も語らなかった。

しぱらくして、女性は結婚相手の青年に理由を一切告げないまま、一方的に婚約を解消した。

そして何と、いつの間にか、その上司の愛人となっていたのである。

最初は男の方が女性を無理に呼び出し、関係を続けていたが、そのうち、女性も男の指示に従うようになったようだ。

2人の関係は密かに続けられた。周囲に悟られないように、女性が深夜や休日にこっそり宿舎を訪れたり、東京などに出張した際、都内のホテルで会うようにした。

翌年、その上司は東京に栄転したが、度々お忍びでその県を訪れては女性と会ったり、時には東京に呼び寄せることもあったという。

最終的には、その女性を退職させ、都内にマンションを借りて住まわせた。

女性が口を噤んだおかげで、男は順調に出世街道を歩いた。ついに、その団体全体のトップクラスにまで上り詰め、絶大な権力を握った。

“事件”のもみ消しに奔走し、女性のその後の世話係を務めた腹心たちも皆、揃って出世した。

現在、男は団体を定年退職し、海外で別の仕事をしている。外国に出発する際に、その女性も連れて行こうとしたが、さすがに腹心たちが押し止め、女性が日本を離れるのを嫌がったこともあって、実現はしなかった。ただ、2人が会う機会は減ったものの、その関係は未だに続いている……。


捜査打ち切りの「取引」

これは、女性の周辺や、元の勤務先の関係者の問で密かに語り継がれている「伝説」である。

2人の関係はもちろん、一部の人間しか知らないトップシークレットであった。

だが、そこは狭くて排他的な地域社会のこと。それぞれの様子が微妙に変化したことに不審を感じ、あれこれ詮索する人がいたり、1人が一緒にいるところを目撃した人も現れた。

最初の“事件”の直後、憔悴し切った女性の姿を知っている家族や友人には、その後の女性の変化が訪しく映った。一方的に婚約を破棄されたフィアンセとその関係者たちも、突然の破談に思い当たるフシがなく、とても納得できなかった。

そうした疑念がやがて、関係者の間で1つの「伝説」となって語られるようになったのである。数年前には「内部告発」として一部のマスコミに伝わり、取材されかけたこともあった。

だが、幾つかの客観的な証拠や、複数の関係者証言がありながら、それが「事実」として報じられず、今でも「伝説」のまま残っているのは、女性がレイプ事件はもちろん、その後の愛人関係さえ頑として認めなかったからだ。

それを敢えて、ここに記したのには訳がある。

実は、その「伝説」に関する情報が、オウム真理教との関与が囁かれている暴力団に流れた形跡があったからだ。

そして、何よりも、2人が勤めていた団体が「警察」であったためである。

それが漏れ出したのは、ひょんなことからであった。

「オウム真理教がまだ、オウム神仙の会と呼ばれでいたころ、ある事件に関連して現地の警察に目を付けられていたことがあった。ところが、当局がいよいよ、麻原彰晃被告ら幹部から事憤聴取を行い、本格的な取り調べに入ろうとした矢先、なぜが、上の方からストップがかかったらしい。

その事件自体は今、次々と判明している一連のオウム事件のような凶悪犯罪ではなかったし、オウムの名前もまだ知られていなかったから現場の捜査員たちは皆、訳が分からずに首を傾げはしたが、結局、そのままになったようだ。当時の捜査員たちは、オウム真理教の実熊が明らかになるにつれ、『あのころ、オウムを摘発していれば、地下鉄サリンなど悲惨な事件を未然に防げたかも知れない』と侮しい思いをしていると聞いている」

捜査関係者の1人は、そう明かす。

その事件があったのは、2人がいた県であった。

しかし、それが「伝説」とどう繋がるのであろうか。

「その事件が潰れたという噂は、私も警察内部で耳にしたことがある。でも、その背景にある話の方が、もっと恐ろしい内容なんだよ」

と話すのは、別の警察関係者。

「事件が潰れた時期は、オウム真理教側はちょうど、東京都に宗教法人の認証を得るため申請している最中で、トラブル発覚にはかなり神経質になっていたんだ。約1年後、オウムは坂本弁護士一家を殺害しているが、それも認証を得た直後ゆえに「トラブルの表面化を恐れて犯行に及んだとされている。だが、この場合は警察全体が相手だから、まさか皆殺しにする訳にもいかない。困り切ったオウムは、その当時親しい関係にあった暴力団組長に対応策を相談した、というんだ。

