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オウム事件の真相は解明されていない。

教団内で通称「尾崎ビデオ」と呼ばれるビデオが作られた。タイトルを『戦いか破滅か』という。法皇官房が企画、究聖法院が実際の制作にあたったものだったと思う(郵政省はタッチしていないはずだ)。このビデオは、1994年から1995年の教団の方向性を決めたきわめて重要なビデオ

尾崎豊の死の原因がアメリカにある、という内容から始まるこのビデオは、別名「反Aビデオ」とも呼ばれていた。この「A」とはアメリカのこと。まもなく日米戦争が始まり、アメリカが日本を再占領、そして日本人を滅ぼそうとしている、というプロパガンダビデオである。日本はすでにアメリカのコントロール下にあり、アメリカは「影の世界政府」の支配下にある。影の世界政府は世界人口30億人の大虐殺計画を持っており、その作戦の一貫として、日本を滅ぼそうとして攻撃してくる。尾崎はその計画に都合が悪いので暗殺された。そして、その「影の世界政府」・アメリカの攻撃には対抗して戦わなければならない。アフガニスタンやヴェトナムやキューバのようにレジスタンスを繰り広げなければならない。そして、その戦いを率いる救世主は、日本に現われる……(それが誰かはいわずもがな)……という内容

影の世界政府=フリーメーソン=ユダヤの陰謀、という連鎖になるわけだが、この「反Aビデオ」・省庁制(法皇官房体制)がこの時期の教団を大きく変えた

あくまでも敵はアメリカや影の世界政府であり、「この日本に僕たちを勝利に導く魂があらわれる」とされているのである。つまり、日本の破滅を食い止めるために、日本のために戦うのがオウム真理教だと規定されていた.

日本でクーデターを起こそうとしていたとか、日本政府や日本人を敵視していたという感覚はまったくなかったのだ。アメリカの手先となってしまっている公安という認識はあったが、オウムは日本を守るためにある。

「オウムは日本を守るためにある」と考えていた彼らが、何故、地下鉄でサリンをばら撒いたのでしょう?
マスコミで言われるように、本当に日本政府の転覆を考えていたのなら、議員たちのいる国会や、実質的に日本を動かしている官僚たちのいる官庁で仕掛けるものでしょう。要職に就いている人間は、たいてい地下鉄なんかで通勤しないはずです。

本当に日本政府の転覆を考えていたのなら、議員たちのいる国会や、実質的に日本を動かしている官僚たちのいる官庁で仕掛けるものでしょう。要職に就いている人間は、たいてい地下鉄なんかで通勤しないはずです。
それに、日本人を殲滅しようとするなら毒物を自前のヘリで空から撒くか、水道の水に混入すればいい。また、サリンじゃなくても原発に入り込み炉心を暴走させれば核兵器を使用したのとほぼ同じ効果を得ることができます。(目的は違いますが実際にオウムは多くの信者を原発に労働者として送り込んでいました。)
霞ヶ関まで行って、わざわざ一般市民を巻き込む必要性はまったくありません。

マスメディアの大勢は、一九九五年三月二十日の地下鉄サリン事件で、突然大騒ぎになったということになっている。
ところが、あとで知るところによると、前の日の日曜日には多数の警察官が朝霞の自衛隊施設で防毒マスクの装着訓練をやっていた。警察幹部は、少なくとも何者かが、近く毒ガス散布を決行することを察知していた

午前八時ころに事件発生、証拠物を警察が入手したのが九時だとして、それを大宮の自衛隊化学学校に運んで仕分けしたともいわれているが、裁判では警視庁科学捜査研究所の技師が分析・鑑定したとされている。いずれにしろ午前十一時の警視庁寺尾捜査一課長記者会見におけるサリン断定は、あまりにも手際が良すぎる。

しかも、前年の九月には、松本サリン事件はオウムの犯行だという怪文書が出回っていたというではないか。そのうえ九五年一月一日の読売新聞を始めとして複数のマスメディアは、富士山麓のオウム施設周辺において、サリンの痕跡が警察によって分析されたと報道している。警察は何をしていたのか? 三月二十日を本当に防ぐ気は、なかったのではないか。

だいたいオウムが、本当にサリンを作っていたのかという疑問もある。第7サティアンの器械装置では、本格的なサリン合成は無理だと言われている。

サリンが入っていたという袋も、サリンの残留物も、法廷では明らかになっていない。押収・仕分け・鑑定の過程の写真さえきちんと提出されていないと聞く。袋は、病院で点滴に使うようなものという話も出たが、それを誰がどこから調達してきたのかなども、これまでの別の裁判だったら必ず問題になった点だろうに、今回は全く出てこない。

地下鉄車内での薬品収納容器は、袋ではなく箱型のものという話も沢山あり、乗客がビンの割れるような音を聞いたという話もある



刺殺事件の直前にテレビに出演した村井が、ふたつの重要な秘密について口をすべらせかけたことは前回の記事の中でも述べた。つまり1000億円という途方もない資金の所在についてと、地下鉄サリン事件で用いられた毒ガスは、じつはサリンではなかった、という驚くべき証言である。

製造元が違うということが明らかにされれば、その製造元がどこか、どこの国かが問題にされるだろう。これは、当の製造国だけにとどまらず、日本政府にとっても利害関係は奇妙に一致していた、と考えざるを得ないのである。

それが国内で製造されたものではない、とされれば、製造国、搬入ルート、入手ルート、さまざまな部分が一挙に複雑になり、国際謀略の壁にぶつかってしまうことは必至である。オウム真理教第7サティアンのサリン・プラント設備では、高純度のサリン製造が不可能とされつつも、この問題が曖昧な形で封印されているのは、どうやらそのあたりに原因がありそうである。



平成5年の春頃、三橋はある宗教ウォッチャーと雑談して、話がオウム真理教に及んだとき、その人は、「オウムは統一協会の仏教部です」といった。その頃の三橋はオウムには全く関心がなかったが、彼が「会員や信徒が500人以上いる宗教団体には、決まって隠れ統一協会員が入っているか、入ろうとしていますよ」と言い添えたことは記憶している。

忍者のような彼らは、最初は熱心な信者であり、幹部の注目を惹く。やがて抜擢されて、教団の出版部とか事業部とかに入る。

いったんそこに入ったら、教祖や幹部の思惑を越えて、いろんなことをやり出す。そしてその教団はガタガタになる。

統一教会はCIAの下請け組織KCIAのフロント機関であり、北朝鮮・金政権の最大の支援者です。そして、ブッシュ政権の支持母体であるキリスト教福音派の一員。

早川は元統一教会の信者だったが、阿含宗に入信していた。

早川が麻原と初めて会ったのが、阿含宗の信者時代。

麻原が阿含宗を辞めると、早川も後を追うように退会。麻原が「神仙の会」を結成すると早川も入会し、87年に同会が「オウム」と改称した時に、早川も妻と共に出家し、麻原の側近になっている。

麻原が宗教ビジネスを思いつく天才なら、早川はそれを具体的にきちんと実行する名参謀。2人がオウムを作った。

オウム真理教の起源は、1984年に麻原彰晃が開いた“オウム神仙の会”というヨガ団体でした。
このヨガ団体結成当初からいた、上祐史浩、村井秀夫、早川紀代秀、石井久子、井上嘉浩が教団の中核.

オウム事件の真相を解明する鍵を、私は早川、村井、上祐という3人の最高幹部による権力闘争の中にあると考えている。

中でも地下鉄サリン事件以前の教団膨張期、即ち麻原の妄想がどんどん広がり、それに伴って教団の勢力とハルマゲドンが拡大していった時期にあって、“最大の功労者”は早川であった。


平成二年(一九九〇年)二月、麻原彰晃は「真理党」を組織し、二五名が総選挙に打って出るが、惨敗する。この総選挙出馬は、早川紀代秀の案によるもので、当時は幹部の上祐史浩らが猛反対したと伝えられるが、早川が押し勝つ。この選挙惨敗によりオウム真理教は、「米びつに米一粒さえもなくなった」(元信者の話)というほどの経済的打撃を受ける。

ところが、資金ゼロのはずのオウムが、その年の五月には熊本県波野村に六ヘクタールの土地を購入。そして翌年平成三年にはロシアを訪問、エリツィン大統領の側近のロボフ氏に面会して、有名な「ロシア日本大学」構想をぶち上げる。

資金ゼロのオウムがいったいどこからそのカネを持ち出したのかということである。立証はされていないが、統一教会が五〇億円を出したといわれている。だが当時、統一教会にそんなカネがあったのだろうか。

「文鮮明が池田大作にたのんで五〇億円を出させ、そのうちの三〇億円をオウムに渡したといわれる。なぜオウムにカネを渡したのか--それは、創価学会の最大の敵をオウムの力で叩かせるつもりだったのだ。」(信頼できる事情通の話)

オウムの施設が林立する上九一色村という所は、日蓮正宗総本山・大石寺から直線距離にして三キロの位置にある。当時、日蓮正宗と創価学会は激烈な宗教戦争を行なっていた。

この早川紀代秀は、ロシア射撃ツアーを企画したり、軍事訓練を受けたりと、非常にロシアに接近している。麻原オウムがロシアに接近しようとした最初のヒントは、恐らくはこの早川紀代秀によるものだろう。

石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。

「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
これは、オウムが統一教会を取り込んだというより、両者の力関係から言って、統一教会が何かの理由で看板を架け替えたのでしょう。

捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、「オウム真理教内の統一教会信者名簿」があった。

早川が教団に引っ張ってきたメンバーは、不動産から殺人兵器まで資材を調達するプロをはじめ、信者の獲得や煽動、まとめ役の第一人者、闇の世界に精通し、多彩な人脈を持っている者、出所不明の多額の資金を集めて来る者…など、いずれも“百戦錬磨”の強者ばかり。

この早川グループの面々は、リーダーの早川同様、地下鉄サリン事件などの現場には決して顔を見せず、松本、地下鉄両サリン事件の発生直後、2回に分かれて大量脱会.

松本、地下鉄両サリン事件後、大量脱会したオウム信者のほぼ全員が統一教会の脱会者で、中核は元自衛官を含む十人前後。

早川グループがロシアなどから買い集めてきた大量の武器の行方が、全く分からないまま.

オウム真理教は既に力を失い、残った信者たちは社会の片隅で息を潜めている状態ですが、オウムの背後に潜み操っていたと思われる統一教会や創価学会は健在であり、むしろますます勢力を強めている感があります。
彼らは、銃器のみならず、生物化学兵器や核兵器さえ持っている可能性すらあります。
そして、政治家の体質も、変わったようで変わらず、暴力団やアメリカとの関係も相変わらずです。
そしてそして、北朝鮮は更に追い詰められ、金正日の焦燥は日ごとに募るばかり…。






http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061013

オウム事件の背後に潜むもの
■日本の闇を探る① 10:19

オウムはなぜ霞ヶ関を狙ったのか?
これからしばらくは『日本の闇を探る』と題したシリーズを書いていきます。
これは『安倍晋三と日本の闇』の続編となりますので、まだ読まれていない方は事前にご一読ください。
さて、私がこのシリーズを書こうと思ったのは、元オウム信者、松永英明氏のブログ『オウム・アレフ(アーレフ)の物語』から当ブログの『オウム真理教の怪文書①』『オウム真理教の怪文書②』『オウム真理教の怪文書③』にリンクが貼られたことに端を発します。
私の関心は“世界を動かす仕組み”にあり、その中心にいる“国際金融資本”にありましたので、オウム真理教事件についての関心は、ごく普通の一般的な興味を越えるものではありませんでした。ですから、ここからは“にわか調べ”ですので、確信の持てない情報も多少含まれていることをあらかじめご了承ください。
では、まず『オウム・アレフ(アーレフ)の物語』から抜粋して引用します。
尾崎ビデオ

このころ、教団内で通称「尾崎ビデオ」と呼ばれるビデオが作られた。タイトルを『戦いか破滅か』という。法皇官房が企画、究聖法院が実際の制作にあたったものだったと思う(郵政省はタッチしていないはずだ)。このビデオは、1994年から1995年の教団の方向性を決めたきわめて重要なビデオである。教団の暴走を知るには、このビデオをもう少し検討すべきではないかと思う。

尾崎豊の死の原因がアメリカにある、という内容から始まるこのビデオは、別名「反Aビデオ」とも呼ばれていた。この「A」とはアメリカのこと。まもなく日米戦争が始まり、アメリカが日本を再占領、そして日本人を滅ぼそうとしている、というプロパガンダビデオである。日本はすでにアメリカのコントロール下にあり、アメリカは「影の世界政府」の支配下にある。影の世界政府は世界人口30億人の大虐殺計画を持っており、その作戦の一貫として、日本を滅ぼそうとして攻撃してくる。尾崎はその計画に都合が悪いので暗殺された。そして、その「影の世界政府」・アメリカの攻撃には対抗して戦わなければならない。アフガニスタンやヴェトナムやキューバのようにレジスタンスを繰り広げなければならない。そして、その戦いを率いる救世主は、日本に現われる……(それが誰かはいわずもがな)……という内容だ。

<中略>

影の世界政府=フリーメーソン=ユダヤの陰謀、という連鎖になるわけだが、この「反Aビデオ」・省庁制(法皇官房体制)がこの時期の教団を大きく変えたと思う。もちろん、それ以前からの流れ、プラズマ説法や毒ガス攻撃を受けているという説法の流れを引いてはいるのだが、ここで完全に教団は「アメリカに対する戦闘モード」に入っていたのである。オウム真理教は、日本を守るための最前線部隊であるというモードに入っていった。

敵はアメリカ

ここで注意してほしいことがある。それは、あくまでも敵はアメリカや影の世界政府であり、「この日本に僕たちを勝利に導く魂があらわれる」とされているのである。つまり、日本の破滅を食い止めるために、日本のために戦うのがオウム真理教だと規定されていたのだ。

