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なぜ内閣総理大臣は、TPP=「平成の売国」を推進するのか?

TPPは武器を使わない植民地化方法。

植民地化に加担する権力者、企業家。

百年前も同じだった。

百年前から、ロスチャイルドに屈していた日本の指導者達。

ロスチャイルドは、被差別民=長州藩スパイ組織を日本の最高位につけることを命じる。

百年前、英国外交官兼通訳士アーネスト・サトウから日本に被差別民が存在することを聞いたロスチャイルドは、被差別民を日本の最高位につけることを命じる。

熊毛郡田布施町はいわゆる「被差別部落」。

棚からぼた餅式に、最下位の身分から最高位の身分に駆け上がった成り上がり者は、常人よりも権力に執着するであろうし、そのスキャンダルを脅迫のネタに使えると考えたのだ。


http://8509.teacup.com/kojima/bbs/323
元内閣総理大臣、故橋本龍太郎は祖母が田布施町出身で大室家の出。

同じく元内閣総理大臣安倍晋三も、元は田布施町の出身で大室家とはご近所である。


http://alternativereport1.seesaa.net/article/65858571.html
日本の戦国時代、最も「忍の者」=諜報(スパイ)組織を発達させたのが毛利一族であり、長州藩はそのスパイ組織を引き継ぎ生かし、江戸幕府を打倒する。

 明治天皇は、当初、日本が英国ロスチャイルドと組み、後に満州事変に発展する中国・アジアへの侵略政策を採用する事に強く反対したため、長州藩勢力により殺害され、長州の諜報組織のメンバーが明治天皇に「入れ替わる」。

 大正、昭和の天皇、現在の天皇は、この長州藩の諜報組織のメンバーの末裔であり、明治天皇の子孫では全く無い。

 以後「ニセ」の天皇の周辺を長州勢力の諜報組織のメンバーが固め、日本の政治は動かされて行く。



 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。
熊毛郡の田布施町を中心にしている。
ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。

大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。
むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔
である。


 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。

小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。
小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。

 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。

ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。


例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。





http://blog.livedoor.jp/ijn9266/archives/3475251.html
日本征服計画② 尊皇攘夷の象徴孝明天皇暗殺 

日本の幕末から明治にかけての時代も、今と同様、日本人はルシフェリアン、闇の世界権力者ロスチャイルド財閥について余りにも無知であった。かつては尊王攘夷派であった伊藤博文も、赤子の手をひねるようにロンドン留学中完全に洗脳され、ロスチャイルドの手先に堕した。日本人の魂を抜かれた博文は岩倉具視と共謀して、尊皇攘夷の象徴孝明天皇と息子の睦仁親王を相次いで暗殺する。坂本龍馬など異常なほど若い志士たちが活躍する幕末から明治の激動期。しかし彼等若き志士達を陰で操ったのは、英国フリーメーソンのジャーディ・マセソン商会の長崎駐在員グラバー(写真下、来日当時若干21才)であり、彼に日本征服の密命を下したのはロスチャイルド財閥だった。


慶応2年(1866)12月某日夜半過ぎ、孝明天皇(写真下)はずっと病んでいた天然痘が快方に向かったため、愛妾だった岩倉具視妹の堀川紀子邸(下京区岩滝町)に夜這いに行く。天皇が用をたそうと厠に入った際、厠の下に隠れていた何者かが彼を槍で刺し殺す。実行犯は伊藤博文である。



彼を刺客として送ったのはグラバー。彼は薩長勢力に軍艦・最新式武器スペンサー銃やゲベール銃を供給させて倒幕勢力を育てる一方、慶応2年12月25日、攘夷佐幕で凝り固まって手を焼いていた孝明天皇を暗殺する為、大阪湾停泊の英国駆逐艦から、若き伊藤博文(写真は若き日の伊藤)を放った。



著名な歴史作家の南原幹雄の曽祖父は御殿医だったが、当日深夜突然呼び出され、致命傷を負って息絶え絶えの孝明天皇を診察。その事実を詳細に記録した日記が残されている。孝明天皇の息子の睦仁親王も翌年1月の天皇即位から半年後に暗殺される。遺体は布でぐるぐる巻きに巻かれ、実家の中山家に送り返された。その後数か月間天皇位は空位が続いたが、鳥羽伏見の戦いで官軍が勝利した直後、奇兵隊隊士(第2奇兵隊と呼ばれた伊藤博文隊長の力士隊隊士)当時16歳の大室寅之祐が睦仁天皇に成り代わり、密かに明治天皇となった。これが偽らざる真実の明治維新史である。ちなみに、大室寅之祐の出身地、山口県熊毛郡田布施町の古老達は、今でも明治天皇のことを「奇兵隊天皇」と呼ぶ。