その暴力団が独自の情報網を駆使して調べたところ、現地警察の最高幹部の女性スキャンダルが浮がんできたどいう訳だ。そこで警察組織に太いパイプを持つ政治家らを通して、警察当局の上層部に『スキャンダルを公にしない代わりに、ある小さな事件の捜査を打ち切ってほしい』といった趣旨の取引を持ちかけた、という途方もない話なんだ」

確かに、信じがたい話である。

だが、この警察関係者が明かした女性スキャンダルは、登場人物から発生場所、年月日、ストーリーの細部に至るまで、冒頭に紹介した「伝説」そのものであった。

実際、そうした取引が行われたのか、また、それが功を奏したかは定かではない。


だが、結果的にその事件に関する捜査はストップががかり、「伝説」は再び、闇の中に葬られた。

その1件に関わった警察関係者が、一連の顛末を記録したメモは、組織の奥深くに封印されてしまったのである。

ところが、その“信じがたい話”は、後にオウム捜査に関わり、少なからぬ影響を及ぼすのである。






第2章 供述

この取引疑惑から1年後に発生したのが坂本弁護士一家殺害事件である。

この事件は、早川紀代秀被告ら実行犯グループが自供し、その供述通り3人の遺体が発見された。また、今年[1996]3月12日に東京地裁で開かれた中川智正被告の第4回公判をはじめ、一連の坂本事件の公判で、被告たちが犯行を大筋で認めたことで、事件の真相は解明されたかに見えるが、果してそうだろうか。

本誌はこれまで再三にわたり、坂本事件が抱える数々の疑問点を指摘してきたが、それらは公判段階に至った現在でも、必ずしも解決していない。

実は、この事件に関しても“闇に葬られた警察情報”があった。

それを明らかにする前に、坂本事件の疑問点について振り返ってみよう。詳細な検証は、本誌1995年8,11月号で行っているので、ここでは要点だけを記す。

第1の疑問は何と言っても、坂本宅の鍵はなぜ、開いていたかということだろう。

中川被告らに対する検察側の冒頭陳述によると、早川被告ら6人は1989年11月2日深夜から1日未明にかけ、静岡県富士宮市の富士山総本部で麻原被告から坂本弁護士殺害の指示を受け、3日午前中、2台の車に分乗して出発。途中で地図や背広を買い、同日夕、坂本宅付近に到着した。

メンバーはこの日が祝日であることを忘れていたため、早川被告ら2人が坂本弁護士が電車で帰宅するはずのJR洋光台駅前に、岡崎一明被告ら4人が坂本宅付近の路上に、それぞれ車を停めて見張った。

坂本弁護士の帰宅が遅いため、岡崎被告は午後9時ごろ、坂本宅の様子を窺い、玄関ドアが施錠されていないことに気づき、早川被告に無線で連絡した。早川被告は坂本弁護士が家族とともに自宅にいる可能性が高いと考え、公衆電話で麻原被告に報告した結果、深夜になってから家族とともに殺害するように指示された。そこで実行犯グループが相談し、犯行時刻を4日午前3時と決め、無施錠のドアから坂本宅に侵入した。その際、故・村井秀夫幹部は車内に手袋を置き忘れ、早川被告はポケットに手袋を入れてあることを失念し、素手のままであった……というものだ。

この冒陳を読む限り、6人の犯行はとても計画的だとは思えない。

まず、メンバーが誰一人、下見しておらず、祝日さえ認識していなかったのに、坂本弁護士がなぜ、在宅中だとか帰宅すると決めつけられたのかとの疑問がある。

実際、坂本一家は3日から2泊3日の予定で、四国に旅行に出掛けるはずだった。たまたま坂本弁護士と息子の龍彦ちやんが風邪気味だったため、2日前に中止しただけで、在宅していたのは偶然であった。

次に、現場での見張りだが、岡崎被告ら4人は坂本弁護士宅近くの路上に駐車していたとしているが、坂本宅付近の道路は皆、狭くて一方通行が多いうえ、生活道路として意外と交通量がある。

しかも、タ方6時から夜9時という車の通行が多い時間帯に、大の男4人がビッグホーンのような大きな車に乗っていたら、かなり目立っただろう。それどころか、通行妨害でトラブルさえ発生する可能性が高い。ところが、近くに駐車していた京都ナンバーのワゴン車を目撃した人はいたのに、ビッグホーンの目撃情報は皆無なのである。