敵は日本ではない。

日本でクーデターを起こそうとしていたとか、日本政府や日本人を敵視していたという感覚はまったくなかった
のだ。アメリカの手先となってしまっている公安という認識はあったが、オウムは日本を守るためにある。

少なくとも教団内ではそういう認識だった。だから、事件後「日本政府に対するクーデター計画」だとか「日本人への大量虐殺計画」みたいに言われても、信者がまるでピンとこなかったのは、ここにも原因があると思う。少なくとも僕はそうだった。なんで日本を守ろうとしていた団体が日本を攻撃しなければならないのか。アメリカへの攻撃計画ならともかく、日本が敵になるとは思ってもみなかったのだ。

敵はアメリカ。影の政府に操られた軍事超大国の魔手から日本を守ろうとしているオウムを、アメリカに心を売り渡した公安や一部の権力者が潰そうとしている――その大きなストーリーが信徒・サマナには共有されていたのだ。そのストーリーを広めようとした法皇官房やトップクラスの人間たちがどう考えていたのかは知らないし、何かをカモフラージュしようとしていたのかもしれないが、教団の内外に流布されたストーリーはこういうものだった。

それを単純にだまされていたと言って被害者面するつもりはない。このストーリーに自分の使命感のようなものがかき立てられたのは事実だからだ。来るべき日米戦争で日本をアメリカの攻撃から守るには、我々が立ち上がらなければならない! そう思わせるだけの迫力を持ったビデオだった。その使命感が、教団全体の勢いを作っていたのも事実だ。

ご覧のとおり、このビデオが契機となって“教団の暴走”が始まったようですが、そうなるには伏線がありました。
再び『オウム・アレフ(アーレフ)の物語』から引用します。
毒ガス攻撃を受ける

第6サティアンにこもっているときはあまりわからなかったが、第9サティアンは外気の中で吹きさらしである。その上空を時々、米軍輸送機や県警のヘリが飛んでいくのだった。時には米海軍の戦闘機も見かけることがあった。

そして、米軍輸送機などが通っていった後、急に体調不良を訴える人たちが出るというのが恒例だった。

厳密に原因が何であったかはわからない。しかし、「米軍機→体調不良」という現象から、説法に合わせて「米軍や公安警察が教団に毒ガス攻撃を仕掛けている」ということが真実として受け入れられていったのだった。

それが、実は教団の誰かによる自作自演攻撃だったのかもしれないし、説法による刷り込みで体調不良を起こしたのかもしれないし、実際に何かほかの要因がいろいろとあったのかもしれない。いずれにせよ、事実として言えるのは、教団が外部からの攻撃を受けており、それに対して踏ん張らなければならないという意識が強まっていたことだった。それを荒唐無稽というには、実際にロシア製の毒ガス検知器を使った測定があったり、「警察のヘリから何かが撒かれている」というのをサマナが目撃したり、という状況証拠が揃いすぎていた。

こういう事態があれば信者たちがアメリカから攻撃されていると思い込むのも無理のないことでしょう。
この重要なビデオを製作したのは法皇官房のトップ、ホーリーネーム:サルヴァ・ニーヴァラナ・ヴィシュカンビン正悟師こと本名:石川公一でした。
石川公一は、灘高から東大医学部出身というエリートで、カミソリ後藤田こと後藤田正晴*1氏の後援会長の息子です。
石川は、地下鉄サリン事件の謀議をしたリムジン共謀の場にもいましたが、何故か逮捕されず、2004年7月7日に国松孝次警察庁長官銃撃事件に関連して逮捕されたときも処分保留のまま釈放されています。
再び『オウム・アレフ(アーレフ)の物語』から引用しましょう。
省庁制の誕生

<略>

この省庁制の誕生で何が変わっただろうか。一つは各部署の省庁単位での権限が強化されたことである。意外に思われるかもしれないが、今まですべて麻原裁定だったものが、各省庁のトップの判断に譲られる部分が出てきたということだ。多少の分権がおこなわれたわけである。

それと関連して、省庁間の断絶が強まった部分もある。省庁が違うとワークをともにしないし、各省庁のトップ同士で承認を受けないと部署間の連携もしづらい、という「縦割り行政化」が進んだという感じも受けた。だから、省庁が違うともう何をやっているかあまりわからないという状況だったのである。そして、他部署のことなどを気にしていると、集中力がないとか、場合によってはスパイ視されてしまうので、結局、教団の全体を把握しようという考えはなくなるのだった。

その一方で、法皇官房の絶対性が強まっていく状況もあった。イニシエーションにしろ、セミナーにしろ、その他の様々な試みにしろ、法皇官房はきわめて「改革的」であり、何でも思いついたらやるという方向性だった。それは、学生出身者を多く抱え、アイデアと行動力に秀でたヴィシュカンビン正悟師が率いることが大きく関係していたと思われる。

この省庁制以降、事件までの期間、この法皇官房が教団の流れを大きく変えていたように思うのである。

やはりキーマンは石川公一のようです。

ところで、腑に落ちない点があります。
ビデオによって意気高揚したものの、信者は「敵はアメリカや影の世界政府」「オウム真理教は、日本を守るための最前線部隊」「日本の破滅を食い止めるために、日本のために戦うのがオウム真理教」と考えていたのです。
「オウムは日本を守るためにある」と考えていた彼らが、何故、地下鉄でサリンをばら撒いたのでしょう?
マスコミで言われるように、本当に日本政府の転覆を考えていたのなら、議員たちのいる国会や、実質的に日本を動かしている官僚たちのいる官庁で仕掛けるものでしょう。要職に就いている人間は、たいてい地下鉄なんかで通勤しないはずです。
それに、日本人を殲滅しようとするなら毒物を自前のヘリで空から撒くか、水道の水に混入すればいい。また、サリンじゃなくても原発に入り込み炉心を暴走させれば核兵器を使用したのとほぼ同じ効果を得ることができます。(目的は違いますが実際にオウムは多くの信者を原発に労働者として送り込んでいました。)
霞ヶ関まで行って、わざわざ一般市民を巻き込む必要性はまったくありません

また、松本氏の記述に嘘があるようにも思えません。「日本政府に対するクーデター計画だとか日本人への大量虐殺計画みたいに言われても、まるでピンとこなかった」というのは一般信者の偽らざる心境なのでしょう。
「テロ」とは「心理的恐怖心を引き起こすことにより、政治的主張や理想を達成する目的で行われる暴力行為」を指します。
しかし、彼らには政治的主張や理想を達成するというような姿勢はみられず、単に恐怖を引き起こしただけです。
地下鉄サリン事件は、一般的にマスコミで言われていたような、単なる「狂ったカルト集団による凶行」などではないのではないか?
今さらになってやっとですが、一連のオウム事件に疑問が起こってきました。
そこで調べてみると、次から次に意外な事実が浮かびあがってきたのです。



■日本の闇を探る② 05:54

闇に葬られるオウム事件
9月16日に麻原彰晃の死刑が確定し、なんとなくオウム事件は一段落ついた感じがします。
しかし、オウム事件の真相は、まったく解明されていないままです。
山陽新聞の社説より引用。
死刑確定 オウム事件は終わらない

オウム真理教松本智津夫被告=教祖名麻原彰晃=の死刑が確定した。地下鉄サリンなど十三事件で殺人、同未遂など六つの罪に問われ、一審で死刑を言い渡されていた。

東京高裁は今年三月、弁護団の控訴趣意書の提出遅延を理由に裁判を打ち切った。高裁の決定を最高裁第三小法廷が支持し、弁護団の特別抗告を棄却する決定を下した。結局、松本被告の実質審理は一審だけで終わった。あまりにも異様な結末と言わざるを得ない。

弁護団は「被告には訴訟能力がなく、意思疎通もできない」と公判停止を申し立てていた。しかし、最高裁は決定理由で、東京高裁の精神鑑定医と検察官が依頼した医師が松本被告の訴訟能力を認めたことを「十分信用できる」と判断した。

松本被告の裁判は約十年五カ月に及んだ。長い年月をかけながら、一審後は弁護団の裁判引き延ばしの意図が目立ち、控訴審が一度も開かれなかったのはむなしい。最高裁は「松本被告は自ら弁護人と意思疎通を図ろうとせず、それがこのような事態に至った大きな原因になった」と指摘し「責任は弁護人のみならず被告にもある」と断じた。

死刑確定は当然との思いが強いものの、二十七人もの命が奪われ、多くの重症者を出した一連の日本の犯罪史上に特筆される凶悪事件がなぜ起きたのか、真相が松本被告の口から直接語られなかったのはやりきれない。深い闇が残ったままだ。

期待されたのは、松本被告が法廷できちんと罪を認め、謝罪することだった。優秀な若者を引き込み、犯罪集団にしていった狙いがどこにあったのか、肉声による説明を聞きたかった。

語らないまま死刑になっては、いまだに松本被告を信じる信者たちのマインドコントロールを解き放つことが出来るのか心配になる。警戒すべきは、死刑が執行されると松本被告は「殉教者」とみなされかねないことである。

おぞましい事件の再発を防ぐためにも、裁判とは別にオウム事件の真相解明のさらなる努力が欠かせない。

ここでオウム真理教に関する一連の事件の簡単なおさらいをしておきましょう。
オウム真理教の起源は、1984年に麻原彰晃が開いた“オウム神仙の会”というヨガ団体でした。
このヨガ団体結成当初からいた、上祐史浩、村井秀夫、早川紀代秀、石井久子、井上嘉浩が教団の中核になります。
1985年、雑誌『ムー』に麻原彰晃の空中浮遊が掲載され、一躍有名になります。
1987年、オウム真理教と改称。すべての財産を投げ出して出家する制度を始める。
1988年、静岡県富士宮市富士山総本部道場を開設。
未成年者に高額なお布施をさせて出家させることに親たちが反対運動を起こす。
1989年6月、坂本堤弁護士らが「オウム真理教被害対策弁護団」を結成。
   11月4日、坂本堤弁護士一家3人殺害事件。
1992年12月、東京都港区に東京総本部道場を開設。
1993年3月、『麻原彰晃、戦慄の予言』を出版、1997年に「ハルマゲドン」が起きると予言。
1994年6月27日、松本サリン事件が発生。
1995年3月18日、麻原彰晃が村井秀夫に地下鉄サリン事件の総指揮を指示。(リムジン共謀)
   3月20日、地下鉄サリン事件。
   3月22日、上九一色村など全国の教団施設25ヶ所を強制捜査。この頃、出家信者1600人、在家信者1万5000人、ロシアで自称3万人。
   3月30日、国松孝次警察庁長官狙撃事件。
   4月23日、村井秀夫刺殺事件。
   5月6日、林郁夫の自供で地下鉄サリン事件の全容解明。
   5月16日、麻原彰晃が殺人容疑で逮捕。
※オウム真理教に関連する事件の年表はこちらをご参照ください。
 
※オウム事件に関する数々の疑問は下記にまとめられています。
 オウム事件の整理整頓(要約編)
私がもっとも気になっていたのは、『オウム真理教の怪文書①』でも触れたとおり、村井秀夫幹部が刺殺された時、「ユダにやられた」と謎の言葉を残したことです。「ユダ」という言葉は仲間の裏切り者を指す比喩だという説がありますが、サスペンスドラマじゃあるまいし、死ぬ直前にそんな謎かけのような言葉を発するものでしょうか?犯人に心当たりがあるなら、もっと直接的にその名を叫ぶはずではないでしょうか?
怪文書で、オウムがアメリカ≒ユダヤを敵視していたことを知ってからは、やはり「ユダヤにやられた」だったのではないかとの疑念が心にひっかかっていました。
そこでまず、村井秀夫刺殺事件から調べてみました。
犯人の除裕行は、1965年、群馬県高崎市生まれの在日韓国人二世。
1988年5月、イベント企画会社の設立に参加。その後、代表取締役社長に就任。
会社はバブル経済崩壊で業績が悪化、1992年秋、総額2300万円の負債を抱え倒産。
1994年に東京に戻り、山口組系暴力団・羽根組組員らと親交を結ぶ。
1995年4月、若頭から犯行を指示されると自供するが、除に指示したとされる暴力団幹部の上峯憲司は無罪となった。
徐は自称右翼だが、所属団体とされる神州士衛館は実体のない架空団体であった。
徐が犯行直前まで住んでいた家の所有者は朴春仙(パク・チュンソン)の妹。
朴春仙は、北朝鮮の工作員・辛光洙(シン・ガンス)の愛人。
辛光洙は、日本人拉致の実行者。
朴春仙の妹の経営するクラブには、オウム真理教の中田清秀(元暴力団幹部)が出入りしていた。
徐は在日の北朝鮮出身者がつくるチュチェ思想研究会の一員であった。
徐の友人で、同じ家で暮らしたこともある男性の父親は、朝鮮総連の幹部。
これは驚きました。
オウムウォッチャーの方には既に常識なのかもしれませんが、徐の背後にいるのは、ユダヤではなく、北朝鮮だったようです。




■日本の闇を探る③ 14:45

村井秀夫はなぜ殺されたのか?
村井秀夫刺殺事件の詳細を1999年に『週刊現代』に連載された高沢皓司氏の「オウムと北朝鮮の闇⑨」から抜粋・引用します。
犯人の徐裕行は、逮捕後、「上祐、青山、村井の3幹部のうち、誰でもよかった」と供述していた。だが、これは明らかな嘘だった。

<略>

事件が起こったのは1995年4月23日、地下鉄サリン事件から、ほぼ1ヵ月後。東京・南青山にあった「オウム真理教総本部」前、多くの報道陣、関係者、さらに衆人環視の真っただ中で引き起こされた事件だった。