http://www.asyura2.com/07/bd50/msg/536.html

鬼塚英昭氏の新著『日本のいちばん醜い日』(成甲書房)を読むと、日本国家の真相は、明治維新で長州藩田布施一味に国家を乗っ取られたということであることが解る。
 長州藩の田布施一味とは、山口県熊毛郡出身の政治家らのことである。熊毛郡の田布施町を中心にしている。ここは光市と柳井市に挟まれた寒村だった。大室寅之祐=明治天皇、伊藤博文、木戸幸一、宮本顕治、河上肇、難波八助、松岡洋右、安倍源基(終戦時の内務大臣)、賀屋興宣などである。むろん、岸信介、佐藤栄作、安倍晋三は、この田布施一味の末裔である。
 小泉前首相の父・純也は、鹿児島の田布施(現在は加世田市金峰町)出身の朝鮮人である。鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じ、朝鮮人部落である。小泉純也は上京して小泉又次郎というヤクザ(刺青大臣と言われた)の婿養子となって「小泉姓」を名乗り、日本国籍を取得したのだ。小泉の次に安倍政権、そのいずれもが朝鮮人部落だった田布施の出身であることが偶然であるわけがない。
 ユダヤ国際金融権力は、こういう人間を使って、日本乗っ取りを支援しながら、連中の弱みを握って、思い通りに支配してきたのだ。ユダヤは徹底的に日本の事情=弱点を探って研究しつくしている。例えばとして、鬼塚氏は幕末に英国公使パークスは、外交官アーネスト・サトウを使って日本の被差別部落を調査させている。

『日本のいちばん醜い日』では、「大室寅之助は田布施の生まれ、……伊藤博文(林家が伊藤家の本家)と「虎ノ門事件」を起こした難波八助は一族である。また宮本顕治(日本共産党)も一族。そして、木戸幸一も系図に入ってくる。京都大学教授でマルクス主義を木戸幸一、近衛文麿に教えた河上肇も一族である。そして、大室寅之助の生家の近くに岸信介一族の生家もある。この地から代議士の国光五郎、難波作之助が出ている。また、元外相松岡洋右も岸信介の一族である。あの終戦内閣の最後内務大臣安倍源基も大室寅之助の生家の近くである。
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東日本大震災発生(14時46分18秒)の60秒後の爆発が大津波を起こした。②

東日本大震災直発生時(14時46分18秒)の地震を
「第一のすべり」。

東日本大震災直発生から60秒後の地震(14時47分18秒)を
「第二のすべり」とする。


60秒後に発生した「第二のすべり」は「第一のすべり」の影響で起こったのではない。
「第二のすべり」は「第一のすべり」と関係なく発生した。
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-2364.html



①図を見れば、60秒後(14時47分18秒)に「第二のすべり」の破壊進行方向は東から西へ向かった。

赤い部分のすべりが大きい場所は、プレート境界に存在する「ずれやすい粘土層」の範囲が相当広いことを示している。


②図と③図を見れば、60秒後(14時47分18秒)に破壊方向は①図とは逆に西から東へ破壊が一気に起こり、
その結果、分岐断層を隆起させ大津波を引き起こした。

「第二のすべり」の発生した場所を境界にして全く逆の破壊が爆発的に進んでいった。

このような「異常な破壊」は自然では有り得ない。

一方

人工的にこの「異常な破壊」を起こすことは可能であると推定される。

プレートの境界部分と分岐断層の境目を狙った爆発が、再度起きれば、同じ大津波が起こる可能性がある。
なぜなら 
ちきゅう号で、簡単にプレート付近の調査を行えたことが、それを証明している。



④図は地下800mでの核実験。
→尚 ちきゅうが調査した「ずれやすい粘土層」は海底下850m付近に存在する。

核爆発による大きな力は、左右前後方向に大きく加わる。

人工的な爆発地点を境に反対方向に破壊が進む。

北米プレートは、「ずれやすい粘土層」の上に存在するので、爆発力で北米プレートを動かす可能性がある。

②図にある「分岐した断層」の境目で人工的な爆発を起こせば、「分岐した断層」の割れ目が広がり

「分岐した断層」と「プレート境界」に囲まれた部分が
「一つの固まり」となり、一体的に大きく動き、大津波を発生させる。


http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/topics/TohokuTaiheiyo_20110311/inversion/

022204.jpg


http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105260101.html

この場所を震災後に海洋機構が調べたところ、
海底が南東方向に約50メートル、上に約7メートル動いていた。

022202.jpg

http://nationalgeographic.jp/nng/article/20120215/299297/index6.shtml

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http://labaq.com/archives/51067767.html
022303.jpg

022305.jpg



http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120820-OYT1T00697.htm
海溝付近で、複数の断層が新たに作られ、プレート(岩板)の破壊が海底まで到達
022201.jpg

http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110813-OYT1T00405.htm
掘削場所は枝分かれした断層を貫通する。
022207.jpg

http://members.jcom.home.ne.jp/mikedo/news_Geology_Tikyuu.htm
掘削調査の結果
プレート境界は「ずれやすい粘土層」でできていた。