そして、いよいよ問題の鍵についてである。冒陳では岡崎被告が午後9時ごろ、坂本宅の様子を窺って、初めて無施錠状熊が分かったことになっている。鍵がかかっていなかった理由については、「就寝の際、自宅の玄関ドアの鍵は施錠されていなかった」としか触れておらず、はっきり分かっていない。

ただ、そう記されている以上、こじ開けた形跡などはないのであろう。

坂本弁護士は同僚に、わざわざ電話をかけて「鍵をしっかりとかけた方がいい」と注意しており、妻の都子さんの几帳面な性格からしても、自宅のドアの鍵をかけ忘れることはまず、考えられない。

「龍彦ちやんに添い寝してうたた寝したのではないか」との説も、同じ冒陳で、都子さんがネグリジェ姿で絞殺されたことが明らかになっており、考えにくい。

例えば、坂本一家がついうっかり、鍵をかけ忘れて就寝したのだとしても、実行犯グループは、坂本一家がたまたま風邪のために旅行を中止して家におり、たまたま鍵をかけ忘れた日に襲撃したことになる。

しかも、岡崎被告がたまたま、その事実を発見したのだから、計画性云々のレベルではなく、3重の偶然が重なった犯行としか言いようがあるまい。

実行犯は、坂本一家が旅行に出掛けていたとしたら、何日も坂本宅の前で待機するつもりだったのか。もし、ドアが施錠してあったら、ドアや窓を叩き割って侵入したのであろうか。

もう一つ気になるのは、岡崎被告から無施錠の報告を聞いた早川、麻原両被告がなぜ、坂本弁護士の在宅を確信したのかだ。普通は無施錠と聞けば、家族は在宅していても坂本弁護士は帰宅していないとか、外出時にかけ忘れたと考えるはずである。

それに、仮に午後9時段階では鍵が開いていたとしても、その後かけられてしまう可能性もあるはずだ。

実際、早川被告の「やるなら今だと言ったら、麻原に『3時を待って侵入しろ』と言われた。鍵がかかっていたらどうしたらいいかを尋ねると、麻原は『大丈夫だ。玄関のドアは開いている』と答えた」という供述が、いつの間にか消えているのも不可解だ。

早川被告は「そんな馬鹿なことはないだろう。どうぜ、鍵がかかっているから、今夜は中止だとタカをくくって、村井とともに手袋を付けずに行った」とも供述しており、これらの供述内容の方がよほど自然であり、説得力がある。


「この連中が本当にやったのか?」

第2点目は、坂本夫妻が自宅で殺害された際、実行犯グループとかなり争ったと見られるのに、周辺の住民が物音ひとつ聞いていなかったり、事件現場に争った跡がほとんどないという疑問だ。

冒陳によると、6人は寝ていた坂本夫妻の上に馬乗りになり、殴る蹴るの暴行を加えている。激しく抵抗する坂本弁護士の両足を押さえ付けていた早川被告は、途中で蹴飛ばされ、後ろに倒れて鏡台にぶつかり、その反動で鏡台が襖に当たって、襖が外れたほどである。

一方、都子さんは村井幹部の指に噛みつき激しく抵抗。村井幹部の指から流れ出た血が畳に付着し、龍彦ちやんは泣き出すなど現場はかなりの惨状だったようだが、隣家も階下の住民も、全く気づいていない。

プレハブのアパートに暮らした経験者はよくご存じだと思うが、ドアの開閉や子供が走り回る音でさえうるさく聞こえるものだ。ましてや夜中の3時に、これほどの騒ぎがあれば、地震が起きたと思うほどではないか。

それも、隣家の主婦は「その日は午前3時ごろに起きて、赤ん坊にミルクを上げていたが、何の物音も聞こえなかった」と証言しているのだから、いかにも奇妙だ。これもたまたま聞こえなかったのだろうか。

さらに、冒陳は、実行犯のうち5人が坂本一家の死体をそれぞれ布団やタオルケットでくるみ、外に運び出し、アパートの階段を下りる際には靴音を立てないように注意して、車の後部に乗せた、という。

だが、アパートの階段はいくら注意深く昇り降りしてもギシギシと音を立てるし、幅80センチしかないドアから、小太りの坂本弁護士の死体を布団でくるんで遅び出すのは至難の業。後日、同僚弁護士たちがモデルになって実験してみたが、重くて数人がかりでなければ運べないし、壁や家具に何度もぶつけ、大きな音がしたという。