東京・南青山にあった「オウム真理教総本部」前、多くの報道陣、関係者、さらに衆人環視の真っただ中で引き起こされた事件だった。

事件前日の4月22日朝、徐裕行は足立区の自宅を出てタクシーを拾うと、まもなく運転手に、「ここらへんで包丁が買えるところはないか」と聞いている。近くの金物屋で刃渡り20cmの包丁を買った。値段は5000円だった。

その足で南青山の教団総本部前を下見。渋谷に出て喫茶店に入り、アイスミルクを注文。しばらくして店を出るが、すぐに同じ店に入り、夜まで時間を潰す。その夜は渋谷・道玄坂のラブホテルにホテトル嬢と泊まった。

翌日午前11時、そのラブホテルをチェック・アウト、南青山のオウム真理教総本部前に到着したのは、それから約20分後のことである。近くのコンビニでパンを買い、ふたたび総本部前に。それから約9時間、徐は本部前でじっとひとりの男がそこから出てくるのを待ちつづけた。この間、徐がその場を離れたのは、夕方になって近くのラーメン屋に入ったときだけである。辛抱強く、この暗殺者はただひたすら「男」の出てくるのを待っていた。つまり、科学技術省トップ・村井秀夫が彼の前に姿を見せるのを、である。

彼がたったひとりの男、村井を待ち続けている間に、午前11時26分、上祐史浩緊急対策本部長が外出先から教団本部に戻ってきた。徐の前を通り過ぎるが、彼は手を出さない。徐が本部前に到着して数分後のことである。

午後2時38分、これも教団の幹部だった青山吉伸弁護士が外出先から総本部へ戻ってくるが、徐は動こうとしない。その10分後、ふたたび上祐が外出のために姿を現す。しかし、徐は今度も動こうとしない。

そして夜8時36分、村井秀夫が教団総本部かち姿を現した。この日、村井は普段つかっていた通用口が閉まっているのを知って、本部の正面玄関に姿を見せたのである。徐裕行の身体がゆっくりと動いた。手にしていたアタッシェケースから包丁を取り出すと、ゆっくりと向きを変えた。テレビクルーのまばゆいライトの中へ暗殺者は平然と入っていった。村井の腹部に、買ったばかりで値札がついたままの包丁が突き刺さっていったのは、その数秒後のことである。

<略>

「自分ひとりで考えてやった。テレビでオウムの報道を、見て義憤にかられた。このままオウムを放置しておくと危険だと思い、誰でもいいから幹部を痛めつけようと思った」

と言っている。しかし、この供述を信用した人間は、捜査関係者のなかにも誰一人としていないだろう。誰でもよかったというのは、明らかに事実と違う。

犯行後しばらくして、徐は所属団体について供述を変える。

「所属団体は伊勢市の神洲士衛館」

右翼団体である。しかし、この政治結社はなんの活動もしていなかった。前年、'94年の10月に三重県選挙管理委員会を通じて自治省に政治団体の設立届が出されてはいたが、街宣車もなく、事件の5日後には解散届が出されていた。

さらに供述は、

「山口組系暴力団・羽根組(三重県伊勢市)幹部の上峯憲司から指示されたものである」

という内容に変えられた。警視庁は事件から20日ほどたった5月11日、羽根組幹部上峯憲司の逮捕に踏み切る。

しかし、上峯憲司の公判廷は一審、二審とも無罪。

裁判所は次のような判断を明らかにした。

「徐の供述には主要な点で不自然、不合理なところがある。……被告(上峯)が徐に殺害を指示したのであれば、それは絶対に組との関係が明るみに出ないように配慮すべき極秘指令であるはずである。刑事責任を免れようともくろんでいた被告が、わざわざこのような指示をする合理的な理由は見出しがたい。……(犯行を指示されたとする)日付に関する(徐の)供述変遷も非常に不自然で、被告からの話が徐にとってはさして重要なことではなかったのでは、との疑いをぬぐえない。……徐の供述には重要な疑問点があり、ほかに被告の犯行への関与を推認させる有力な証拠もない……」

ここで裁判所が示した徐の供述にたいする疑問は、この事件の経過を検証したときに、まったく正当なものである。上峯は、この村井秀夫刺殺事件に、どうやらまったく関係していない。では、なぜ、徐は「指示された」という供述をし、羽根組との関係を強調したのだろうか。

<略>

実行犯・徐裕行の背後には、明らかに北朝鮮工作組織の影がある。

<略>

東京・五反田のコリアン・クラブ「M」に徐が何度か顔を出していた、という話。ここのママの姉にあたる人物が、北朝鮮の工作員・辛光洙と同居していた人物であるという事実。また、この店のママの所有していた家屋に、徐が仲間3人と同届し、住民票を移していたという事実。

<略>

徐が一緒に住んでいた友人Mの父親が、朝鮮総連の幹部だったという事実に突き当たった。さらにタクシーの運転手をしていた徐の父親もまた、朝鮮総連と関係の深い人物であったようである。

しかし、だからといって、これらの登場人物が、徐の犯行の背後に直接なんらかのかたちで関係しているということはできない。ただ、私はこうした事実の積み重ねのなかで、徐裕行の生い立ちにおける北朝鮮との深い関わりを見る。

<略>

'95年4月、事件の数日前に村井「才ウム科学技術省」長官は、テレビに出演し、次のようなことを語っている。

「使える金は1000億ある」

「地下鉄事件で使われたのはサリンではなく、別のガスだ。アメリカの研究所もそのことを証明してくれる」

この放送を聞いていたある関係者は、一瞬、身が凍ったという。村井が秘密にせねばならないことを話してしまうのではないのか、と。

村井は、周辺の人間の印象として、ひどく生真面目で、誠実な人柄だった、という証言がきわめて多い。それは村井という人間の気の弱さをも象徴しているだろう。

「村井がしゃべってしまう」

その危機感をオウム幹部の誰もがいだいた。

引き続き「オウムと北朝鮮の闇⑩」から抜粋・引用します。
なぜ村井秀夫だったのか。村井でなければならなかったのか?

<略>

刺殺事件の直前にテレビに出演した村井が、ふたつの重要な秘密について口をすべらせかけたことは前回の記事の中でも述べた。つまり1000億円という途方もない資金の所在についてと、地下鉄サリン事件で用いられた毒ガスは、じつはサリンではなかった、という驚くべき証言である。

教団武装化を推進しはじめたオウム真理教の資金源に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のからむ偽ドル疑惑があることはこれまでにも指摘してきたが、第二の「サリンが、ほかの毒ガスか」という疑問については、もう少しだけ言葉を足しておかねばならないだろう。

村井は、地下鉄の毒ガス事件で使われたガスの種類について、「サリンではなく別のガスだ。アメリカの研究所でもそのことを証明してくれるはずだ」と、確信をもって話している。

<略>

翌年3月20日に引き起こされた東京での「地下鉄サリン事件」では、複数の実行犯の誰もがこのような防護策を講じていない。さらに、散布方法についても傘の先で「サリン」を入れた袋を突き破るという杜撰な方法がとられている。また地下鉄車内の床に濡れたような痕跡すら残している。地下鉄の車内およびプラットホームという閉鎖空間では、松本サリン事件の例からすると、さらに被害の規模は大きくなるはずだった。

ところが、数千人にのぼる被害者を出したとはいえ、地下鉄の事件では、その規模と程度には大きな隔たりがある。このことから分かることは、地下鉄事件で使用された毒ガスが、世間一般に伝えられているように「サリン」ではなく、まったく別種の毒ガスであった可能性が濃厚なのである。

<略>

製造元が違うということが明らかにされれば、その製造元がどこか、どこの国かが問題にされるだろう。これは、当の製造国だけにとどまらず、日本政府にとっても利害関係は奇妙に一致していた、と考えざるを得ないのである。


それが国内で製造されたものではない、とされれば、製造国、搬入ルート、入手ルート、さまざまな部分が一挙に複雑になり、国際謀略の壁にぶつかってしまうことは必至である。オウム真理教第7サティアンのサリン・プラント設備では、高純度のサリン製造が不可能とされつつも、この問題が曖昧な形で封印されているのは、どうやらそのあたりに原因がありそうである。

この記事の執筆者、高沢皓司氏は『宿命-よど号亡命者たちの秘密工作』で「講談社ノンフィクション賞」を受賞した北朝鮮情勢に詳しいジャーナリストで、読む限りかなり信憑性の高い情報です。
さらに驚くべきことは、徐は殺人犯でありながら早々に出所して、既に自由の身になっているようなのです。
これは一体どういうことなのでしょう?
そういえば、はじめに除裕行が犯人との報道がなされた時に、「右翼なのに朝鮮人?」と違和感を持ったことを思い出しました。
私が子供の頃、在日朝鮮人や混血の子に対する差別が公然とありました。人間の“裏・表”などよく分からない頃ですから、「差別はよくない」という建前と現実のギャップに戸惑ったことを覚えています。もちろん中には日本で幸せに暮らしてきた人たちもいるでしょうが、あんなひどい扱いを受けてきて、日本を愛することなどできるのだろうか?という想いが心の隅に残っていたからかもしれません。
そして、もう一つ、やはり「右翼なのに朝鮮人」の犯人に刺殺された“謎の事件”を思い出しました。
石井紘基議員刺殺事件です。






■日本の闇を探る④ 05:15

石井紘基氏の握っていた秘密とは?
石井氏に関しては『日本は官制経済国家』の中で、その著作を紹介しています。
石井氏は、議員ならではの国政調査権を用いて、自分の足で丹念に調査をし、具体的に世間にそれを提示するという、非常に珍しい手法を実践された政治家です。
私は石井氏の著作で初めてブラックボックスのような「国家予算の仕組み」を知ることができました。
2002年10月25日に起きた石井紘基議員刺殺事件の犯人は、指定暴力団山口組系の右翼団体と云われてる『守皇塾』の伊藤白水こと本名:尹白水。
では、犯行の様子を『石井紘基は、本当は誰に殺されたのか?』から引用してみましょう。
闇の犯行動機   

2004年、6月18日に伊藤白水(はくすい)被告に対し、東京地裁は、求刑通り無期懲役を言い渡した。

しかし裁判官は、「被告の供述は荒唐無稽で全く信用できない。遺憾ながら犯行動機の詳細について解明するのは困難だ」と述べた。

伊藤被告は動機を「多額の資金提供をしたり、右翼の大物を紹介したのに、恩をあだで返された」と主張したのである。

犯行動機がわからず、彼を犯人としていいのだろうか?

死の前日の石井紘基

私は故石井氏には、彼が殺害される前日に、ある場所で会っている。個人的に会ったわけではない。某経営コンサルタントが開いている集会にわずかな時間来られたのである。

そのとき彼は持論の日本の税金の使い方のひどさなどについて話たのだが、国会で見られるような声の強さはなかった。

石井は数日前からおびえて過していたという。死ぬXX日前に暴漢にも襲われている。

証言

後日、身近な人間から話を聞く機会があった。

「あの日は、朝、庭がごそごそいうので、前に頼んでいた庭師かな?って思って、インターホーンで聞いたら『XXX』って言って行ってしまいました。窓から見ると坊主頭でバンダナを巻いた屈強な男でした」

石井はその日、某コンサルタントと会う約束をしていた。

3日後に迫った国会の冒頭質問に係わるものであったであろう。それは日本がひっくり返るような質問になるはずであった:

「石井はひとつきで刺されました。下りてみると、ナイフを引き抜いているところでした。すぐに警察に電話をしようとしたのですが、最初は電話がぜんぜん繋がらなかったんです」

やっと電話がつながり、最初にパトカーが数台来た。しかし多すぎた。あとから来た救急車は道路をふさぐパトカーのおかげで、石井の家までなかなか辿りつかなかった。パトカーが道をあけなければならなかった。

その間、石井は出血しつづけていた。

「不思議なのは、救急車にやっと乗って病院に向かった時間にすでにテレビのテロップに石井紘基死亡って流れていたんです。国会でももう、犯人は右翼の伊藤白水(はくすい)ってメモ書きが議員の間を行き来してました。伊藤はXX日前に怪我をして事務所に傷の手当てを受けにきたりしていて、そんな人が石井を殺すなんて!」

心臓をひとつきしたテロの犯行は、完全にプロの仕業である。伊藤周辺の人間のいうところでは、人を一つきで殺せるような男ではないという。

「普通右翼というのは、人を殺したら靖国神社へまず報告に行くんだ。でも、白水はそんなこともせずに高尾山に逃げて捕まったんだ。普通人を殺して数年して出てくれば右翼の生活は保証される」

<略>

誰も調べない

彼の暗殺後、この件にかかわる国会質問はなされず、民主党の別の議員が代役となった。国会に安堵の雰囲気が流れた。

石井が心血を注いで調べた資料はダンボール箱数箱にのぼる。もちろん警察は調べるようなことはしない。民主党の誰も調べない。大手マスコミも調べない。そして、彼が持っていたメモ書きと資料は消えたままだ!

