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4000年前にプラズマ兵器か核兵器が使われた?

「ガラスになった町」は核爆発よりも、むしろプラズマ(高温プラズマ)の可能性の方が高い、と指摘されている事です。核戦争ならば、もっと広範囲にガラス化が起こっているはずが、800m四方という極めて狭い範囲でしかガラス化していない事などを鑑(かんが)み、モヘンジョダロにプラズマ兵器が使われた可能性があると私は考えます。

モヘンジョ=ダロに限らず、同様の高熱破壊の跡が見られる遺跡が周辺のアナトリア高原のハジュラルコルジュペテ、ハラバ、カラホユックなど多数の地点で発見されている。これらの遺跡が破壊された年代はほぼ共通しており、紀元前2200~2000年頃という年代測定結果が出ている。







http://dateiwao-id.hp.infoseek.co.jp/mohenjodalo.htm
12072.jpg



http://reijin32yoshi.blogzine.jp/shinsey/2009/10/post_62a3-1.html
太古にプラズマ戦争があった可能性を示す遺跡がパキスタン(発見当時はインド領)に残されています。

その名をモヘンジョダロ遺跡と謂いますが、その遺跡には現地の住人が「ガラスになった町」と呼んで近づかない場所があり、黒いガラス質の石が800m四方をびっしり覆っているという場所で、黒いガラス質の石は高熱で溶けた砂が再固化したものと判明しています。

黒いガラス質の石は、テクタイトであるとされていますが、付近では、この他に溶けてくっついたレンガや、ねじ曲がったり気泡が混じってガラス化した壺の破片などの遺物も見つかっています。

これらの高温加熱遺物やガラス化した地域については大規模な火災・火山の噴火などの諸条件が偶然重なって起きた稀な現象である、というのが正統派考古学者の見解ですが、遺跡のあるインダス川流域において、大規模の火山活動の痕跡は確認されていません。

このような800m四方の砂が溶けてガラス化するという現象はこれまで自然界では見つかっておらず、同様の風景は今のところ地表で核実験が行われた場所(砂漠)でしか見つかっていません。

また、壺が原形を保ちながら溶けかかった状態で固まるという現象は、超高温の熱線が極めて短時間に照射された状況を想定しない限り考えにくく、モヘンジョダロで発見された遺物をローマ学科大学で分析した結果問題の遺物は、1000度から1500度の高温で短時間に加熱されたらしいという結果がだされました。

 

このような分析結果などから、モヘンジョダロで太古に核戦争があった可能性について言及する考古学者も結構おられます。しかし、「核爆発の後遺症があまりにも極所的であり、一部のレンガのガラス化だけで核爆発の後遺症は説明できない。むしろ、プラズマ(高温プラズマ)や隕石の落下、戦争による火災、などの自然現象や災害を第一に考えるべきである」との反論もなされています。

ここで注目すべきが、核爆発よりも、むしろプラズマ(高温プラズマ)の可能性の方が高い、と指摘されている事です。核戦争ならば、もっと広範囲にガラス化が起こっているはずが、800m四方という極めて狭い範囲でしかガラス化していない事などを鑑(かんが)み、モヘンジョダロにプラズマ兵器が使われた可能性があると私は考えます。

 


http://stver.hp.infoseek.co.jp/xx2/x004.htm
古代核戦争  インドに伝わる2大叙事詩と遺跡の謎

世界の神話の中でもミステリアスなのがインドに伝わる2大叙事詩。「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」
今から2500年前に起こった戦いが描かれているのだが、この中で見られる記述には誰がどう考えても
核戦争を表しているとしか思えない内容
であり、この戦争の最後には原子爆弾の使用により
天変地異をもたらし、放射能障害などを引き起こし終結したとされている。

そして、その戦争の中で使用されたという兵器も古代に考えられたものとは
思えないくらい詳細にその機能と性能が記述されている。例えば

アグネア
 戦争末期に使用された古代兵器。爆発の瞬間が「太陽を一万個集めたほど明るく煙と火が
絡み合った光り輝く柱がそそりたった」と表現されており、また「死の杖のように恐るべき槍。
その寸法は3キューブと6フィート。授けられたその力は、千の眼を持つインドラのいかづち
生けるもの全てを破壊した」と記されてある。そしてそれは正に「核兵器」を思わせる様な兵器である。

他にも
ヴィシュヌの「円盤」   ルドラの「三叉の銛」
アグニの「火器」     インドラの「電火器」
スーリヤの「飛行矛」  インドラの「空中網」
そして「ヴィマナ」である。



インド最古の古典「リグ・ヴェーダ」には「ヴィマナ」という兵器が登場している。
ラタ(山車)という名称でも、その具体的な説明には戦車とは異なり、金属製で特殊な燃料を
用いて空を飛んだという。このおとぎ話のようなヴィマナの実在性を裏づける有力な証拠が
紀元前10世紀頃に書かれた科学書「ヴァイマニカ・シャストラ」である。
 他の文献と異なり、神々の話などは一切記されずヴィマナに関しての記述のみが記されていて
この文献には詳細な機体解説と操縦方法が載っており、写真撮影、レーダー探知、高熱放射
有毒ガス、気象センサー、ジグザグ飛行、翼の展開と収縮、敵機内盗聴、敵機内透視、幻影投射
煙幕、カモフラージュ、太陽光線利用等の能力が解説されておりヴィマナは、その用途によって
三角形(デルタヴィング式)、円盤型、ロケット型、飛行船型など数十種類のヴィマナがあったといわれ
古代インドで核戦争の主要兵器として使用されたらしい。

■インダス文明の遺跡に見られる謎

世界で最も有名な遺跡のひとつであるモヘンジョ・ダロ遺跡は、その成立の由来も文明を築いた人種も
解明されていない。ただ、同時代の他文明には類を見ない、きわめて整然としたプランにもとずいた区画
精巧な排水機構の設置、統一規格化した焼煉瓦の使用など近代都市構造に通ずるものがみられるように
完璧な都市計画のもとに造られ、約600年の繁栄の時代を謳歌し
た後、唐突に滅び去った都市で
あるということがこれまでの発掘調査の結果明らかになっている。
謎とされているのは、なぜ滅んだのかという理由で、学説では、洪水や自然環境の変化により徐々に
衰退していったという事になっているがこれまでモヘンジョ・ダロで発見された46体の遺体がすべて
突発的な“何か”に襲われて突然死したような状態で発掘されおりまた46体中、外傷をとどめているのが
わずか2遺体であることから、襲撃による虐殺とも考えられず
遺体には、高温で加熱されたことを示す痕跡が残っていた。 

      

また遺跡の一角には、原住民から「死者の丘」又は、「ガラスになった町」と呼ばれて立入禁止になっている区画がある。1978年に神話との関連に興味を持ったジャーナリストが調査したところ、レンガなどが高熱で溶けて、ガラス化した石が一面に散乱している異様な区域が発見され、その区域からは放射能が通常の数十倍という放射能測定結果が出たという。

そのガラス化した石をローマ学科大学岩石学研究所が分析したところ、
「非常な短時間で、融点1400度~1500度以上の高熱で溶かされ、加熱後、急速に冷却したものである」
との結果を得ています。つまりそれは、火事でも火山の作用でもなく、明らかに“核”によってもたらされた
高熱破壊を物語っています。
遺跡の状況から判断して、惨劇の直後からモヘンジョ・ダロが遺棄され
誰も住まなくなっていったという。
 モヘンジョ=ダロに限らず、同様の高熱破壊の跡が見られる遺跡が周辺のアナトリア高原のハジュラルコルジュペテ、ハラバ、カラホユックなど多数の地点で発見されている。これらの遺跡が破壊された年代はほぼ共通しており、紀元前2200~2000年頃という年代測定結果が出ている。
そして、アナトリア高原には古代の核シェルターとも言われるカッパドキア地下都市群がある

   




ギリシア語で「ゼウスの雷が落ちた地」という意味の地名を持つこの地には、その特異な自然環境による
この世の物とは思えないような岩山や、ヤジリのような岩、キノコのような奇妙な岩が連なっていて
世界屈指の秘境として、観光名所として有名な場所である。その荒涼たる風景の下に広大な地下都市が
広がっている。 この地下都市は地下8階建て、通気孔が地表から150 メートルもの深さまで貫き各階層は
階段や傾斜した通路でつながれている。また井戸、共同炊事場や下水道など完璧な都市計画によって
築かれている。
 

 アナトリア高原の大地の地下には、このような地下都市が無数に存在しており、地下都市同士は地下通路でつながっている。その規模は、6万人もの人間が収容規模であり未調査部を含めると100万人以上の人間の収容も可能だとか・
 学説上では、岩壁や地上部分の岩をくり貫いた洞窟内部にキリスト教の宗教画が描かれており
それ故にキリスト教徒たちが洞窟修道院として建設、使用していたと学説的結論が出てはいる。
しかし、地底深く、広大な面積を掘り進めて造った洞窟には壁画は見当たらず、しかも使用された期間は
ごくわずかしかない。
 そして、高熱で溶解したような岩肌が広がるカッパドキアの景観とこの核シェルターを思わせる地下都市の存在をもって、この地が古代核戦争の発生地だとする研究家もいる。

インドの神話(伝承?)の中で核戦争後、生き残ったバーラタ族は
ここで生活していたという。似たような神話はその後のヒッタイト文明の粘土板にも
刻まれている。
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発見された人骨は住民ではない

モヘンジョダロ遺跡で発見された人骨というのは遺跡とは無関係。
その人骨は既に廃墟と化したモヘンジョダロに逃げ込んだ(敵対部族の襲撃から逃れて)人々のもの。
なぜならば、モヘンジョダロ遺跡はノアの洪水の前に栄えた先史文明の遺物だから。
そもそも、あの規模の都市の住人遺骸ならば全域から無数の人骨が出なければ可笑しい。
それなのに何十人単位で1区画からしか発見できていないのだから後世侵入した部外者のものと推理すべき。
正統派も含めて、どうしてこうプロファイリングできない無能者ばかりなんだろう。(嘆息)
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