それに3人も殺害し、しかも、かなり争ったとなれば、とにかく直ぐに逃げることを考えるのが犯罪者心理であろう。血の付いた布団を遅び出さなければならなかった事情を考慮しても、遺体を1人ずつ担ぎ上げて車に運び、布団だけ別に運搬した方がずっと効率的である。

また、冒陳では、岡崎被告が坂本宅寝室内に付着した村井幹部の血痕などを浴室にあったタオルで拭き取ったり、早川被告が倒れたために外れた襖を元に戻すなど、最後にチェックしたことを明かしている。

ところが、中川被告が肌着に付けていた教団のバッジであるプルシャが寝室内に落ちていることには気づかず、しかも、そのプルシャの存在は、最初に坂本宅を実況検分した神奈川県警の警察官さえ見落としているというのだ。その警察官は鑑識係であり、他の警察官以上に現場の状況には目が届くはずであった。

また、捜査当局がプルシャから指紋を採取したところ、発見者である坂本弁護士の母さちよさんらの指紋しか検出されず、中川被告の指紋は出ていないのだ。

さらに、坂本宅の電話の呼び出し音がオフになっていたが、岡崎被告をはじめ誰もオフにしたと供述した者がいなかった。

ところで、冒陳は犯行時、寝室内は豆電球しかついておらず、薄暗かったとしている。そこに、村井幹部と早川被告が素手のまま乱入したのだ。襖は外れ、血痕は飛び散り、指紋が付いているかも知れない室内を、両崎被告は豆電球の薄暗い中でチェックしたのだろうか。

それにしては、捜査当局の現場検証では実行犯たちの指紋も血痕も発見されず、せいぜい襖や敷居の傷と敷物がめくれていた程度でしかなかった。その状況は、相当綿密に事後処理したことを物語っているが、それなのにプルシャが落ちていることには気づいていない。この綿密さと杜撰さが同居した現場は、いったい何を意味するのであろうか。

事件を担当した神奈川県警の捜査員は、こう明かす。

「捜査本部は各容疑者を取り調べた際、坂本弁護士一家が住んでいたアバートの模型を作り、それを示しながら進めた。ところが、彼らの供述はかなりいい加減で、殺害の手順も計画性はなく、行き当たりばったりといった感じだった。供述内容はいずれも、あいまいで2転3転するし、辻棲が合わないことも多かった。正直言って、この連中が本当にやったのかという印象が強かった。中川以外は皆、小柄で腕力もなさそう。空手の有段者とされた新実にしても、本当は8級だったからね」


これらの疑問点や矛盾点を解決するにはたった1つのケースしかない。

現場を下見したり、信者たちの犯行を見届け、現場の事後処理を行うための別働隊がいた、という想定
である。

本誌はこれまで、暴力団員らによる犯行支援グループの存在を指摘してきた

また、付近住民の目撃情報や、坂本宅から来客用の湯飲み茶腕がなくなっていることなどから、3日夜8時過ぎに、坂本宅に来客があったとの説を提示している。

重複するので詳述しないが、その来客が別働隊の一員なら、鍵や電話のミステリーに説明がつく。拉致・監禁を専門とするメンバーが支援すれぱ、事後処理などは完壁にできるはずだ。

プルシャについては「暴力団員が後で教団から莫大な資金を脅し取るために、わざわざ落としてきた」という暴力団幹部の証言を紹介している。

冒陳が示すように、麻原被告が宗教法人の認証を得た直後ゆえ、教団のトラブル発覚を防ぐために、坂本弁護士一家を殺害したとしたら、何よりも犯行に細心の注意を払うばずである。

公安関係者の中には「麻原は早川、岡崎ら幹部たちの忠誠心を試すために、殺人を命じた。坂本事件の共犯になることで離反、逃亡の可能性を断ち切った」との見方を取る人もあるが、いずれにぜよ、犯行の失敗はもとより、教団関与の発覚だけは避けなければならなかったはずだ。

それを、こうした“成り行き任せ”的な行動を取る信者たちだけに任せられるだろうか。麻原被告が並行して、何らかの善後策を講じた可能性が高いのではないか、と見る方が自然であろう。