犯人の伊藤は、事件後、東京郊外の高尾山に逃走。その後、新宿に戻り喫茶店などにいたといいます。
そして、不思議なことに26日午前6時45分ごろ「公安部と連絡を取りたい」と警視庁正面玄関に出頭。
なぜ「公安部と連絡を」なのでしょう?
公安は、国家に対する犯罪行為を取締る部門です。
「恩を仇で返された」という私怨が犯行動機なら、公安なんていう関係ない言葉は出てこないはずではないでしょうか?
続いて『日刊ゲンダイ』に2002年10月31日に掲載された記事「霍見芳浩のニッポンを斬る」をみてみましょう。
米メディアは「政治的暗殺」と報じた石井議員刺殺事件

民主党の石井紘基議員の非業の死について、米国の指導的メディアは国粋右翼による政治的暗殺だと的確に報じた。「借金を断られて」という私怨の口実は見え見えの偽証だった。また石井暗殺は、1960年10月、同じ行動右翼による社会党の浅沼稲次郎委員長の暗殺に始まる戦後から今日までの国粋右翼による民主リベラルの政治家の暗殺の系譜の一環だとの解説だった。この系譜には1990年、「昭和天皇に戦争責任あり」と長崎市議会で答弁した本島市長が国粋右翼にピストルで撃たれた暗殺未遂も含まれていた。日本の政治暗殺は自民党の保守右派に近いとささやかれる右翼の下請け人による民主改革派政敵の殺傷に偏っている。そして、この暗殺はその後、狙い通りの成果をあげて、昭和天皇の戦争責任論や日米安保体制による日本の対米隷属、憲法第9条の拡大解釈改憲、銀行の膨大な不良債権に絡むヤクザまみれの政官産腐敗、そして、日本の民主主義の退化などの批判がタブー視されてきている。

石井議員暗殺を米国から見れば、「自殺」と警察が早々と断定した新井将敬自民党議員の怪死や、同じく大阪駅近くのホテルで「自殺」と即断された銀行の頭取の変死にもつながってくる。日本の警察や検察は、米国ではとても「自殺」と即断されないほどの怪しい状況証拠があっても、お上に都合よく処理してしまう。米国のメディアは、諜報機関の資料を使って「悪い奴ほどよく眠る」日本の暗部にメスを入れている。政官産の汚職の核心に迫る者が出てくると、暗殺されたり、「謎の自殺」に仕立てられたりする。従って、米国各界の日本通にとっては、石井暗殺で、「議員の暗殺で政治活動を止めるとは全身に怒りをおぼえる」との小泉首相談は、「白々しい」としか受け取られない。首相が本当に怒りを感じているのなら、遅まきながらも民主党と協力して議員や官僚の「ザル法でないあっせん収賄罪」を確立するのと同時に、自民党員や官僚、特に司法官僚と組織暴力団や国粋右翼グループとの近すぎる関係を清算すべきである。

石井暗殺は、日本が非民主的な法痴国の証とされている。主権在民の民主国では国民の基本的人権と裁判官の独立性(良心と憲法にのみ忠実に審理して、時の政官産の権力との癒着を避ける)を保障した憲法が主人公である。しかし、日本では、この憲法を無視する最高裁判事以下の司法腐敗によって、与党政治家と官僚が主人公なのである。石井暗殺も「狂った個人の蛮行」として、早々と処理される。

「石井暗殺は戦後から今日までの国粋右翼による民主リベラルの政治家の暗殺の系譜」とありますが、“邪魔者”を右翼に暗殺させる手法は、頭山満の玄洋社からみられる戦前からの系譜です。
石井氏の著作とベンジャミン・フルフォード氏の一連の著作を合わせて読めば、日本が、私腹を肥やすために政・官・業それにヤクザも加わった「鉄の四角形」が国民から収奪を続け、そのため出来た国の借金を国民に転化し、ツケを押しつけようとしている腐りきった国家であることがよくわかるでしょう。
ヘンな言い方ですが、正義感に駆られ数々の腐敗を告発し続けた石井氏は、悪の蔓延るこの世の中で、暗殺されるに相応しい活躍をしていました。
その石井氏は、超党派の「オウム問題を考える議員の会」の代表世話人を務めていて、『オウム事件は終わらない』という本の共著者にもなっていました。
石井:「僕の地元の成城で、最近統一教会が建物を借りて改装工事を始めたのです。それで地域住民はこぞってピケをはり、統一教会が建物の中に入れないようにしていますが、こんなことにしても、始まってから何ヶ月経っても政治家はさっぱり表に出てこないんですね。いろいろアプローチしていくと、どうも統一教会の息のかかった政治家というのが随分といるようだと、地元の人も言っていました。

未来に向けて社会をどのように改革していくか、ということを政治家が真剣に考えないものだから、その間に経済活動や政治活動を通じて宗教団体にどんどん侵食されているという面がありますね。」

岡崎:「そう、だから、もしかしてもっと早期にメスをいれていたら、オウムまで進展しなかったかもしれません。」

錦織:「(略)ともかく私には、オウムは統一教会をラジカルにしたものだという感じがするのです。オウムの原型というのは、つまりオウムの初期の活動形態は、統一教会がやってきたことときわめて類似しているのです。(略)」

石井:「ロシアにオウムが進出していきましたね。ロシアには五万人もオウムの信者がいたそうですが、オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。

捜査についてですが、日本ではオウムの全容が明らかにされません。オウム事件というのは、いったいどういうことだったのか。僕は、岡崎さんがおっしゃったように、オウム真理教は、宗教法人制度をうまく利用してアンダーグラウンドで儲けようという要素を非常に強く持っていたのだと思います。それが暴力団と結びつき、国際的に密貿易をしたり、薬物を流したりしたのはいったい何のためだったのか。」

なんと!ここに統一教会の名が挙がってきました。
「オウムが行く前に統一教会が、ロシアに進出していました。ところが、そういう連中が、どうも何時の間にかオウム信者とすりかわってしまった。」
これは、オウムが統一教会を取り込んだというより、両者の力関係から言って、統一教会が何かの理由で看板を架け替えたのでしょう。

『安倍晋三と日本の闇』でも触れましたが、統一教会はCIAの下請け組織KCIAのフロント機関であり、北朝鮮・金政権の最大の支援者です。そして、ブッシュ政権の支持母体であるキリスト教福音派の一員にもなっています。
また、CIAは要職をスカル&ボーンズ人脈(父ブッシュは元CIA長官)が占め、ウォール街と“回転ドア”*1で結ばれていると言われています。そして「麻薬と武器の密輸を資金源としている」という、暴力団や北朝鮮、統一教会との共通点を持っています。
石井氏はソ連留学(モスクワ大学大学院)経験者であり、奥様もロシア人。
彼はオウム事件の渦中、モスクワの人脈から情報を集めて、テレビの取材で「日本の政治家とも深くかかわっていますね」と話していたといいます。

ここに、おぼろげながら右翼と暴力団、在日朝鮮系団体、北朝鮮、統一教会、政治家、そしてCIAとユダヤとの関係がつながってきました。
【参考】
『故・石井こうき事件の真相究明プロジェクト』
『石井こうき議員ホームページ』
『石井議員の娘さんのインタビュー』
(つづく)



■日本の闇を探る⑨ 00:03

北の工作員によって操られたオウム
再び、週刊現代の記事『「オウム真理教と北朝鮮」の闇を解いた』から話を続けます。
全文はこちらから読むことができますので、是非ご一読いただきたいのですが、一応、タイトルと要約を載せておきます。
第1回 麻原被告の側近には、北朝鮮の潜入工作員がいた

オウムには、北朝鮮のチュチェ(主体)思想を身に付けた工作員Aが潜入していた。

その頃から、オウムは急激に変質、過激化した。

Aは村井・科学技術省長官に重用されて武器製造に関与していた。

第2回 潜入工作員と「よど号犯」はマドリッドでつながった

工作員Aは、一連の事件でオウムの幹部が逮捕された後に、オウムを脱会し、スペインのマドリッドへ飛んだ。

そこは北朝鮮の工作拠点のある街で、あの赤軍派「よど号」グループらが、日本人留学生の拉致等の活動拠点としていた場所だった。

そこでAは「よど号犯」の一人・柴田泰弘と同じホテルに宿泊していた。マドリッドで工作員Aと「よど号」グループとがつながった。

第3回 金正日総書記直筆の「日本破壊工作」指令書の全貌

1982年5月6日、「よど号犯」は、金正日から直筆の極秘指令を受けていた。

その指令書の内容は「金日成主義によって日本革命を準備・達成せよ」というものだった。

金正日は、自衛隊工作や軍事クーデターの中核的人間の育成などを、赤軍派に指示していた。

しかし「よど号犯」の工作活動は、相次ぐ逮捕などのために、1980年代後半に挫折した。

この後を継いで「金正日指令の日本破壊・撹乱工作を実行したのが、オウムではなかったのか」と高沢氏は推測する。

第4回 故金日成主席の「毒ガス兵器」研究と麻原彰晃のテロ実行

一連のオウム事件が起こった後、韓国は、事件の背後に北朝鮮の影を読み取り、毒ガスの緊急防護訓練を行っていた。

金日成の著作集には、毒ガスや細菌兵器についての大量の論文・教示がある。

朝鮮戦争後、北朝鮮では、毒ガスや細菌兵器の研究が行われている。

「オウム真理教が毒ガスや細菌兵器の開発に手を染めはじめていたのは、そこに北朝鮮の工作組織の浸透があったとすれば、けっして偶然ではないのである」と高沢氏は推測する。

第5回 潜入工作員Aが全ての疑惑に答えた

高沢氏はマドリッドで、工作員Aを取材した。

Aは、今でもチュチェ思想は「すばらしい思想」だと言い、黄長ヨプ元朝鮮労働党中央委員会書記と何度も会ったと明かす。

しかし、「北朝鮮の工作員だったのではないか」という質問には「100%、潔白」だと答え、全ての疑惑を否定した。

だが、Aに連なる潜入工作員がおり、その一人Bは、医師としてオウム真理教付属病院に入り、林郁夫の下で働いていた。

第6回 もう一人の潜入工作員は林郁夫の右腕だった

工作員Bは、共産党系の病院に医師として勤務していた時に、オウムに入信した。

ある時、突然、都内にある北朝鮮系の病院に移り、さらにオウム付属病院へ移った。

以後、Bは林の右腕となり、麻酔剤・電気ショック・LSDなどを用いて、信者に洗脳を行っていた。

これらの方法は、高沢氏によると「北朝鮮の洗脳技術と瓜ふたつ」らしい。

北の毒ガス等の兵器開発と「まったく同じ軌道上にあるもの」という。

しかもBは、教祖・麻原に対しても心理療法、あるいは催眠療法などの『イニシエーション』を行える立場にあった。

こうしたイニシエーションなどを指揮指導していたのは、Bと法皇官房の実質的トップだったIだった。

こうしたI-B-林郁夫のラインは、教団武装化をめざしていた早川-村井のラインとは別に、教団内部の不透明な部分のひとつだった。

第7回 国松長官狙撃事件と「よど号」犯・田中善三

サリン事件の10日後、国松警察庁長官が狙撃された。

犯人は 海外で特殊な訓練を受けた人間と見られ、現場には、北朝鮮のバッジが落ちていた。

目撃された犯人像を聞いた田宮高麿は、同じ「よど号」グループの田中義三に「似ている」と言った。

北朝鮮で訓練を受けた日本人の中で、田中は抜群の射撃能力を持っていた。

田中は、後日、北朝鮮の偽ドルを使用した容疑で、カンボジアで逮捕された。

オウムには、外部から多額の資金提供を受けていた疑惑がある。

しかも、それは田中が関係していた偽ドル「スーパーK」だった疑いが濃い。

第8回 麻原彰晃の右腕・早川紀代秀と北朝鮮の「闇の関係」

オウム元幹部の証言によると、早川建設省長官は、ドイツから精巧な印刷機を手配し、北朝鮮の偽ドル印刷に関係していた。

早川は、頻繁にウクライナの首都・キエフへ行き、そこを経由して北朝鮮に行っていた。

「早川はロシアでは、武器の購入だけでなく、プルトニウムの密輸事件にも関係があったようだ」と高沢氏は推測する。

早川が窓口としていたのは、北朝鮮の核兵器関連物資やIC機器の調達を行う部署「経済第2委員会」だった可能性が最も高いからだ。

第9回 村井秀夫はなぜ口封じされたのか

村井科学技術庁長官刺殺事件の実行犯・徐浩行の背後には、北朝鮮工作組織の影が濃い。

徐には数年間、北朝鮮に渡っていた形跡もある。

彼は北朝鮮の「きわめて高度に訓練されたテロリストであり、工作員」と高沢氏は推測する。

オウムには、偽ドルによる資金のルートと、サリンの入手ルートの秘密以外に、さらに深い第三の秘密があった。

刺殺される前、村井はテレビでその秘密にふれかねない発言をしていた。

そのことが、きわめて強い危惧を、北朝鮮側に抱かせたのではないだろうか。

第10回 村井秀夫が極秘指令「原発の機密をスパイせよ!」

村井はテレビで、資金は一千億あると言った。また、地下鉄で使われた毒ガスは、サリンではないとも証言した。

そして、さらに村井がさらけ出しかねなかった第三の秘密は、日本の原子力発電所に関するものだった。

オウムは原発に関する膨大な機密書類を手に入れていた。

村井らが200人もの作業員を潜入させて収集したもので、専門家も初めて見るような詳細な資料だった。

こうした原発の機密資料が、早川ルートによって北朝鮮に流出していた可能性がある。

第11回 村井秀夫は「北朝鮮の核」機密保持のために殺害された

村井は、物理学の専門家であり、原発のデータを理解することができた。

彼は、究極の教団武装化として「核」開発を考えてた。

村井は早川とともに北朝鮮に渡航し、関係を持っていた。

北朝鮮も、核開発のために、日本の技術とデータを必要として、オウムを利用していた。

両者の利益は一致していた。

しかし、平成6年のIAEAの北朝鮮核査察問題で、その野望は挫折した。

オウムの一連の事件への「北朝鮮の関与、工作組織の存在は、村井の命を奪ってもなお、死守しなければならない機密に属していた」「村井刺殺事件の背後には、国際政治の闇の部分が渦巻いていた。」と高沢氏はいう。

オウムが北朝鮮の核開発に関与していたとすれば、これは大事ですが、この問題は私の手には余るので、とりあえずここでは触れません。
さて、ここでイニシャルで登場する「A」とは森泰人、「B」とされているのは霜鳥隆二、「I」とは『日本の闇を探る①』でも登場した石川公一のことです。
そして、霜鳥隆二と石川公一は麻原彰晃に対しても「イニシエーション」つまり洗脳できる立場にあったとのこと。
どうやら、北の工作員たちがオウム真理教を操っていたことは確かなようです。
ただ、麻薬や催眠術を用いた洗脳は、悪名高き“MKウルトラ計画”で知られるように、もともとCIAが研究・確立した軍事技術です。
オウムの問題に詳しい脳機能学者である苫米地英人氏は「CIAの洗脳手法とオウムの洗脳手法には類似点が多い。」と述べています。
上九一色村のオウムの施設の上空を米軍機がたびたび通ったというのも、よく考えれば不思議な話です。私は生まれも育ちも米軍基地のある横須賀ですが、米軍機が飛んでいるところなどほとんど見たことがありません。米軍機は、いったい何をしにいったのでしょう?ちなみに米軍は、本国でケムトレイル計画という、化学薬品を空中散布して、何も知らない住民で人体実験をおこなっていたことがあります。
北朝鮮には統一教会の信者が送り込まれています。そして統一教会はCIAのフロント機関です。この件にCIAも関与していた可能性があるのではないでしょうか?
(つづく)







■日本の闇を探る⑩ 06:39

サリン事件は政府の自作自演?
週刊現代の『「オウム真理教と北朝鮮」の闇を解いた』の第三回「金正日総書記直筆の『日本破壊工作』指令書の全貌」の中で、著者の高沢氏は、地下鉄サリン事件を北朝鮮の「日本攪乱工作の予行演習」で「日本の危機管理の杜撰さと、どのような動きが取られるのかというシミュレーションのデータを得るため」におこなったのではないかという見方をしていますが、あくまで推論の域を出ないものであり、可能性の一部でしょう。
当時の警察や検察そしてマスコミ等は、明らかにおかしな動きをしています。
オウム裁判対策協議会のホームページから『「オウム事件」とくに松本・地下鉄サリン事件について』を抜粋・引用します。
権力は知っていた

マスメディアの大勢は、一九九五年三月二十日の地下鉄サリン事件で、突然大騒ぎになったということになっている。
ところが、あとで知るところによると、前の日の日曜日には多数の警察官が朝霞の自衛隊施設で防毒マスクの装着訓練をやっていた。警察幹部は、少なくとも何者かが、近く毒ガス散布を決行することを察知していたのだ。そして同じ十九日夜、青山のオウム真理教団本部前に火炎瓶が投げつけられる事件があった。あとで、それはオウム信者の自衛隊員が自作自演したものだったという。地下鉄サリン事件にしても、捜査攪乱が目的などというが、ちっとも攪乱していないではないか。みえみえの自滅的事件である。

午前八時ころに事件発生、証拠物を警察が入手したのが九時だとして、それを大宮の自衛隊化学学校に運んで仕分けしたともいわれているが、裁判では警視庁科学捜査研究所の技師が分析・鑑定したとされている。いずれにしろ午前十一時の警視庁寺尾捜査一課長記者会見におけるサリン断定は、あまりにも手際が良すぎる。私は、十九日の時点で、警察幹部とオウム幹部またはその周辺にいた別人物など、ルート複数の可能性も含めて、緊迫した情報のやりとりがあったことは確実だと考えている。たとえば、「いよいよサリンを撒く」「いや、やめさせろ」「いや、もう間に合わない」など。

しかも、前年の九月には、松本サリン事件はオウムの犯行だという怪文書が出回っていたというではないか。そのうえ九五年一月一日の読売新聞を始めとして複数のマスメディアは、富士山麓のオウム施設周辺において、サリンの痕跡が警察によって分析されたと報道している。警察は何をしていたのか? 三月二十日を本当に防ぐ気は、なかったのではないか。

私は、だからと言って、警察の怠慢を第一の問題と言うつもりはない。知っていて防がなかったことに、謀略性があると言いたいのである。

カナリアの語るもの

三月二十二日のサティアン一斉捜索についても疑問が多い。早朝の捜索開始は全マスメディアに知らされており、中央道を疾走中の車内からすでに中継は始まっていた。傑作なのは、カナリアの映像である。テレビカメラは、重装備(十九日の防毒マスクは二十日には間に合わず二十二日には役にたったことになる)で待機している警察部隊とサティアンの中間にセットされていた。噂によれば、各テレビ局のカメラがスタンバイして、「ハィ!OKデース」ということになった。そこで警察部隊は、カナリア籠を先頭に静々と歩きだした――という。そして、カメラはカナリア籠を、左から右へ、きっちりとパン撮影したのである。警察部隊よりもサティアンに近いところにテレビクルーは先に行っていたということだ。もしサリンを撒かれたら、一番危険なところにマスメディアが先に行っていた。それほどに命を張ってまで取材するにふさわしい大事件だと説明されるだろうか。風は警察部隊方向からサティアン方向に吹いていたという説明もあるかも知れない。だったら、何でカナリアを先頭にたてるのだ。ヤラセじゃないか。いずれにしろ!――これらの事実は、サリンがもう無いことを知っていた者が警察側にいたということにより、はじめて納得できる。

物証がなさすぎる

だいたいオウムが、本当にサリンを作っていたのかという疑問もある。第7サティアンの器械装置では、本格的なサリン合成は無理だと言われている。私は詳細は判らないが、きちんとした換気装置がないと合成作業をしている者に危険が及ぶのだという。この点、オウムの人々の「ワーク」は、綿密性がなく失敗は日常茶飯事だったという話もあるし、何かの時には撒いた当人が中毒症状になって、あわてて治療したという話も伝えられているから、案外粗雑なやり方で薬品を扱っていたのかも知れないとも思う。地下鉄サリン裁判における検察側主張は、第7サティアンではなくプレハブの研究棟で作ったということになった。そうであるならば、第7サティアンの器械装置を「ワーク」しただけの人に殺人予備の罪名を適用するのは無理ということになる。でも、その罪名で重い判決がすでに出ている。

サリンの化学的な詳細については、私たちの仲間の三浦英明さん(緑風出版『DNA鑑定』の著者)が相当勉強しているので、彼からの受け売りが多くなるが、純粋なサリンは無色・無臭だそうだ。ところが、松本でも地下鉄でも現場で白っぽい霧のような煙のようなものを見たという証言が多い。また、刺激臭を証言している人も多い。そこから、オウムのサリンは純粋なものではなく、不純物が混じったか、わざと混ぜたか、あるいは現場で2種類の薬品を混ぜた(バイナリ方式)か、またはサリンとは違った毒ガスを発生させたのではないかという説が有力だ。

刑事裁判の形骸化

このあたりは、裁判ではおよそ不十分にしか審理されていない。地下鉄サリンの薬品についても、いつのまにか出来上がったものがビニールだかポリエチレンだかナイロンだかの袋に入っていて配給され、だいたい2袋ずつなのに誰とかは3袋になって、その時の気持ちは……と、心情の方ばかりが「自白」されて、肝心の物証としての証明は全くおろそかになっている。熱心な弁護士が、この辺を突っ込もうとすると、「時間の無駄使い」「裁判の引き延ばし」と検察官・裁判官・マスメディアに、寄ってたかってバッシングされ、あげくの果ては別件をでっち上げられて弁護士が逮捕されてしまうのだから(麻原主任弁護人・安田好弘氏のケース)ひどい世の中になったものだ。

サリンが入っていたという袋も、サリンの残留物も、法廷では明らかになっていない。押収・仕分け・鑑定の過程の写真さえきちんと提出されていないと聞く。袋は、病院で点滴に使うようなものという話も出たが、それを誰がどこから調達してきたのかなども、これまでの別の裁判だったら必ず問題になった点だろうに、今回は全く出てこない。点滴に使うような袋ならば、雨傘の先で穴を開けることは不可能だと言っている人もいた。想像は膨らむが、では傘の先を削ってとがらせていたのかとも思ってみる。ところが、その雨傘がどこからも発見されないのだから、証明・納得のしようがない。

三浦英明さんの研究によれば、地下鉄車内での薬品収納容器は、袋ではなく箱型のものという話も沢山あり、乗客がビンの割れるような音を聞いたという話もあるという。

地下鉄の線によって被害の程度が全然違うのはなぜか。日比谷線が特に被害が大きかった。

消防庁の分析では、アセトニトリルが検出されたという。ところが、警視庁は一貫してそれを無視・否定している。三浦さんの研究では、アセトニトリルは、現在起訴されているオウム幹部のサリン生成過程では登場しない。またサリンの分解の過程にも登場しない。工業的によく使われる薬品で毒性はあるという。サリンの効果を遅らせるために混ぜられた可能性はあるとのことだ。一方、自衛隊の化学部隊は、ガス検知器でびらん性ガスを検出したという情報もある。びらん性ガスとなると、サリンやタブンなど神経性毒ガスとは系統が異なる。この他、地下鉄サリンには多くの疑問点がある。すべて裁判では一向に解明される気配はない。

911事件をホワイトハウスが知っていて放置しておいたことは既に明らかになっていますが、どうやら日本の警察もサリン事件を知っていて放置していた可能性があります。しかも、司法まで一緒になって事件の真相をうやむやにしようとしている。
ブッシュ家がビンラディン家とはビジネスパートナーであったように、何か表に出ていない“つながり”があるのではないでしょうか?
911事件以降、米国が愛国者法等によって政府の権限が強まり、管理社会になっていったように、日本でもオウム事件以後、組織犯罪対策法や破壊活動防止法が成立し、管理社会へと移行していきました。
再びオウム裁判対策協議会のホームページから『オウム事件の意味』を抜粋・引用します。
1995年に起きた「オウム真理教団関係の事件」は、日本の社会に対して、はっきりとは眼に見えにくいが非常に深刻な影響をもたらしている。

日本のマスメディアは、欧米のマスメディアにくらべて、より一層画一的という欠点を持っているが、そのマスメディアは一斉に「オウム信者さえいなければ、日本は幸せな国だ。オウムをつぶすためには、何をやっても許される」というキャンペーンを1999年の現在までやり続けている。実際に、日本の国会では、オウムのような危険な団体をつぶす目的で、「組織犯罪対策法」(これには通信の盗聴を警察に許す法律、犯罪によって得た収益と疑われる預金について銀行は密告する義務をもつ法律などが含まれている)などが成立してしまった。日本は、警察国家への道を大きく前進した。歴史には多くの前例があるが、特殊な恐ろしい犯罪事件をきっかけとして、その恐ろしさへの反動として、美しく見えるスローガンが人々の眼を狂わせ、結果として警察と保守的政治家が権力の基盤を強固にする。その意味では「歴史は繰り返す」ようにも思えるが、「オウム事件」には、いままでの日本の歴史にはなかった新しい要素が内在していると思われる。

<略>

1995年1月1日の読売新聞(発行部数日本最多)は、オウムの富士山麓に作られた建造物の周辺から、サリンの痕跡が検出されたと報道した。これが事実であるならば、警察は富士山麓のオウムの建造物およびそこに出入りする人々への監視を強めることが可能だったはずだ。ところが、警察は、3月20日の「地下鉄サリン事件」の発生を予防することに失敗した。3月20日には、首都東京の政府機関が集中している場所を中心とする地下鉄の車内で、同時に数カ所でサリンガスらしき毒ガスが撒かれ、11人が死亡し多数の人が病気になった。この無差別テロには多くの日本人が驚愕し、一種の社会ヒステリー状態が生まれた。この「地下鉄サリン事件」をきっかけとして警察は大々的にオウム弾圧にのりだし、多くの「オウムの犯罪」を暴露し、その大部分が「麻原彰晃教祖」の命令で「オウム真理教団」の幹部が実行したことが明らかとなり、彼らはそれぞれ複数の罪名で逮捕され、裁判にかけられた――と、公式には発表されている。しかし、真相はいまだ闇の中にあり、私は、現在裁判で検察官が主張し、マスメディアが書き立てていることが真実だとは到底考えられない。

<略>

現在進行中の裁判では、物的・科学的な証拠が非常に少ししか提出されていない。証拠の大部分は、自白と証言という言葉である。言葉のニュアンスは非常に微妙である。オウム信者の言葉と警察官や検察官の言葉では、外国語以上の違いがあると、私は確信する。被告人としての麻原氏は、一切のコミュニケーションを断ち切ってしまっているように思える。事実関係に多くの矛盾や疑問点がある。1995年の「地下鉄サリン事件」の10日後に起きた「警察庁長官銃撃事件」の犯人はオウムだといわれ、元オウム信者だったという警察官の自白まであったが結局起訴されないままに終わっている。また同じ年の4月23日に起きた、麻原氏の第1の弟子の「村井氏刺殺事件」は現場で「やくざ」らしき者が現行犯逮捕されたが、背後関係は全く解明されないままになっている。

検察側にとって一番重要とされているのは、麻原氏の裁判である。麻原氏についた国選弁護人たちは、非常に熱心に、刑事弁護の原則どおりに弁護活動を行っている。手続きを法律どおりに進め、事実に関する疑問点は、できるだけ追及する姿勢を貫こうとした。これに対して、検察官・裁判官はむろんのこと、政治家も、マスメディアも一斉に「裁判の引き延ばしだ」と弁護士を責めたてた。この傾向は、ほかの一般の事件にまで波及し、1997年以来、「凶悪な犯人を弁護するのは、悪い弁護士だ」という風潮が日本社会全体を覆いつくしている。私は、日本人の大部分がそのように近代的な社会システムを否定する考えに陥っているとは考えない。明らかにマスメディアが冷静さを失い、麻原氏を早く死刑にすることが正義であるかのように、煽り立てる記事を書いているのだ。

そうしたなかで1998年12月に、麻原氏弁護団の中心的な存在だった安田弁護士が、他の事件で逮捕・起訴され、9か月以上勾留されたうえで、裁判にかけられている。安田弁護士は、顧問をやっていたある不動産会社の倒産を防ぐために別会社を作りあげ、賃貸しビルディングのテナントは賃料をその別会社に支払うように経営者にアドバイスしたということを罪に問われている。しかし企業の顧問弁護士が、そのようなアドバイスをすることは当然のことで、何かの犯罪を構成するものではない。安田弁護士への不当な弾圧は、明らかに麻原氏の裁判を検察官の計画どおりに進めるための陰謀である。日本のマスメディアは、安田弁護士を悪い弁護士のように報道し、安田弁護士の人権を侵害し、同時に読者・視聴者の人権をも蹂躪したのである。

<略>

前述の「組織犯罪対策法」は、そうした新たな「オウム排斥」運動のなかで成立してしまった。さらに、「破壊活動防止法」という特別法を、オウムに適用することを 1997年に見送ったことは間違いで、新たにその法律を改正してまでもオウムに適用すべきだという論調が、最近になって盛んに行われるようになっている。「破壊活動防止法」は1952年に出来た法律で、政治目的で破壊活動を行なう団体およびその幹部に厳罰を与えるものだ。1970年代に破壊活動を煽動したということで、左翼の活動家個人には適用されたことがあるが、団体や政党に適用されたことはない。オウムに対しても、宗教団体であるし将来にわたる危険性はとぼしいとして適用が見送られた経緯がある。それを、今回は「政治目的」という制限規定をなくし、あらゆるテロ活動を封じ込めるためと称して、一部の保守的政治家・評論家とマスメディア幹部が、改正の必要を叫んでいるのである。「破壊活動防止法」が団体に適用された場合、その団体のために2人でも3人でも集まって相談したり金を出したりすれば、それが犯罪になるという非常に危険な法律だ。太平洋戦争中の「治安維持法」の復活であると言われている。「治安維持法」は、日本の天皇制を守るための法律だった。「破壊活動防止法」は、今日の社会の安全を守るためという非常に抽象的な、漠然とした目的で改悪されようとしている。

それまで一貫してオウムを擁護してきた警察が、地下鉄サリン事件を機に一転して、叩き潰しにきました。真相には触れさせないままに…。
CIAがアルカイダを育てた後、911事件を機に一転して国際テロ組織として批難し始めたこと、米国がフセインを育てた後、クエート侵攻を機に一転して叩き潰したことと構図が似ている気がします。
警察や検察、マスコミにまで圧力をかけられる存在といえば、政治家ぐらいしか思いつきません。
『秘密のファイル-CIAの対日工作-』によれば、CIAは岸信介政権以来たびたび自民党を支援してきました。それどころか、自民党はCIAの秘密工作を手伝ったことさえあります。自民党の五十五年体制が維持できたのも、日本が輸出立国になったのも、米国の対日戦略に基づいて秘密工作をCIAが実行してきた結果なのです。
CIAは、これまで日本のみならず世界を股にかけてさまざまな秘密工作をおこなってきました。
そして、何度も言うようですが、CIAの下請けKCIAのフロント機関=統一教会は、信者を北朝鮮に送り込んでいました。
北朝鮮あるいは統一教会≒CIAと共謀していたとまでは言わないものの、日本を警察国家にしたい政治家たちが、“テロとの戦い”という口実を設けるために、この事件を放置したというシナリオも十分に考えられるのではないでしょうか?
より大きな視点からみれば、地下鉄サリン事件は、世界規模の“テロとの戦い”に突入する予行演習だったのかもしれません。
さて、この先に来るものは…?
【参考】『法整備からみる戦争準備態勢』
 (地下鉄サリン事件の翌年から戦争関連法が次々に成立し始めています。安倍政権が成立を目指している共謀罪は、破防法の枠を拡大した、更に危険度の高い内容になっています。ちなみに、どうやら統一協会も共謀罪を支持しているようです。)
(つづく)


■日本の闇を探る⑫ 06:30

オウムを操った統一教会
統一協会とは、どんな団体なのか?
全国霊感商法対策弁護士連絡会の「統一協会の現状」から、その概要をみてみましょう。
世界基督教統一神霊協会(略称統一協会)は1920年に今の北朝鮮で出生した文鮮明が1954年5月に韓国で創立しました。文鮮明は日本の高等学校で学んだ後、今の北朝鮮に帰省し、社会秩序を乱した罪で北朝鮮で1948年に実刑判決を受け、韓国に逃走した後にも同種事件で1955年にソウルで逮捕されています。多くの女性と性関係を持ったことが理由と言われています。

<略>

韓国で始まった統一協会は、1958年に日本で布教を始めました。

統一協会は、1961年に成立した朴政権に反共活動の面で利用されるようになり、63年に韓国で財団として認可され、64年に日本で宗教法人として認証されました。それ以来、統一協会は、勝共連合の実質的母体として韓国や日本の反共政治組織に利用されました。1974年にニクソン大統領と文鮮明が会ってからは米国でも様々な政治工作を展開してきました。1979年に米国議会でコリアゲート事件では、統一協会幹部の朴晋煕が議会で証言を求められたこともあります。

アメリカでは1982年に文鮮明が提唱して設立したWashingtonTimes 紙を中心に言論界や政界に一定の影響力をもっています。しかし、アメリカでは文鮮明とその手下の神山威(元日本統一協会会長)の2人が脱税で実刑判決を受け、1984年7月から1年余り刑務所に入っていました。

韓国では、日本から送られる資金をもとに統一重工業や一信石 材、一和、世界日報などの企業を有し、財閥のひとつと言われていました。文鮮明は経済的な成功者と見なされていました。しかし、1997年からの韓国経済の破綻と日本の統一協会組織からの送金が減少したため、統一協会系の企業のほとんどが倒産してしまいました。統一協会の企業で生活していた韓国人たち(信者も多い)は文鮮明にとって今では邪魔者のようです。

日本では、1970年頃から目立った存在になり、1975年頃から大理石壺や人参液を霊感商法の手口で高額価格で売って潤沢な資金を手にするようになりました。1975年から約10年間余りにわたって、日本の統一協会は、文鮮明のもとに、毎月50ないし100億円の資金を送りつづけたと言われています。今でも、日本人信者は毎年100億円以上の資金を文鮮明に送りつづけています。

この資金を使って文鮮明やその手下は、ソ連のゴルバチョフや北朝鮮の金日成、更には中国の要人と会っています。文は朝鮮半島の南北統一に寄与したいと述べていますが、本音は金日成のように国の支配者帝王になりたかったのではないでしょうか。

統一協会は「勝共連合」以外にも「全国大学原理研究会」(原理研、大学生への伝道組織)、「ハッピーワールド」(統一協会系企業の総元締め)、「世界平和教授アカデミー」(大学教授たちを人脈やお金、研究の機会などを提供することによって集めて作った組織)、「世界平和女性連合」(チャリティーショーやバザーの名目でお金を集める団体)、「天地正教」(霊感商法が社会問題化したため仏教系の装いをしてインチキ商法を続けるための組織)など数多くの別組織を作ってその活動領域を広げています。ただ、それらの組織の多くは「統一協会とは別組織」であると主張しています。
また、2000年にはUPI通信も買収しています。
※統一協会の裏面についてはこちらも参考になります。
『オウム帝国の正体』(一橋文哉著)には次のような記述があります。
オウム事件の真相を解明する鍵を、私は早川、村井、上祐という3人の最高幹部による権力闘争の中に見出そうと考えている。中でも地下鉄サリン事件以前の教団膨張期、即ち麻原の妄想がどんどん広がり、それに伴って教団の勢力とハルマゲドンが拡大していった時期にあって、“最大の功労者”は早川であった、と言っていいだろう。

彼は当時、教団の実質ナンバー2として活躍していたし、教団と闇社会が交錯する地点には、必ずと言っていいほど顔を出している。

公安当局によると、早川は教団「建設省」大臣として、表向きは土地の取得や施設の建設などを担当していたが、実際は、オウム関連企業「世界統一通商産業」の社長としてオーストリア経由で軍用ヘリを購入したり、教団幹部の井上嘉浩や岐部哲也、暴力団幹部出身の中田清秀ら実行部隊を指揮し、“裏の司令官”と呼ばれていた。

早川については当時から、赤軍など過激派の残党とか、外国諜報機関のエージェントではないか、という見方をする公安関係者もいたが、はたして、そうだろうか。

「オウムが、国家転覆を狙うような団体に変貌した陰に、早川の存在がある」(公安当局)ことは間違いない。彼が国家権力への反感と、教団発展のための利権獲得、ひいては自分の理想とか夢、さらには野望の達成に意欲を燃やしたことが教団の暴走に拍車をかけたのではないか。

こんな早川が麻原と初めて会ったのは、阿含宗の信者時代であった、とされる。

麻原が、84年にオウムの前進組織「オウム神仙の会」を設立する前に阿含宗にいたことは、捜査当局も確認している。

<中略>

当時、2人は顔見知り程度の付き合いはあったかもしれないが、さほど仲が良かったという話は聞こえてこない。ところが、麻原が阿含宗を辞めると、早川も後を追うように退会。麻原が「神仙の会」を結成すると早川も入会し、87年に同会が「オウム」と改称した時に、早川も妻と共に出家し、麻原の側近になっている。

2人をよく知る元信者は、こう語る。

麻原が宗教ビジネスを思いつく天才なら、早川はそれを具体的にきちんと実行する名参謀。2人がオウムを作ったんです

確かに、それからのオウムの躍進ぶりは凄まじかった。

早川が教団に引っ張ってきたメンバーは、不動産から殺人兵器まで資材を調達するプロをはじめ、信者の獲得や煽動、まとめ役の第一人者、闇の世界に精通し、多彩な人脈を持っている者、出所不明の多額の資金を集めて来る者…など、いずれも“百戦錬磨”の強者ばかりと言っていいだろう。

この早川グループの面々は、リーダーの早川同様、地下鉄サリン事件などの現場には決して顔を見せず、松本、地下鉄両サリン事件の発生直後、2回に分かれて大量脱会している。

しかも、早川グループがロシアなどから買い集めてきた大量の武器の行方が、全く分からないままなのである。

さらに興味深いのが、彼らの大半が脱会後、別の宗教団体の幹部に収まったり、暴力団幹部や企業舎弟、別の宗教団体関係者と一緒に事業を始めたり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に食い込んで、大々的にビジネスを展開するなど、いかにも怪しげな軌跡を辿っていることだ。

捜査当局がオウム教団から押収した資料の中に、「オウム真理教内の統一教会信者名簿」があった。これは、統一教会の合同結婚式に参加したオウム信者の名簿と見られ、統一教会信者と同姓同名という23人の名前が書かれてあった。オウム教団内には、創価学会や阿含宗など他の宗教団体から加わった信者が多く、新左翼などの脱会組もいると言われている。

松本、地下鉄両サリン事件後、大量脱会したオウム信者のほぼ全員が統一教会の脱会者で、中核は元自衛官を含む十人前後。

オウムは88年ごろから統一教会系企業と交流を深め、90年の衆院選では選挙活動のコンサルティングを受けていた。選挙後に統一教会からオウムに、大量に信者が移った。

続いて『オウムと統一教会を結ぶ線』から引用します。
オウム真理教とはいったいどんな宗教団体だったのか。一億総オウム・ウオッチャーとなった今、改めて語る必要もないと思うが、本誌なりにちょっと纏めてみよう。

1:輪廻転生、前世、来世、地獄や天国(極楽)を信じている。

2:超能力、あるいは神通力といった摩訶不思議な能力に憧れる。

3:世紀末思想、終末思想を持つ。

4:科学的、論理的思考を大切にする。

5:一般には無価値な物を高額で売りつけ、多大なカネを得ようとする。(この無価値な物には、超能力を引き出したり、人格を高めたりする力があるとされる。)

6:統一教会の元信者が、高い位置にいる。

7:創価学会との関連、協力が噂される。

8:ロシアとのコネクションに力を入れる。

9:武装し、武力行使を考えている。

10:自衛隊、警察、やくざといった武力集団に接近を図る。

11:全国に支部を広げるが、最大の拠点を富士一帯に置く。

12:女性信者が多く、また一般信者は平均して若年である。

まだあるが、とりあえず気にかかるのはこれくらいだろう。

これはオウム真理教について述べたものである。ところが不思議な事に、日本中のさまざまな新興宗教団体、新興思想団体には、この十二の条件のすべて、あるいはかなりの条項があてはまるのである。

逮捕された早川紀代秀(建設大臣)は、御存じのとおり元統一教会の人間である。それが阿含宗に入り込み、そこで麻原彰晃とめぐり合い、後にオウム神仙の会を作ることになったのだが、もし早川が麻原と会わなかったらば、彼は阿含宗の信者として、阿含宗を統一教会の目的通り操ることにすべてを賭けたことだろう。阿含宗には現在も統一教会の元信者が入り込んでいるが、これは阿含宗に限ったことではない。幸福の科学にも、エホバの証人にも、いや、あらゆる新興宗教団体、思想団体に、統一教会は人を送り込んでいるのだ。もちろんその中には、ほんとうに統一教会をやめた元信者もいるだろうが・・・。

この早川紀代秀は、ロシア射撃ツアーを企画したり、軍事訓練を受けたりと、非常にロシアに接近している。麻原オウムがロシアに接近しようとした最初のヒントは、恐らくはこの早川紀代秀によるものだろう。

ここでちょっと、オウム真理教の歴史をざっと見てみよう。

阿含宗で麻原彰晃と早川紀代秀が運命の出会いをしたのが昭和六二年(一九八七年)、その翌年には、麻原も早川も阿含宗を飛び出してオウム神仙の会を作っている。オウム真理教と名称を変え、平成元年(一九八九年)八月には東京都から「宗教法人」の認証を受ける。この頃からすでに、山梨県上九一色村の土地を買い始めている。

そして翌年、平成二年(一九九〇年)二月、麻原彰晃は「真理党」を組織し、二五名が総選挙に打って出るが、惨敗する。この総選挙出馬は、早川紀代秀の案によるもので、当時は幹部の上祐史浩らが猛反対したと伝えられるが、早川が押し勝つ。この選挙惨敗によりオウム真理教は、「米びつに米一粒さえもなくなった」(元信者の話)というほどの経済的打撃を受ける。

ところが、資金ゼロのはずのオウムが、その年の五月には熊本県波野村に六ヘクタールの土地を購入そして翌年平成三年にはロシアを訪問、エリツィン大統領の側近のロボフ氏に面会して、有名な「ロシア日本大学」構想をぶち上げる。これによりロシア政府の有力スポンサーとなった麻原彰晃は、平成四年には信者三〇〇人を引き連れてロシアを訪問、政権中枢に接触して本格的な布教活動を開始する。

さてここで問題なのは、資金ゼロのオウムがいったいどこからそのカネを持ち出したのかということである。立証はされていないが、統一教会が五〇億円を出したといわれている。だが当時、統一教会にそんなカネがあったのだろうか。

「文鮮明が池田大作にたのんで五〇億円を出させ、そのうちの三〇億円をオウムに渡したといわれる。なぜオウムにカネを渡したのか--それは、創価学会の最大の敵をオウムの力で叩かせるつもりだったのだ。」(信頼できる事情通の話)

噂話は信頼できないかもしれない。現実にオウム真理教とロシア政府との仲を取り持った人物は、加藤六月、草川昭三、後に山口敏夫が関っている。この三人の政治家のなかで、とくに熱心だったのが草川昭三である。では、草川昭三とはどんな人物なのか。

草川昭三。昭和三年生まれ。名古屋第一工芸高卒。愛知県選出の衆議院議員。最初は民社党から出馬、後に公明党となる。当選七回。早くから在日朝鮮人の差別問題に取り組み、公明党のなかでも朝鮮半島に明るい人物とされる。

オウム真理教麻原彰晃をロシア政府に紹介した政治家とは、創価学会員であり、朝鮮と密接な関係を持つ男だった!

