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赤血球が細胞に変わるのを顕微鏡で見た3人。

現代医学の常識「赤血球は骨髄で作られ、細胞は分裂して増えていく。」
その前提から、多くの医学の研究、癌の治療法の開発が始まっている。

しかし千島学説では
「赤血球は白血球を経て各種体細胞に分化する細胞前の段階である。」
「赤血球は無核であるがその無核赤血球から有核の白血球を生じ、さらに生体すべての体細胞や生殖細胞が生じる」

赤血球の大きさと細胞の大きさはほぼ同じ
細胞の大きさは、生物の種類や組織によって異なるが、人体細胞の直径は6μm~25μm(0.006mm~0.025mm)といわれている。
ヒトの赤血球の大きさは約8μm
血球は骨髄で赤芽球から作られ、血管に入り活動を始める。役目を終えたあとは 肝臓・脾臓で壊される。

実際に「赤血球分化説」の検証をした学者もいた。
 その一人が森下敬一医学博士で、森下博士は顕微鏡下に、千島が見たものと全く同じ現象を観察することができた。
森下博士は、ウサギの赤血球よりももっと大きなガマの赤血球を使って観察してみることにした。
すると、赤血球が変化して細胞核を持つ一個の単細胞になっていく一連のプロセスを観察することができた
そしてその細胞を染色したところ、それは立派な白血球だった。
つまり、ガマの赤血球が時間を経て白血球に変わってしまったのである。
つまり「赤血球が細胞に変化する」ことをそのままはっきりと裏付けるものだった。
森下博士はその後もウサギを使って「骨髄で血液は造られていない」ことを確認し、千島学説の正しさを全面的に認めた。
森下博士のこの観察成果は、1957年3月24日の「中部日本新聞」夕刊紙上に、十段抜きという大きな扱いで華々しく報道された。

もう一人ソ連のレペシンスカヤ女史。
彼女こそ、誰よりも早くその事実を世界に発表
し、世界を驚かせた科学者だったから。
1933年、オタマジャクシの赤血球を顕微鏡で見ていたレペシンスカヤは、オタマジャクシの血液中の卵黄球に、核のあるものやないもの、核はあるが染色質がないもの、完全な染色質を含んだ核の存在するもの等々、卵黄球から細胞の発生に至る一連のさまざまな移行像を顕微鏡で観察した。
 その後も彼女はニワトリやチョウザメの卵黄球、ヒドラのすり潰したものや卵白などから細胞が赤血球から新生される事実を観察し、それまでの定説だったウイルヒョウの「細胞分裂説」に異論を唱えた。
しかしレペシンスカヤは数々の実験で「細胞が新生する」ことを観察していながらも、「新生した細胞は細胞分裂によって増殖する」としていたから、それは一種の折衷説・妥協説になっていた。


千島はレペシンスカヤ女史の「細胞新生説」に共感しながらも、そこからさらに一歩踏み込んだ全く独自の「細胞新生説」を発表した
赤血球は無核であるがその無核赤血球から有核の白血球を生じ、さらに生体すべての体細胞や生殖細胞が生じると発表した。



12181.jpg

http://www.chishima.ac/photo/photo1.htm
12182.jpg
12183.jpg
写真をみると肝細胞のあるところに多数の赤血球が存在している。
「丸い核」がはっきりと見える肝細胞がある一方、移行期にある肝細胞は「丸い核」がうっすらと見え始めている。

12184.jpg
12185.jpg
オタマジャクシの脾臓も同じ
赤血球が脾臓に無数に散乱している。
ところどころに、赤血球から脾細胞(一種のリンパ球)及び両者の中間移行型の細胞が存在。




http://www.creative.co.jp/m/topics/main.cgi?m=183


「千島学説」の浮沈

2006-03-21

 「骨髄移植」の話が長くなりすぎてしまったが、
なぜぼくがこの問題を力を入れて取り上げたのかといえば、
それが「骨髄造血説」に基づいた治療法だからである。
 千島自身が観察したように、
誰か権威ある研究者が先入観念を捨てて顕微鏡を覗いてくれるなら、
千島学説に間違いがないことが明らかになるはずである。
しかし悲しいかな、ほとんどの研究者たちは
「そんなバカなことなどありえない」と問題にもしてくれない。

 となれば、現代医学の定説である「骨髄造血説」の矛盾や問題点を突いていくしかない。
ということから、あえて「骨髄移植の矛盾」を考えてみたわけである。

 千島が「赤血球分化説」を発表したとき、多くの学者たちは感情的な反発を表した。
そしてその後も無視、黙殺、排除、封印等々の憂き目に遭った千島学説ではあったが、
なかには実際に「赤血球分化説」の検証をした学者もいた。
 その一人が森下敬一医学博士で、森下博士は顕微鏡下に、
千島が見たものと全く同じ現象を観察することができたのだった。


 東京医大を卒業した森下は生理学教室に入室、血液生理学を専攻し、
昭和30年に千葉大学医学部より学位を授与された。
その森下博士がクロロフィール(葉緑素)の生理作用を観察していたときに、
ウサギの赤血球にクロロフィールを作用させたところ、
なんと赤血球が奇妙なかたちに変化していった。
興味をもってさらに観察を続けていくと、
赤血球の変化はクロロフィールの作用と関係なく起こることが分かった。

 そこで森下博士は、ウサギの赤血球よりももっと大きな
ガマの赤血球を使って観察してみることにした。
すると、赤血球が変化して細胞核を持つ一個の単細胞になっていく
一連のプロセスを観察することができた。
そしてその細胞を染色したところ、それは立派な白血球だった。
つまり、ガマの赤血球が時間を経て白血球に変わってしまったのである。

 この顕微鏡観察は、千島学説の「赤血球分化説」、
つまり「赤血球が細胞に変化する」ことをそのままはっきりと裏付けるものだった。
森下博士はその後もウサギを使って「骨髄で血液は造られていない」ことを確認し、
千島学説の正しさを全面的に認めたのである。

 そして森下博士のこの観察成果は、1957年3月24日の「中部日本新聞」夕刊紙上に、
十段抜きという大きな扱いで華々しく報道された。
いまからほぼ半世紀前のことである。
 
 赤血球が細胞に変化することを観察した科学者としては、
もう一人ソ連のレペシンスカヤ女史にも触れておかなければならない。
というのも彼女こそ、誰よりも早くその事実を世界に発表し、
世界を驚かせた科学者だったからである。

 1933年、オタマジャクシの赤血球を顕微鏡で見ていたレペシンスカヤは、
オタマジャクシの血液中の卵黄球に、核のあるものやないもの、
核はあるが染色質がないもの、完全な染色質を含んだ核の存在するもの等々、
卵黄球から細胞の発生に至る一連のさまざまな移行像を顕微鏡で観察した。
 その後も彼女はニワトリやチョウザメの卵黄球、ヒドラのすり潰したものや卵白などから
細胞が赤血球から新生される事実を観察し、
それまでの定説だったウイルヒョウの「細胞分裂説」に異論を唱えた。
そしてその研究成果は1934年に出版されて、世界の研究者たちからの熱い脚光を浴びた。

 千島が九州帝大に助手として席を得たのは1940年、
そしてニワトリの胚の発生の研究に着手して即座に「赤血球分化」に気づき、
独自に「鶏胚子に於けるWolff氏体の組織発生と血球分化」の論文を
正式に発表したのが1948年だったから、
レペシンスカヤ女史はそれより14年も前に「細胞新生説」を唱えていたわけである。
しかしその当時の日本は戦時体制下にあったため、
この新説はしばらく日本に伝わらなかった。
レペシンスカヤの「細胞新生説」が日本に紹介されたのは、
世界大戦が終わった後の1951年だった。

 「細胞新生説」は当然のことながら、日本の生物界にも大きなショックを与えた。
千島もまたその論文を読み、その勇気ある発表に心から敬意を表した。
しかしレペシンスカヤは数々の実験で「細胞が新生する」ことを観察していながらも、
「新生した細胞は細胞分裂によって増殖する」としていたから、
それは一種の折衷説・妥協説になっていた。

 そこで千島はレペシンスカヤの「細胞新生説」に敬意を表した上で、
人間やほ乳類の赤血球が腸の食物モネラから生じること、
また赤血球は無核であるがその無核赤血球から有核の白血球を生じ、
さらに生体すべての体細胞や生殖細胞が生じると発表した。
 千島はレペシンスカヤ女史の「細胞新生説」に共感しながらも、
そこからさらに一歩踏み込んだ全く独自の「細胞新生説」を発表したのである。

 このように、一時は世界を驚かしたレペシンスカヤの「細胞新生説」ではあったが、
「細胞分裂説」に固執する圧倒的多数の科学者たちにはばまれて、
やがて消えていく運命をたどった。
しかし千島はなおも研究を進めていく。
そんななか、新たに森下博士が千島学説を裏付ける発表をし、
それが新聞によって大きく報道されたのである。

 森下博士は千島学説をほぼ全面的に認め、
その後「お茶の水クリニック」を開設し、医師としての医療活動を開始した。
さらに「国際自然医学界」「生命科学協会」を設立し、
出版物を通しても社会に広くメッセージした。
 その意味で森下博士は、千島学説の強力な助っ人であり、
かつ頼もしい継承者としても映っていた。
だが、千島理論を「千島・森下学説」と称して以来、
両者間にすきま風が吹き始め、その後行動を共にすることはなかった。
これは千島学説の普及にとって、非常に大きな痛手だったように思われる。

 森下敬一博士の名は、「森下自然食」の名によっても広く社会に知られていった。
その当時、日本には桜沢如一率いる「日本CI協会」を筆頭に、
数多くの自然食運動が高まりつつあった。
しかしその多くはどちらかといえば思想・哲学的な色合いが強く、
医師が直接「玄米食や断食による治療」をするというのはまだ珍しかった。
 それだけに、「腸管造血説」の立場から
森下医師がガン治療や難病治療をする「お茶の水クリニック」は、
時代に新しい風を吹き込むものとなった。

 ぼくが森下博士を通して千島学説に出会ったのは、まさにそうした時代だった。
そしてそのときに思ったこと、それは「いよいよ医療が変わる!」という希望だった。
妹が亡くなってから数年後、
漠然と抱き続けていた革命的な医学にようやく出会えたのである。

 以来、早くも30数年の歳月が流れた。
が、その当時ぼくが予感した医療革命は、結局何も起こらぬまま今日に至った。
その後森下博士による「森下自然食」や「自然医学」は大きな広がりを見せたようでもあるが、
主流となる医学理論も医療も全く何も変わってはいない。
むしろ「現代医学信仰」と「ガン呪縛」がますます強固になってきたように思える。

 しかしその一方、まぎれもなく新たな疑問が渦巻き始めている。
現代医学ではガンは治せないのではないのか。
どこかが間違っているのではないのかと。
そうした疑問が徐々に高まってきているからこそ、
異常なほどのサプリメントブームも生まれ出たのかもしれない。

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