そうした観点から坂本事件を検証してみると、随所に暴力団の影がチラつくことが分かる。

例えば、坂本弁護士宅付近で目撃された京都ナンバーのワゴン車が京都の暴力団関係者の所有で、坂本一家の死体遺棄の際、富士山総本部でも目撃されていたこと。さらには、オウム真理教との関与が囁かれている組長の隠し口座に、坂本事件の後、オウム関係者と見られる人物から約5億円が振り込まれたとの情報もある。

そして、これらの話は単なる情報ではなく、実は、別の事件で逮捕されていた暴力団幹部が詳細に供述し、調書まで取られていたのである。

因みに、その幹部は、私が数年前にインタビューした人間とは違う。もう1人、極秘の情報を告白した人物がいたのだ。

それが、2つ目の封印された警察情報であった。


「あれはオウムの金だよ」


この幹部は、山口組の中でも“武闘派”として知られる組の中心メンバーの1人で、その系列の下部組織を率いている。本人もなかなかの“武闘派”歴を誇る半面、経済事件を得意とし、別の宗教団体とのバイプ役も果すなど「切れ者」として知られている。現在は、オウムとは関係ない別の傷害事件に関与したとして実刑判決を受け、東日本の刑務所に服役中の身だ。

「この幹部は、逮捕された傷害事件に関して誤解を受け、上部組織とトラブルになり、組織内で難しい立場に置かれていた。そのため一時は生命の危険を察知し、かなり神経質になっており、取り調べに対しでも一切答えなかった。だが、出所後の身の振り方にほぼメドがついたんで、ようやく口を開いたんだ」

捜査幹部は、そう明かす。

その供述によると、幹部は1990年2月ごろ、上部組織の組長の親族で、その組織のフロント企業の社長でもある男性から「オウムを手伝わないか。あそこはカネになるぞ」と持ちかけられた。幹部は当時、資金繰りに苦しんでおり、喜んで引き受けた。その際、社長は「坂本事件は、実はウチがやったんだ。今や、オウムはカネの成る木だよ」と明かしたという。

だが、約2ヵ月後、社長が数百万円を持って幹部の元を訪れ、「あの話はなかったことにしてくれ」と言ってきた。理由を聞いたが、「答えられない」の一点張りで、その切羽詰まった表情から、かなり危ない話ではないかと感じたらしい。

実際、上部組織の組長からも直接、「オウムのことは、決して口にするな」との指示があった、というの
だ。

その幹部はこんな供述もしている。

「その儲け話が潰れた前後、今度は上部組織の企業舎弟が乗り回していた車のダッシュボードの中に、エロ写真などと一緒に、どこかのアパートを撮影した数枚のポラロイド写真が入っているのを見つけた。何か儲け話のネタではないかと思って、企業舎弟を問い詰めたら、坂本弁護士宅のドアや全景、局辺の様子であることを認めた。また、ダッシュボードに、同じ風景を撮影したビデオテープも入っていた」

また、この幹部がしばらくして上部組織の本部詰めを担当している時、上部組織の組長と麻原被告、それに別の宗教団体幹部が、本部近くのゴルフ場で密談するとの話を漏れ聞いた。組長の警護が本部詰めの重要な仕事であるため、その日程や場所を組長に確認しに行ったら、「今日は護衛はいらない」と言われたという。

この件について、幹部は「麻原という男は盲人なのにゴルフをするのか、と変に思ったのでよく覚えている」と捜査員に話している。

さらに、この幹部は1990年4月、前出のフロント企業社長の銀行口座に、オウム真理教から約5億円が払い込まれたことを知った、とも供述している。

知り合いの組員がオウムから受け取って入金しており、多額なカネに興奮し、「銀行から預金小切手を貰って帰ってきた」などと話していたからである。

しかも、幹部が社長周辺にそれとなく尋ねると、何と、社長自身が「あれはオウムの金だよ」と明かしたというのだ。

さすがに、社長はそれ以上は説明しなかったが、幹部は「麻薬の代金にしては金額が大き過ぎる。きっと坂本事件のお礼だなと思った」と、捜査員に話している。

捜査当局は、これらの供述内容が極めで具体的であるうえ、論理的に矛盾がなく信頼性が高いことから重視した。ただ、この幹部が上部組織とトラブルを起こしているため、慎重に裏付け捜査を進めた。

周辺の聞き込み捜査などから、上部組織の組長と麻原被告らの3者会談が行われたことも突き止めたし、社長が持っている都内の銀行支店の口座を割り出し、オウム関係者からの入金も確認できた。