創価学会と統一教会が密約を交わした関係にあることは明々白々である。この両者の接点にオウム・麻原がおり、オウムはサリン作成を実験し実行に移した可能性がある。それ以外にも、銃器・細菌兵器の研究等を進めていた。オウムは強引な信者獲得、お布施の強要によって資金を作っていったが、実際に使用された資金はそれを遙に上回る。ということは当然、創価学会あるいは統一教会から出資があったと推測されるし、さらにオウムの武装化について、創価学会・統一教会が理解していなかったとは、考えられない。

続いて『週刊現代』平成7年5月27日号の「麻原オウム事件の『全真相』」からも引用します。
オウム真理教は統一協会の仏教部か?

麻原が阿含宗を脱会した時、早川紀代秀他数人が一緒に阿含宗を辞めて、麻原に付いて行った。その中に「統一協会から送り込まれていた人物」がいたと、栗本は指摘する。

平成5年の春頃、三橋はある宗教ウォッチャーと雑談して、話がオウム真理教に及んだとき、その人は、「オウムは統一協会の仏教部です」といった。その頃の三橋はオウムには全く関心がなかったが、彼が「会員や信徒が500人以上いる宗教団体には、決まって隠れ統一協会員が入っているか、入ろうとしていますよ」と言い添えたことは記憶している。

忍者のような彼らは、最初は熱心な信者であり、幹部の注目を惹く。やがて抜擢されて、教団の出版部とか事業部とかに入る。

いったんそこに入ったら、教祖や幹部の思惑を越えて、いろんなことをやり出す。そしてその教団はガタガタになる。





■日本の闇を探る⑫ 06:30

オウムを操った統一教会
統一協会とは、どんな団体なのか?
全国霊感商法対策弁護士連絡会の「統一協会の現状」から、その概要をみてみましょう。
世界基督教統一神霊協会(略称統一協会)は1920年に今の北朝鮮で出生した文鮮明が1954年5月に韓国で創立しました。文鮮明は日本の高等学校で学んだ後、今の北朝鮮に帰省し、社会秩序を乱した罪で北朝鮮で1948年に実刑判決を受け、韓国に逃走した後にも同種事件で1955年にソウルで逮捕されています。多くの女性と性関係を持ったことが理由と言われています。

<略>

韓国で始まった統一協会は、1958年に日本で布教を始めました。



麻原が阿含宗を脱会した時、早川紀代秀他数人が一緒に阿含宗を辞めて、麻原に付いて行った。その中に「統一協会から送り込まれていた人物」がいたと、栗本は指摘する。

平成5年の春頃、三橋はある宗教ウォッチャーと雑談して、話がオウム真理教に及んだとき、その人は、「オウムは統一協会の仏教部です」といった。その頃の三橋はオウムには全く関心がなかったが、彼が「会員や信徒が500人以上いる宗教団体には、決まって隠れ統一協会員が入っているか、入ろうとしていますよ」と言い添えたことは記憶している。

忍者のような彼らは、最初は熱心な信者であり、幹部の注目を惹く。やがて抜擢されて、教団の出版部とか事業部とかに入る。

いったんそこに入ったら、教祖や幹部の思惑を越えて、いろんなことをやり出す。そしてその教団はガタガタになる。

ロシア、北朝鮮、韓国、日本、米国を結ぶ忍者

これまでも統一協会批判はあった。一つには、「勝共連合」に対する批判である。勝共連合は統一協会と表裏一体の組織で、文字通り”反共”が旗印だったから、左翼には不倶戴天の敵だった。統一協会とは、世界基督教統一神霊協会の略である。文鮮明が1954年に韓国で創立、その4年後に日本名・西川勝こと崔翔翊により日本に上陸した。日本で宗教法人認可になったのは、昭和39年。その会長の久保木修己が勝共連合のトップを兼ねた。

以後、統一協会や勝共連合は、文化人に、政界に食い込む。代議士の秘書には多くの統一協会員を送り込み、選挙には、統一協会・勝共連合の力を借りなければ当選しないとまでいわれる程の勢力を持った。

昭和61年の衆参ダブル選挙では、130人の“勝共推進議員”が当選したと「思想新聞」(同年7月20日号)が伝えている。また、その3年後に東京で開かれた勝共連合推進国会議員の集いには、自民・民社などの国会議員232名が参加している。

1984(昭和59)年、文鮮明は米国で脱税の為有罪の判決が下り、1年余りダンベリー刑務所に収監された。その為、平成4年に来日の際は入国出来ない筈だったが、超法規的に日本に入国した。

文鮮明を招待したのは6名の「北東アジアの平和を考える国会議員の会」名義だが、実際に動いたのは統一協会直系の「スパイ防止法制定促進国民議会」で、法務大臣に口をきいたのは、金丸信自民党副総裁だった。この時、文鮮明から金丸氏に巨額のカネが送られたといううわさがある。

統一協会・勝共連合は「原理研究会」なる団体を通じて学生に食い込んだ。勝共連合や原理研学生達が、選挙運動の時の手足に駆り出される。

かっては“親泣かせ”の「原理運動」「花売り」、後には「霊感商法」「集団結婚」で有名(?)になった統一協会、勝共連合だが、原理運動、霊感商法という面での批判者はいても、幾つもの宗教団体に隠れ協会員を送り込み(或いは統一協会の脱会者と称して)破壊工作を進める裏部隊としての統一協会の活動について追究している人がいるかどうかは知らない。

統一協会の目的は各国の愛国者を骨抜きにすること

統一協会が何のために、とりわけ宗教団体に会員を潜らせているのか。統一協会自身が、その目的を公表するはずもない。ここに極めて興味深い文献がある。アメリカの歴史修正学者であるF・スプリングマイヤー著『蛇の如く狡猾に』(1991年)である。

スプリングマイヤーは、色々の団体(特に最近はニューエイジ宗教)に入り込むモルモン教とよく似ている団体として統一協会を挙げ、「如何に洗脳(マインドコントロール)してカネ集めをさせるエセ宗教をつくる事が出来るかの良い例である」と見ている。

が、次の事実は日本では知られていたかどうか。

韓国政府はロックフェラーの銀行であるチェース・マンハッタン銀行を取引先に指定した。1962年10月、米国政府は同銀行の助言に従って、韓国諜報機関であるKCIA(韓国中央情報局)の局長に金鍾泌を就任させた。1962年10月、いわばCIAの出先機関であるKCIA(韓国中央情報局)の金局長が訪米した。その際に同行したのが文鮮明だった。金と文はCIAのジョン・マッコーン並びにキャロル陸軍中将と会談するのが目的だったが、この訪米でネルソン&ディヴィッド・ロックフェラーと会った。文鮮明とネルソン・ロックフェラーは、ぜひ自分たちの目で世界統一政府実現を見届けたいと、たちまち意気投合した。

スプリングマイヤーによると、第2次世界大戦直後にロックフェラーは日本で密かにかなりの株式(又は資金)を保有していたが、その日本セクターが隠密裡に文鮮明に資金援助することを決定したという。彼の反共十字軍は、「ロックフェラーの新世界秩序に反対する日本の愛国的保守勢力を骨抜きにする」ことを使命にして動き出した。これが勝共連合だった。

スプリングマイヤーは、ロックフェラーと仕事をしている弁護士が自信をもって語ったことを次のように紹介している。

「ディヴィッド&ネルソン・ロックフェラーは、熱狂的なグローバリストだ。文鮮明だって、そうだ。統一協会の目的は、ロックフェラーが世界各国をがんじがらめにしようとしている国際的なタガを、キリスト教にはめ込んでしまおうというのだから。このゴールに到達するためには、チェース・マンハッタンの連中は、いわゆる共和党右翼と呼ばれる愛国者達を骨抜きにしなくちゃならんのだ。よく見てご覧なさい。文鮮明がやっていることは、それなんだよ」

なんと!ここにロックフェラーの名が出てきました。
なるほど世界皇帝がバックアップしてくれるなら「怖いものなし」です。
ロックフェラー家の実力は、米国政権の主要な顔触れをみるだけでもわかります。
父ブッシュは、テキサスでロックフェラー財団に利権を売っていた石油採掘業者。
そして、その息子が現在の大統領。
ブッシュの右腕コンドリーザ・ライス国務長官は、ロックフェラーの石油メジャー「シェヴロン・コーポレーション」の社外重役。
チェイニー副大統領はロックフェラーの石油メジャーと繋がる石油会社、ハリバートン元会長。
チェイニーの夫人はロックフェラー系の兵器産業、ロッキードマーチンの重役。
ドナルド・ラムズフェルド国防長官は、そのロッキード・マーチンと関係の深いシンクタンクであるランド研究所の理事。
つまり、今の米国政権は、ロックフェラー家の使用人で構成されているのです。
ちなみに、このラムズフェルドが、北朝鮮がミサイル発射実験をしたことで日本に導入が決まったMD計画の主導者です。
先日、北朝鮮は核実験を強行し、またまた日本を騒がせましたが、興味深いことに、ラムズフェルドは北朝鮮の核施設開発に技術提供したスイスの核施設開発企業ABB.ltd.の役員でもありました。
統一協会が講演料名目で多額の報酬をブッシュ家に提供*1していることも有名であり、1995年9月14日に東京ドームでおこなわれた世界平和女性連合(統一教会の女性組織)の集会でも、父ブッシュ夫妻が出席し講演しています。
また、統一教会は、1982年にアメリカで保守系新聞『ワシントン・タイムズ』*2を創刊していますが、シオニズム活動を熱烈に支持し、特に右派リクードを支援しています。イスラエルのシャロンが、リクード党の党首選挙でネタニヤフに勝った時の資金も、統一教会から流れていたそうです。
さらに統一協会は、シモン・ヴィーゼンタール・センター(SWC)とも友好関係を結んでいます。
SWCは、「戦後世界史最大のタブー、ナチ『ガス室』はなかった」という記事を載せた文藝春秋社の雑誌『マルコポーロ』を廃刊に追い込んだアメリカのユダヤ人組織(圧力団体)です。
ちなみに、創価学会も1993年からSWCと連携しています。公明党が推進した「人権擁護法案」という名と実のかけ離れた人権侵害法案は、おそらくこの連携から生み出されたものでしょう。
文鮮明は、次のような話もしています。
「2012年までには神の摂理のすべてを完成させなければなりません。イエス様が2000年前に受け入れられずに失敗したすべてを蕩減しなければならない。キリスト教徒はユダヤ人と共にそれを成し遂げなければならない。私は私の100%の力を投入し、イスラエルを救うために歩む覚悟でいます。すべてのアメリカ人が目覚め、そのことのために働かなくてはなりません。皆さんもそのようにお願いします。皆さん、キリスト教の指導者はキリスト教の統一のために働いて、それを成し遂げてください。」
「キリスト教の指導者はキリスト教の統一のために働いて、それを成し遂げてください」とは、まるでオプス・デイの代理人のようなセリフです。そして一番気になるのは「2012年までには神の摂理のすべてを完成させなければなりません」という言葉。聖書は、終末論を唱えています。「最終戦争のあとにキリストが再臨する」のを待ち望む“福音派”と同じ、危険な解釈をしているようです。
これは、言い換えれば「2012年までにキリスト教徒はユダヤ人と共に最終戦争を起こしましょう」という意味なのではないでしょうか?
藤原肇著『小泉純一郎と日本の病理』には興味深い記述があります。
彼(小泉)に課せられた使命は、自民党を潰すことではなく、森政権を支えた張本人だったので、日本を潰すことだとアメリカでは見ています。日本人は誰も知らないが、アメリカでは彼は“隠れ統一教会”と見られています。5、6年前のデータですが、統一教会がアメリカの大学を出た優秀な連中を400人ほど、自民党の議員秘書に送り込んでいます。つまり、ここ数年、表面的には自民党政治が行われていたのですが、裏では統一教会が動いています。そこへ公明党が連立を組んでいる。これは私だけの見方ではなく、日本にいる外国人特派員たちの見方でもあります。