022104.jpg



http://plaza.rakuten.co.jp/cactuslover/diary/201104120000/
震源となったプレート境界面から、
上向きに急角度で枝分かれした「分岐断層」が同時にずれると、今回の大津波を説明できることを推定した。

⑤図にあるプレートの跳ね上がりは有り得ない。
なぜなら、プレート境界はすべりやすい粘土層であるため、歪が蓄積しないから。

022205.jpg

ちきゅう号による東日本大震災の海底調査は大津波爆発説を裏付ける。

東日本大震災直発生時(14時46分18秒)の地震を
「第一のすべり」。

東日本大震災直発生から60秒後の地震(14時47分18秒)を
「第二のすべり」とする。

大津波発生の謎を解く鍵は「第二のすべり」にある。

「第二のすべり」が大津波を引き起こした。

ところが

一般には、大津波発生の過程は、「プレートの跳ね上がり」だと信じられている。

東日本大震災大津波発生の原因(通説)
数百年にわたって、蓄積された歪が、地震がきっかけで、一気に開放された。
その凄まじいエネルギーが大津波を発生させたとされている。

両プレートは界面は殆ど滑らず、下図に示すように、歪みが溜まっていきます。
数百年に亘って蓄積された歪みが解放されて起きたのが3/11地震。


021802.jpg




http://www.jamstec.go.jp/chikyu/magazine/j/special/no14-1/index.html
022101.jpg

しかし

「津波プレート跳ね上がり説」を否定する意見もあった。

海溝付近ではプレートのくっつきが弱く、ひずみを普段から解放し、断層はずれないという説。

探査船ちきゅう号の調査結果は「津波プレート跳ね上がり説」を否定するものだった。

探査船ちきゅう号が、水深6900mの海底下850mまでの掘削調査を行い、
ずれ動いたとみられる層を見つけた。

ずれ動いたとみられる層は「すべりやすい粘土層」。
層の厚さは最大で5m程度。
粘土の中でも摩擦が小さく、ずれやすいスメクタイトという鉱物が多く含まれていた。


ちきゅうが調査した場所は、
ずれ動いた震源域の中でも、「とくにずれが大きい場所」
=「第二のすべり」が発生した場所(深さ7kmのプレート境界付近)

(ちきゅうは今年4~5月、宮城県・牡鹿半島沖220キロで掘削を行った。
ここは日本海溝の西側で、海底下に太平洋プレートと北米プレートの境界がある。
境界がずれ動いた震源域の中でも、とくにずれが大きい場所。)

「第二のすべり」が発生した場所は「すべりやすい粘土層」だった。
「第二のすべり」が発生した場所は、くっつきが弱く、ひずみを普段から解放していた。)

従って
ひずみが蓄積してプレートが跳ね上がり、「第二のすべり」が発生したという説は否定される。

数百年にわたって、蓄積された歪が、地震がきっかけで、一気に開放されたという説=「津波プレート跳ね上がり説」はありえない。

それでは何が、
爆発的な破壊をもたらし、
大津波を発生させ
300km上空まで、大気の波を発生させたのか?

もはや
人工的な爆発しかありえないでしょう。




022104.jpg



http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/environment/585103/
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http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20120820-OYT1T00697.htm
大震災、海溝付近で断層のズレ発見…定説覆す

巨大地震

 東日本大震災(マグニチュード9・0)によって、これまで地震時に断層がずれると考えられていなかった海溝付近で、複数の断層が新たに作られ、プレート(岩板)の破壊が海底まで到達していたことを、海洋研究開発機構の小平秀一上席研究員らがみつけた。

 海溝型巨大地震に伴う地下構造の変化を詳細にとらえた成果で、19日の科学誌ネイチャー・ジオサイエンス電子版に掲載された。

 東日本大震災は、地下の深いところにある、陸側の北米プレートと海側の太平洋プレートの境界の断層のずれで起きたとされる。
プレートのくっつきが強く、ひずみがたまっていた。これに比べ、海溝付近ではプレートのくっつきが弱く、ひずみを普段から解放し、断層はずれないというのが定説だった。




http://members.jcom.home.ne.jp/mikedo/news_Geology_Tikyuu.htm

津波、粘土層がずれ発生? 東日本大震災 探査船が調査(asahi.com)よりH24.09.21紹介
 東日本大震災は、なぜあれほど大きな被害をもたらしたのか。答えの手がかりになる粘土の地層が、地球深部探査船「ちきゅう」による震源域の掘削で見つかった。プレート境界が50メートルもずれて巨大津波が起きたのは、この地層が原因の一つだった可能性がある。
 ちきゅうは今年4~5月、宮城県・牡鹿半島沖220キロで掘削を行った。ここは日本海溝の西側で、海底下に太平洋プレートと北米プレートの境界がある。境界がずれ動いた震源域の中でも、とくにずれが大きい場所で、巨大津波を起こした。
 堺市で17日まで開かれた日本地質学会で、掘削試料の分析結果を発表した筑波大の氏家恒太郎准教授らによると、水深6900メートルの海底下850メートルまで掘り進めたら、821メートル付近で、ずれ動いたとみられる層が見つかった。


査船「ちきゅう」、震災震源の地層を回収(asahi.com)よりH24.05.26紹介
 地球深部探査船「ちきゅう」を使い、東日本大震災を起こした震源域の海底のボーリング調査をしていた海洋研究開発機構は25日、調査航海を終えたと発表した。宮城県の220キロ沖で、地震が起きた場所と見られる太平洋プレートと北米プレートの境界の地層を回収できたという。
 宮城沖の水深約6900メートルで約850メートルまで掘削することに成功したという。今後、回収した地層に含まれる岩石の分析と、プレート境界の滑りやすさなどを調べ、巨大地震が起きたメカニズムを探る。プレート境界で地震後に発生した摩擦熱を調べる温度計の設置は、悪天候や水中カメラの故障などで断念し、今夏に再び挑戦するという。
海面下7740m…「ちきゅう」が掘削最深記録(読売新聞)よりH24.04.29紹介
 海洋研究開発機構は27日、日本海溝付近の海底を調査している地球深部探査船「ちきゅう」(5万6700トン)のドリルが海面下7740メートルに達し、海洋の科学掘削としては世界最深を更新したと発表した。
 ちきゅうは、東日本大震災で巨大津波を起こした海底の震源域を調査するため、今年4月に静岡県の清水港を出発。宮城県・牡鹿半島の沖約220キロに停泊し、先端にドリルをつけたパイプを下ろしていった。水深6883・5メートルの海底に着いた後、センサーで地層の放射線などを測りながら海底下856・5メートルまで掘り抜き、海面下7740メートルに到達した。
 海洋の科学掘削では、米国船が1978年にマリアナ海溝で達成した7049・5メートルがこれまでの最深だった。
ちきゅう:震源解明に挑む 水深6910mを掘削(毎日新聞)よりH24.04.14紹介
 海洋研究開発機構(神奈川県横須賀市)の地球深部探査船「ちきゅう」(約5万6700トン)が、宮城県牡鹿半島の約220キロ沖で、東日本大震災をもたらした巨大地震のメカニズムを探るため、震源掘削に向けた作業を進めている。11~13日に乗船取材した。調査は5月24日まで続く。
 地震後間もないプレート(岩板)境界の断層(海底下約850メートル)を掘り抜く世界で初めての試み。ここ数日は、強風やしけが続いたため作業が遅れ、掘削開始は今月15日ごろになる見通し。水深6910メートルの海底で最初の掘削を始め、海底下1000メートルまで掘り進める。
 船上では、技師らが海底の状態を見る水中カメラをワイヤで海中に下ろしたり、地殻の岩石の性質を分析しながら掘り進めるドリルパイプの設置準備をしたりしていた。研究者たちは断層近くに埋める温度計の点検などを行った。
 10カ国28人の研究チームを率いる共同首席研究者のジェームズ・ジロウ・モリ京都大防災研究所教授(地震学)は「地震学、地質学、海洋科学の専門家を集め、この地震で実際に何が起きたかを突き止めて社会に説明する責任がある」と語った。
新型の海洋資源調査船を公開=2種の掘削装置搭載-石油ガス機構(時事通信)よりH24.03.24紹介
 独立行政法人、石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)は21日、海洋資源の探査、開発を行う新型調査船「白嶺(はくれい)」(6283トン)を公開した。2種類の大型掘削装置に加え、最新鋭の調査機器を搭載。エネルギー資源獲得の重要性が増す中、次世代ガス資源「メタンハイドレート」をはじめ、日本近海に豊富に存在するとされる海洋資源の調査を加速する。
南海トラフ:巨大地震の巣探る 7キロ掘削、岩石調べ津波予測--高知大など研究チーム /高知(毎日新聞)よりH24.02.29紹介
 国内の地質学者や地球物理学者らの共同研究チームが今秋、南海地震震源域の南海トラフ海底を約7キロ掘削して岩石を採取する調査を行う。岩石を分析することで南海地震がどれぐらいの巨大津波を引き起こすかを調べる。
 研究チームは東大や京大、高知大などの研究者約70人が参加。調査の詳細は高知大で28日開幕する「プレート沈み込み帯の巨大地震に関わる国際研究集会」で発表する。
 調査は海洋研究開発機構の地球深部探査船「ちきゅう」を使い、9月19日~来年1月31日に実施。和歌山・紀伊半島の南東沖約120キロの海底に掘削装置を下ろして海面から約10キロ下まで掘り進み、フィリピン海プレートの岩石を取り出す。
 採取した岩石の性質や強度を調べることで、南海地震発生のメカニズムや前兆現象、地震発生帯周辺の水圧などを明らかにしていく。
 研究チームの1人、高知大の橋本善孝准教授=理学=は「南海トラフの掘削は科学史上初めて。断層に何が起きて巨大地震や大津波が発生するのか、明らかにしていきたい」と話している。



http://fanblogs.jp/anmari/archive/190/0
堺市で17日まで開かれた日本地質学会で、掘削試料の分析結果を発表した筑波大の氏家准教授らによると、水深6900mの海底下850mまで掘り進めたら、851m付近で、ずれ動いたとみられる層が見つかった。

層の厚さは最大で5m程度。
粘土の中でも摩擦が小さくずれやすいスメクタイトという鉱物が多く含まれていた。

→ 東海・東南海地震の震源地とされる地域にもあるのだろうか?

実際にずれていたら、摩擦熱による温度上昇があった可能性があり、「ちきゅう」を運用している海洋研究開発機構は、温度計を設置した。



プレート跳ね上がり地震

イラストにあるように、海側の太平洋プレートとフィリピン海プレートは、もぐりこみながら、日本の大部分がのっている陸側の北米プレートとユーラシアプレートを一緒に引きずっていきます。
よって陸側の北米とユーラシアプレートは圧縮されたり引っ張られたりします。
 限界に達すると岩盤が割れて破壊が起こり、ゴムが放たれるように元の位置に戻ろうとします。
その巨大な跳ね上がりは、上にある海水を動かし津波を発生させます。
これを、プレート境界型地震(または海溝型地震)といいます。


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東日本大震災発生(14時46分18秒)の60秒後の爆発が大津波を起こした。

東日本大震災直発生時(14時46分18秒)の地震を
「第一のすべり」。


東日本大震災直発生から60秒後の地震(14時47分18秒)を
「第二のすべり」
とする。

前回のブログで60秒後に発生した「第二のすべり」は「第一のすべり」の影響で起こったのではない。

「第二のすべり」は「第一のすべり」と関係なく発生したと書きました。

http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-2364.html


それでは「第二のすべり」の特徴はどのようなものであったか?

「第二のすべり」の特徴を知ることが大津波発生の謎を解く鍵となる。


井出哲東大准教授が「第二のすべり」の特徴を下記のように報告している。

東日本大震災発生(14時46分18秒)の約60秒後のすべりの特徴。

① 海溝の岩盤を一度に破壊するような大きなすべり。

② 上方(東向き)から下方(西向き)へと破壊すべりの進行方向転換が起きた。
 (プレート境界を深部から、陸地に向かって進展し、約90秒で海岸線近くに達する。)

③「第二のすべり」に伴う海底面の変動が巨大津波を引き起こした主要因である。

④「第二のすべり」の発生した深さは7キロ。
(震源の深さは、平均海水面(標高0m)からの深さをいいます。)



つまり

「第二のすべり」の特徴は

岩盤を一度に破壊するすべり。
→「第二のすべり」は「第一のすべり」とは全く関係なく発生し、突然に岩盤が一度に破壊した。

「第二のすべり」は破壊の進行方向を逆転させた。

原因もなく、岩盤が一度に破壊し、地震の方向を逆転させる自然現象はありえない。

岩盤を一度に破壊させ、地震の方向を逆転させるという現象
→爆発(核爆発)があったとしか考えられない。




また

「第二のすべり」の発生した深さは7キロ。

震源の深さは、平均海水面(標高0m)からの深さをいいます。

震源の深さが7kmと発表されているので、水深7000mの海底で地震が発生したとすると、海底からの深さは0kmということ。

つまり

「第二のすべり」は海底0mで発生したことになる。
→海底0mだとすれば、核爆発を起こすのに、海底掘削を行う必要はない。



海溝付近の断面図から、深さ7キロに爆発物を仕掛けるのに掘削する労力は、ほとんど必要ない。

http://www.jamstec.go.jp/j/about/press_release/20110428/
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14時46分18秒に「第一のすべり」が発生した。
発生後に破壊は西から東へと進んでいった。
50秒前後から「第二のすべり」が発生。
「第二のすべり」が発生直後から、破壊が東から西へ逆転し始める。


http://www.iwate-np.co.jp/311shinsai/y2012/m01/sh1201221.html
021703.jpg


地震の時間経過は「第二のすべり」は「第一のすべり」の影響を受けていないことを示している。
1 311震源地ー14時46分18秒
2 津波発生ポイントー14時47分18秒
3 311地震セントロイドー14時47分31秒

破壊の速度は秒速0.53km
→311震源地からセントロイド震源場所まで38kmを73秒かかった。
そのとき
70km以上離れた津波発生ポイントでは、既に破壊が始まっていた。

021402.jpg

地震による破壊は西から東に向かって拡大していった。
ところが
「第二のすべり」の直後から破壊の方向が逆転した。

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http://www.kyoshin.bosai.go.jp/kyoshin/topics/TohokuTaiheiyo_20110311/inversion/
211702.jpg


http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/12.html
2011/5/20
東北沖地震の二面性

— 浅部のすべり過ぎと深部の高周波震動 —
発表者
井出 哲 (東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻 准教授)
発表概要

東北地方太平洋沖地震の破壊プロセスを地震波の分析により解明した。 地震はプレート境界浅部では、海溝まで達する大きなすべりを引き起こし、さらにすべり過ぎることにより巨大な津波を発生させた。 一方で人が感じるような高周波の地震波(ガタガタ震動)はむしろプレート境界深部から放射された。 この奇妙な二面性は、地震発生プロセスの理解にとって重要である。

発表内容


図1:3つの観測点における本震と前震の観測波形の比較。右は左の図の時刻0周辺の拡大図。本震のほうがむしろゆるやかな立ち上がりである。
拡大画像

図2:破壊プロセスの分析結果。左は最終的なすべり量、右は6つの時刻でのすべり速度の分布を表す。左図の下に全体的な時間変化を示す。左図白い線が海溝の位置。
拡大画像

図3:4つの段階の概念図
拡大画像

図4:高周波波動とすべりの分布。右図のすべり分布中に各色で示した時刻(単位は秒で地震発生時がゼロ)に放出されたS波が各観測点に到達する時刻を左図に線で示す。
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3月11日の東北地方太平洋沖地震(以下東北沖地震と略す)は、日本史上最大のマグニチュード9という規模で東日本一帯を襲い、広範囲での揺れと巨大な津波によって日本社会に大混乱を巻き起こしている。地震発生時に、海底下の岩盤で破壊すべりはどのように進行したのか?これを解明することは、今回の地震による災害から未来への教訓を得るために、まず解決しなければならない問題である。当研究室は米国スタンフォード大学と共同で世界各地の地震波データを解析し、東北沖地震の全体的な破壊プロセスを解明した。その結果からは、マグニチュード9という近代地震学史上も希な巨大地震であるがゆえの、研究者も驚くような一種異様な二面的振る舞いが浮かび上がってきた。

今回主に用いたのは全世界のデジタル地震観測網で観測された地震波記録である。図1はその記録の例であり、3月11日の本震とその2日前に発生したマグニチュード7.3の前震の波形を比較している。この比較から最初の奇妙な点として、前震の地震波より本震の地震波の方がゆるやかに始まっていることに気づく(図1)。本震は約3秒の間、ためらいがちに破壊し始めたのである。

さらに分析を進めた結果、破壊すべりは次のように進行したことがわかった(図2がデータ、図3が概念図)。最初の3秒の初期破壊(①)の後、次の40秒間はプレート境界深部、陸地方向へ向かって破壊すべりが進展する(②)。このときに宮城県を中心に最初の大きな地震波が到達する。一方プレート境界浅部ではこの時点まではあまり破壊すべりが進行していないが、約60秒に一番浅い部分、つまり海溝の岩盤を一度に破壊するような大きなすべりが起きる(③)。このすべりに伴う海底面の変動が巨大津波を引き起こした主要因である。その直後、破壊すべり(注1)はプレート境界を深部へ、陸地に向かって再び進展し、約90秒で海岸線近くに達する(④)。つまり上方(東向き)から下方(西向き)へと破壊すべりの進行方向転換が起きるのである(注:すべる領域が変化するのであり、陸側が海側に乗り上げるという運動は変化しない)。これもあまりこれまでに報告例の少ない奇妙な振る舞いである。最大すべり量は30メートル(数値には倍半分程度の不確定性あり)である。大きなすべりの領域を取り囲むように余震が起きていて、これは東北沖地震に限らず巨大地震一般でよく知られた観察事実である。但し大きなすべりの領域は地震発生直後の報道で伝えられたほど大きなものではなく、むしろ海溝近傍に集中したコンパクト(それでも差し渡し300キロメートル超)なものである。

地震に伴う災害は主に津波によって引き起こされた。その津波を引き起こしたのが③の海溝付近の大きなすべりである。このすべりは地震以前に蓄えられていた力を100%解放するだけでなく、さらに「すべり過ぎ」るほどすべったために、大きな津波を引き起こした。これがダイナミックオーバーシュート(動的過剰すべり)と呼ばれる現象である。東北沖地震のダイナミックオーバーシュートはもうひとつの奇妙な現象となって現れている。沈み込み帯の地震ではプレート境界をはさんで陸側が海側に乗り上げる(逆断層地震)。その反対、陸側が海側に対してずり落ちるような地震(正断層地震)はまず起きない。ところが地震直後マグニチュード6程度の正断層地震が2つ発生した(図2)。すべり過ぎた分のおつりとしてずるずるっと戻ったようである。このような報告例は未だかつてない。今回ダイナミックオーバーシュートがいかに大きかったかが示唆される。

4つの段階のうち①と③は主にプレート境界浅部、②と④は深部で起きた。日本列島で観測された地震波のうち特に、体に感じるようなガタガタという高周波の地震波はこのうち②と④の深部の破壊すべりからしか放射されていない。これは各地への地震波到達タイミングから明らかである(図4)。そして海溝近傍での最大のすべりからはこのような地震波はあまり放出されなかった。これが東北沖地震の性質を決定づける二面性である。

東北沖地震は、浅部での静かだが大きなすべりと深部でのガタガタすべりの共存する現象であった。このことは今後の、沈み込むプレート境界での地震の発生パターンを予測する際の鍵をにぎる。基本的には、このすべりの性質の違いは境界面の摩擦特性と応力場の特徴を反映したものであろう。但し両者が互いに影響するかしないかで起きる地震の振る舞いは大きく異なる。東北沖地震は、深部のガタガタすべりが浅部の静かなすべりを誘発したかもしれない。両方が存在したために全部まとめてみると普通の地震に見える点も奇妙である。(一方浅部の静かなすべりだけが起きた地震として知られているのが1896年明治三陸地震(マグニチュード8程度)、深部のガタガタすべりだけが起きる地震で有名なのは釜石沖で何度も起きている繰り返し地震、東北沖とは逆に浅部が深部を誘発したのが1994年三陸はるか沖地震、とその起こり方は多様である。)プレート境界の性質に対するこのようなイメージはこれまでにも漠然と考えていた研究者はいるだろうが、まだ十分理解されていない。今後重要な研究対象となるだろう。

東日本大震災の大津波は突然、奇跡的なタイミングで発生した。

「2つの大きなずれ」が10数秒差、
70km~80km離れた距離で発生。

その最悪のタイミングの結果
大津波がさらに大きなものになった。

「第一のずれ」の最大地震波
→14時47分31.2秒(震源セントロイド)

「第二のずれ」
→14時47分18秒



①東日本大震災は14時46分18秒、「第一のずれ」が発生
北緯 38度6分12秒→N38.1033
東経 142度51分36秒→E142.86

② 「第一のずれ」による破壊が拡大していく。

③ 14時47分31.2秒に、「第一のずれ」による破壊が38km離れた震源セントロイド
(北緯37度48.8分 東経143度02.5分)に到達。
  震源セントロイド(地震波をもっとも強く出した場所)に到達

④ 一方 14時47分18秒、震源セントロイドから70km以上離れた場所
=津波発生ポイントで、突然大きな「第二のずれ」が発生。深さ7キロの浅い場所。
(「第一のずれ」が震源セントロイドに到達する10数秒前。)



震央(北緯38.322°、東経142.369°、アメリカ地質調査所による)から、約170km南東にずれた場所は海底津波計等で推定された津波の最初の隆起ポイント
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011005.jpg

このことから

「第二のずれ」は「第一のずれ」に誘発されていない。
「第二のずれ」は「第一のずれ」の影響を全く受けていない。
「第二のずれ」は「第一のずれ」とは全く関連していない。

ところが

東京大の井出哲・准教授ですら、勘違い。
→東京大の井出哲・准教授は「第二のずれ」は「第一のずれ」に誘発されたとしている。
以下引用↓
「まずプレート境界沿いの深さ20キロ付近で最初のずれが発生。深さ40キロ付近まで伝わった。これに誘発される形で約60秒後に深さ7キロの浅い場所で第2のずれが発生。」

「第二のずれ」は「第一のずれ」に誘発されていない。

「第二のずれ」と「第一のずれ」はたまたま偶然60秒の時間差で発生しただけである。
(二つの「大きなずれ」が奇跡的に重なった。)

また
「第一のずれ」は14時47分31.2秒に、震源セントロイドで最大の地震波を出した。
だが、「第一のずれ」は高度300kmにも到達した大気の波を発生させなかった。

一方

「第二のずれ」は最大級の地震波を放出したという記録は残っていない。
→「第二のずれ」のマグニチュードはたいしたものではなかったが、瞬間的な爆発力があったのだと思われる。

だが、「第二のずれ」による津波発生の衝撃は高度300kmにも到達した大気の波を発生させていた。


なぜ「第二のずれ」の原因の追究が一切行われていないのか?

それは「第二のずれ」が「第一のずれ」に誘発されて起こったものだと、学者ですら思い込んでしまってしまったから。

「第二のずれ」が「第一のずれ」に誘発されたものでないと気がつけば、「第二のずれ」の原因の追求にも関心が向いてくるはずである。

大津波を発生させ、さらに高度300kmにも到達した大気の波をも発生させた「第二のずれ」が突然、「第一のずれ」よる影響を全く受けずに発生した。

「第二のずれ」の発生原因が、奇跡的な偶然により起こったと考えるより

「第二のずれ」が「第一のずれ」の発生にタイミングを合わせた人工的な強力な爆発によると考える方が、最も合理的な思考だと思うし、誰もがそう思うはずである。






http://www.scat.or.jp/scatline/scatline89/pdf/scat89_nictnew.pdf
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TEC観測によると
震央(北緯38.322 東経142.369、アメリカ地質調査所による)から170km南東にずれた場所
を中心に、地震の約7分後から電離圏で波が現れ始め、同心円状に広がっていました。

私たちは、この同心円の中心を「電離圏震央」と名付けました。
この電離圏震央=170km南東にずれた場所は、海底津波計等で推定された津波の最初の隆起ポイントとほぼ一致していました。


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約60秒後=14時47分18秒~20秒に一番浅い部分、つまり海溝の岩盤を一度に破壊するような大きなすべりが起きる。
このすべりに伴う海底面の変動が巨大津波を引き起こした主要因
約60秒後に深さ7キロの浅い場所で第2のずれが発生。約30秒かかって深さ40キロまで達した。この第2のずれの発生によって、地震の規模が大きくなった。)


http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG1902V_Z10C11A5CR8000/

プレート境界が2度ずれ巨大化 東日本大震災
東大准教授解明「従来モデル逸脱」

 東京大の井出哲・准教授は19日、3月11日の東日本大震災がマグニチュード(M)9.0と巨大になった一因を解明したことを明らかにした。プレート(岩板)の境界面で深さ方向に2段階にわたり地震が起こったことで大規模なプレートのずれに至った。境界面が強く固着した部分にひずみがたまる従来のモデルでは説明できない現象で、研究の見直しが必要になるとしている。

 研究成果は米科学誌サイエンス(電子版)に20日掲載される。

 米国や欧州など海外で観測された地震波データをもとに解析。まずプレート境界沿いの深さ20キロ付近で最初のずれが発生。深さ40キロ付近まで伝わった。
これに誘発される形で約60秒後に深さ7キロの浅い場所で第2のずれが発生。約30秒かかって深さ40キロまで達した。この第2のずれの発生によって、地震の規模が大きくなった。

 第2のずれの際、プレートが本来蓄えられていたひずみのエネルギーと比べ、それ以上に大きくずれる「動的過剰すべり」と呼ばれる現象が起きていたことが分かった。この現象は理論的には予想されていたが、実際に観測されたのは今回が初めて。岩手県沿岸などを襲った津波が巨大化した原因となった。

 これまでの地震研究では、プレート境界面の中で強くくっついている固着域と呼ばれる部分にたまったひずみが解放されることで地震が起きると考えられている。だが今回のように2段階で大きな地震に至った現象は、「従来のモデルでは説明できない」(井出准教授)としており、地震発生の新たなモデルが必要になるとしている。





http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2011/12.html
さらに分析を進めた結果、破壊すべりは次のように進行したことがわかった(図2がデータ、図3が概念図)。最初の3秒の初期破壊(①)の後、次の40秒間はプレート境界深部、陸地方向へ向かって破壊すべりが進展する(②)。このときに宮城県を中心に最初の大きな地震波が到達する。一方プレート境界浅部ではこの時点まではあまり破壊すべりが進行していないが、約60秒に一番浅い部分、つまり海溝の岩盤を一度に破壊するような大きなすべりが起きる(③)。このすべりに伴う海底面の変動が巨大津波を引き起こした主要因である。その直後、破壊すべり(注1)はプレート境界を深部へ、陸地に向かって再び進展し、約90秒で海岸線近くに達する(④)。つまり上方(東向き)から下方(西向き)へと破壊すべりの進行方向転換が起きるのである(注:すべる領域が変化するのであり、陸側が海側に乗り上げるという運動は変化しない)。これもあまりこれまでに報告例の少ない奇妙な振る舞いである。

http://www.niitsuma-geolab.net/archives/1873
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セントロイド
北緯37度48.8分
→N37.8133
東経143度02.5分
→E143.0416

初動震源
北緯  38度6分12秒
→N38.1033
東経    142度51分36秒
→E142.86

アメリカが言っている震央
 N38.322
E142.369


セントロイド
地震を起こした断層面の中で、地震動を最も放出した部分を示します。
これは、断層が最も大きく動いた部分であると考えていただければよいかと思います。
これは気象庁が普段発表している「震源」とは意味が異なるものです。
震源というのは、断層運動が始まった地点を示したものですので、震源とセントロイドは普通一致しません。







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