また、坂本宅のポラロイド写真を積んでいた車は、上部組織のフロント企業の社長が所有していることも判明した。

さらに、坂本弁護士宅付近で目撃された京都ナンバーのワゴン車の所有者が、この幹部の上部組織と関わりがあり、坂本事件の直前、そのフロント企業周辺に駐車していたことも分かった。

しかも、そのフロント企業には早川、新実被告らが出入りしていたのである。


まだある。

驚くべきことには、この幹部が勢力を持っていた地方で、村井幹部を刺殺した徐裕行服役囚との接点が出てきたのだ。

徐服役囚が村井暗殺を引き受けた動機の1つは、多額の借金と見られているが、捜査当局の調べによると、その借金の原因となったイベント失敗の舞台となった場所がその地方であった。

そのうえ、捜査当局が徐被告のバックにいると見ていた別の暴力団組長の拠点がすぐ近くにあり、接触があった可能性が出て来たのである。

その組長こそ、捜査当局が「多額の報酬で村井暗殺を請負い、徐の借金の裏保証をする代わりに、暗殺を行わせたのではないか」と睨んでいた人物であり、供述した幹部とは同じ組織の系列であった。

さて、このようにオウム真理教と暴力団を結ぶ捜査は着実に進展し、照準は絞られつつあったかに見えた。

ところが、この捜査は突然、打ち切られてしまった。

「いよいよ、坂本事件の真相究明ができると張り切っていた矢先に、暴力団関与説を唱えていた幹部や捜査員が次々と、人事異動で捜査から外されたり、発言を封じられるようになったんだ。内部でつい、暴力団の話でもしようものなら、上司から『今さら何を言い出すんだ。あれはオウムに決まっているだろう』と一喝される始末だ」

現場の捜査員の間では『暴力団を叩き演す絶好のチャンスなのに、どうして止めるんだ』との声が高かった。直属の上司は我々の話を理解してくれ、意見具申してくれたようだが、かなり上の方の考えらしく、どうにもならなかったらしい」

現場の捜査員たちからは、こうした不審や不満の声が漏れたが、上層部の方針は変わらなかった。

神奈川県警磯子署の坂本事件捜査本部は既に、昨年[1995]11月に解散している。打ち上げ式では、未だに「本当にあれでいいのかな」と漏らす捜査員もいたという。

これだけの有力情報がなぜ、封印されてしまったのであろうか。





オテム真理教、暴力団、政治家、そして警察組織……。それぞれの点を結んだ延長線上に、オウム事件の「真実」が潜んでいる気がしてならない。

そして、そこはまさに、“闇の世界”そのものなのである。

さて、以上の内容を要約すると「警察OBの大物が現役時代、部下をレイプしたあげく愛人にした。それをオウムと関係のあった暴力団が知り、脅迫してオウム事件の捜査から手を引かした。」となります。
この暴力団とは、山口組きっての武闘派団体「後藤組」のようです。
そして、脅迫された「警察OBの大物」とは『憎まれ愚痴』編集長の木村愛二氏によれば、元神奈川県警本部長、地下鉄サリン事件当時の警察庁長官の前任者、城内康光氏だそうです。
確かにオウム事件の多くは城内氏が警察庁長官をしていた時代に起きていました。

城内康光を『Wikipedia』で検索すると
城内康光(きうち やすみつ、1936年 - )は、第15代警察庁長官(1992年9月18日~1994年7月12日)。元群馬警本部長。(株)東京三菱銀行顧問。松下政経塾顧問。1995年9月から1998年3月までギリシャ大使。財団法人・吉田科学技術財団監事。前田建設監査役。日本会議代表委員の一人。


北朝鮮拉致問題での、「辛光洙(シン・ガンス)」の件を国会で答弁したのが、当時警察庁警備局長であった城内である。

日本銀行総裁・福井俊彦とは東大文一で同窓。

後任の警察庁長官は、狙撃された国松孝次である。オウム事件の多くは城内が警察庁長官をしていた時代に起きた。

前衆議院議員の城内実は息子。

なんと、東京三菱銀行の顧問であり、松下政経塾の顧問もしているのです。
さらに、ノーパンしゃぶしゃぶ事件で一時、総裁を追われたものの、復帰したあとも村上ファンドに資金を拠出していたことで世間を騒がせた、あの日本銀行総裁・福井俊彦氏とは同窓生とのこと。
そして、何より重要なことは「日本会議」の代表委員となっていることです
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

harpman

Author:harpman
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
カレンダー
05 | 2017/03 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード