スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本を愛し異国で散った女性達







http://sketchdiary.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_6be0.html

0322.jpg




http://www.fukutoku-group.co.jp/?cn=100031&own=1001&bgd=20090313

ずいぶん久しぶりにシンガポールの日本人墓地を訪れた。前に来たときは、突然どしゃぶりの雨が降り出して、ああこれがスコールというやつかと思ったのを覚えている。あのときも掃除が行き届いてよく管理されているなあと思ったけど、今回はまた格段にきれいになっていた。墓地の周辺は瀟洒な高級住宅地に変貌していた。今やシンガポール人の一人当たりの国民所得(GDP)は日本を抜いているのだけれど、まったく大したものだ。

この墓地の奥まったところには小さな墓石がならんでいる。もう刻まれた名前も読み取れない。からゆきさんたちの墓だ。

長くうずもれていた歴史は70年代になって山崎朋子の「サンダカン八番娼館」で一般に知られるようになったが、かつて日本が貧しかった時代に、娼婦として南洋の地に売られていった多くの若い女性たちだ。やがてからゆきさんたちに寄生する形で貿易商、写真館、医者、雑貨屋、呉服商などが発生し、やがて日本人町が形成されて行った。彼女たちの本国送金とも合わせ、日本の東南アジア進出におけるからゆきさんたちの貢献は大きい。

日露戦争の時には沖を行くバルチック艦隊に、からゆきさんたちは祖国存亡の危機を憂いて涙を流したという。しかしこの戦争に勝利し、一等国として国威の発揚を見るや、からゆきさんたちを国辱として目の敵にするようになった。廃娼に向けてさまざまな圧力が加えられ、やがてからゆきさんたちは何ら報われることのないまま、歴史の舞台から抹消された。

水を飲むときには井戸を掘った人の苦労を忘れてはならない。中国のことわざだ。私たちは現在につながる日本人の東南アジアにおける地位の確立が、そのいちばん最初の段階において、多くは帰郷の夢もかなわぬまま南洋の地に散っていったからゆきさんたちの存在を礎にしたものであることを決して忘れてはならぬと思う。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

harpman

Author:harpman
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
検索フォーム
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。