統一教会をただのカルト宗教と見るのは間違いのようです。
どうもここ最近の日本の“奇妙な”右傾化は、統一教会の影響が強まっている顕れなのではないでしょうか?
2006年1月27日付けの森田実政治日誌に妙に気になる情報が載っていました。
『「権力の親衛隊」=忍者的仕掛け人集団の存在は本当か?それは平成時代の「新撰組」か?動き出した右翼革命の中核部隊か?政権の末期症状の一つか?』

古い知人から電話があった。彼が言った言葉――「日本の情報をコントロールし、日本の政治を動かす政治権力の一種の親衛隊が組織されているという情報があるが、あなたは知っているか」――が、ここしばらくの間、気になっていた。

昨日、別の古い知人から電話があり、政治権力の「親衛隊」の存在を教えてくれた。彼が話したのは、次のようなことだった。

(1) 「親衛隊」の構成は、官庁、巨大広告企業、各種報道機関、大企業、大銀行、研究機関のメンバーと各種専門家などの約100名。ボスは現政権の某中心幹部。

(2)性格は一種の情報機関。約100名のメンバーは諸々の情報を集めボスに報告する。その情報をボスが分析し、攻撃すべき人物と彼に関するスキャンダル資料を集める。これを報道機関が一斉に報道する。そのほかの機関も動き出す。ターゲットにされた人物はマスコミ報道によって葬られる。



■日本の闇を探る⑭ 06:32

オウム事件は終わらない
『「オウム真理教と北朝鮮」の闇を解いた』では、オウムは北朝鮮の核開発に関与しており、教団の核武装化を目指していたと書かれていました。
『オウム帝国の正体』では、下記のように書かれています。
早川が教団に引っ張ってきたメンバーは、不動産から殺人兵器まで資材を調達するプロをはじめ、信者の獲得や煽動、まとめ役の第一人者、闇の世界に精通し、多彩な人脈を持っている者、出所不明の多額の資金を集めて来る者…など、いずれも“百戦錬磨”の強者ばかりと言っていいだろう。

この早川グループの面々は、リーダーの早川同様、地下鉄サリン事件などの現場には決して顔を見せず、松本、地下鉄両サリン事件の発生直後、2回に分かれて大量脱会している。

しかも、早川グループがロシアなどから買い集めてきた大量の武器の行方が、全く分からないままなのである。

さらに興味深いのが、彼らの大半が脱会後、別の宗教団体の幹部に収まったり、暴力団幹部や企業舎弟、別の宗教団体関係者と一緒に事業を始めたり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)に食い込んで、大々的にビジネスを展開するなど、いかにも怪しげな軌跡を辿っていることだ。

サリンは、どこで生成されたものか。その答えが、CIA関係者が指摘した「ロシアからの密輸」であった。

<中略>

捜査当局が地下鉄サリン事件後、捜査員ら7人を新潟に派遣し、94年~95年にかけて新潟港に入った船舶の乗船名簿や荷揚げリストを徹底的に洗ったり、船内の検索、化学物質の鑑定を行ったのは、そのためである。

捜査当局はロシア-新潟-上九一色のサリン密輸ルート解明に全力を挙げたが、結局、外交問題に発展しかねないとして断念している。

ロシアマフィアで忘れてならないのは、極東マフィアの存在だ。ロシア内務省の調査では、ハバロフスクに31団体、サハリンに50団体の約1千人のマフィアがいて、ロシア、中国、韓国、北朝鮮系に分かれているらしい。

中でも、ハバロフスクとウラジオストックのマフィアは、日本の暴力団とのパイプがある。ロシア陸軍出身者の多い前者が関東、海軍の退役軍人が中心後者が関西の暴力団と強力なコネクションがあり、「原潜以外なら、何でも手に入る」と豪語しているらしい。

主要なビジネスは武器と麻薬で、中ロ国境は事実上フリーパスと言われ、早川が頻繁にハバロフスクに出入りしていたのは、彼らに接触するため、と見られている。

ロシア当局によると、ハバロフスクから日本への密輸ルートは、①空路ウラジオストックに運び、貨物船で新潟沖まで運搬、日本の漁船に積み替える。②トラックで約380キロ離れたバニーノやソビエツカヤなどの港に運び、小樽や稚内近くの漁港まで海上輸送する。③空路、カムチャツカ半島に運び、貨物船で網走沖まで運搬し、引き渡す-の3つのコースがあって、早川はサリンや武器を①のルートで密輸した疑いが強いとされる。

(ここで出てくる関東の暴力団とは住吉会、関西の暴力団とは山口組のことでしょう。)
95年12月、巨大な軍港を備えた産軍複合都市のサンクトペテルブルグで会ったネオナチグループのリーダーは、92年と94年の2回、麻原らと会ったことを認め、早川を武器商人に紹介したことを明らかにした。その武器商人に話を聞いたところ、恐るべき証言が飛び出してきた。

「オウムが買おうとしていたのは、トカレフやカラシニコフなんかじゃない。戦車やヘリでもない。本当に狙っていたのは、核兵器なんだよ。それも入手したはずだ…」

オウム教団はウクライナに貿易会社『マハーポーシャ・ウクライナ』を設立し、兵器や高度情報・通信システムなどの輸出入窓口にしており、早川も頻繁にウクライナを訪れている。また、“解散命令”を受けた後の教団の拠点は、モスクワから南に約1700キロ離れた北オセチア共和国の首都、ウラジカフカスであった。

<中略>

ウラジカフカスは当時、内戦下にあったチェチェン共和国の首都・グロズヌイから約110キロと近く、ソ連崩壊で旧ソ連軍が引き上げた時、大量に放棄した武器をチェチェン軍、反政府ゲリラが奪い、闇ルートで売り捌いてきた町で、オウムとって武器調達の宝庫だった。早川は何度もこの町を訪れ、水陸両用戦車や潜水艦まで購入しようとしたし、地下鉄サリン事件当時もウラジカフカスにいたとされる。

米上院調査小委員会顧問のエーデルマンは96年3月の上院公聴会で、オウムが地下鉄サリン事件を起こす以前に、旧ソ連内で核兵器を購入しようとしていたことを明らかにした。それによると、教団幹部が核兵器購入をめぐり、ロシア高官と協議したという。前出の武器商人の「オウムは核兵器を入手したはず」という証言には根拠があったのだ。

オウムが大量に入手したはずの武器・兵器は、どこかへ消えたままになっています。
オウム真理教は既に力を失い、残った信者たちは社会の片隅で息を潜めている状態ですが、オウムの背後に潜み操っていたと思われる統一教会や創価学会は健在であり、むしろますます勢力を強めている感があります。
彼らは、銃器のみならず、生物化学兵器や核兵器さえ持っている可能性すらあります。
そして、政治家の体質も、変わったようで変わらず、暴力団やアメリカとの関係も相変わらずです

そしてそして、北朝鮮は更に追い詰められ、金正日の焦燥は日ごとに募るばかり…。
北朝鮮の挑発を受けて、日本では憲法改正、そして核武装論までも声高に叫ばれ始めました。
もし北朝鮮が日本にミサイルを撃ち込んだり、北朝鮮の仕業とされるテロが起これば、日本は一気に軍国主義に傾くでしょう。
オウムに対する強制捜査がおこなわれた約1か月前に作成された公安の捜査報告書には、オウムの計画していたハルマゲドンの中身が次のように書かれていたそうです。
計画は5段階に分かれ、第1段階はサリンを使った無差別テロ。第2段階は銃器や爆発物を使用した要人テロ。第3段階は細菌兵器を上水道に混入する無差別テロ。第4段階はサリンなどの薬剤の空中散布による無差別テロ。そして、第5段階は核兵器による首都殲滅である…

これから第2段階以降の計画が実行される可能性も十分にあり得るのではないでしょうか? (終)



http://kamomiya.ddo.jp//Souko/C01/Hayakawa/Musubu.htm

オウム・麻原がおり、オウムはサリン作成を実験し実行に移した可能性がある。それ
以外にも、銃器・細菌兵器の研究等を進めていた。オウムは強引な信者獲得、お布施の強
要によって資金を作っていったが、実際に使用された資金はそれを遙に上回る。というこ
とは当然、創価学会あるいは統一教会から出資があったと推測されるし、さらにオウムの
武装化について、創価学会・統一教会が理解していなかったとは、考えられない。オウムの施設が林立する上九一色村という所は、日蓮正宗総本山・大石寺から直線距離にして三キロの位置にある。
 「当時、日蓮正宗と創価学会は激烈な宗教戦争を行なっていた。創価学会はもともと、日蓮宗を叩き潰す目的で作られた宗教団体。その創価学会が大石寺を破門された時、日蓮宗との全面戦争を考えたはずだ。オウムが作ろうとしたサリンは、ほんらいは大石寺の日蓮正宗信徒を狙ったもの。大石寺を叩く、といって統一教会経由で創価学会からカネを受け取ったのだ」(事情通の話)という見方も出てくる。
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オバマ大統領の配下にいる悪魔

オバマ大統領の配下にあるのか、それとも黒幕といえる人物なのか?いずれにしても、オバマ政権の科学技術政策局長のジョン・P・ホールドレンは悪魔といえる。
http://www.davidicke.jp/blog/20090906-1/

ホールドレンは一九七七年に「エコサイエンス」という本を共著で出したが、そこには、食物と上水道への薬物混入による人口の大量断種や、強制堕胎、政府による非嫡出子の没収、強制の避妊用皮下インプラントといった制度を強要するための提案が詳しく書かれている。


「エコサイエンス」という悪魔の本

http://www.youtube.com/watch?v=1PNjLmopJF4&feature=related#t=6m20s
















人口を殺処分しようとする勢力は、豚インフルエンザワクチン接種計画の背後の推進役である。アメリカ大統領科学技術諮問委員会は今週、豚インフルエンザは「わが国に対する脅威」であり、およそ九万人が死亡する可能性があると警告し、全ての人がワクチンを接種すべきだと発言した。

この諮問委員会の議長は、ホワイトハウス科学技術政策局長のジョン・P・ホールドレンである。ホールドレンは一九七七年に「エコサイエンス」という本を共著で出したが、そこには、食物と上水道への薬物混入による人口の大量断種や、強制堕胎、政府による非嫡出子の没収、強制の避妊用皮下インプラントといった制度を強要するための提案が詳しく書かれている。

ホールドレンは、悪名高い人口統制過激派のポール&アン・ エールリッヒと共にこの本を執筆した。そして、このような断種計画は、長期に亘り実行されていたことは疑いようがない。精子の数は一九八九年から三分の一減少しているし、五十年の内では半数になっている。

ホールドレンは最近、「エコサイエンス」の内容が公になった後、彼が強制的な人口統制を支援したことを必死に否定しようとしているが、まさにそれを提唱する千ページに及ぶ共著を出版していることを考えると、その言い訳はかなり見苦しい。

この計画は強制のワクチン接種を導入するためのもので、十月から軍の全職員への強制接種が開始されるという今週の発表をもって、彼らはそれに向けて着々と進行している。

真実を伝えたかった社員 へのNHKの非道な対応

NHKが911で真実を伝えようとした社員に対して、非道な対応をしていた。
長年貢献した社員が命をかけて報道した番組をなぜ隠蔽しようとするのか。
なぜ911の真相に迫った番組を再放送しようとしないのか、また警察の対応に対してNHKは抗議すらしなかったのか?



http://asyura.com/0406/dispute19/msg/507.html

イランの『テヘラン・タイムズ』が
「他殺」の線で報じたのが共同電を受ける形で出されたこのNHK「怪死」事件だった。
9・11事件の事件解説の総責任者だった長谷川浩 NHK解説主幹『怪死』事件」と
その処理をめぐる謀殺した殺害者グループに脅されてか、また、警察庁・警視庁幹部と示し合わせてか、
事件の翌月の 10月15日にNHK構内で変死体でみつかった長谷川浩氏の事件は、殺人事件としては封印した。
いわば闇に葬って、「事件として扱わずに変死体なら当然するべき検死解剖もせずに
「転落死の自殺」扱いにで処理して誤魔化したのがこの海老沢会長だった。
これが、海老沢会長の最大の罪である。
いわば結果的には、暗殺者の殺害という犯罪の隠蔽に手を貸した事後的な共犯なのである。
長谷川浩氏は、誰によって何故殺されたのか?
彼は、9・11事件の謎を追っているうちに、
世界貿易センターで犠牲となった被害者の国籍別人数を調べていた。
そこで、この事件の本質とその謀略の本質を察知して、
本来は勤務していた筈のイスラエル国籍をも有するユダヤ人がいないということを知ってしまったのである。
そこで、氏はテロだと決め付けることに躊躇したのだろう。
日本国の世論の動向を左右する重大なマスコミ
とりわけ公共放送テレビ局のNHKがどのように発表表現するかで、この事件の位置付けは決まる。
だから、米国のように全てのマスコミがシオニスト・ユダヤの支配下に入っている場合には、
資本のオーナーの意向により、どのようにも報道出来るが、
国民の税金のような視聴者の視聴料から成り立っているNHKには、通常ならユダヤの支配は及ばない。
だから本当に客観的な視点から9・11事件を調査・分析・報道すべき義務がNHKにはあったのである。
故解説主幹長谷川浩氏はその立場「皆様のNHK」にたって、
公正中立にこの事件を報道することを主張したのに相違あるまい。そうされては、それでは困る輩がいたのだ。
長谷川氏は、10月10日に深夜の23時の特別番組で、
この種の解説番組では異例中の異例の1時間の放送枠を与えられて、
その調査分析に基づくニュース解説を行なったが、
その番組の総合テレビ「特集/あすを読む」は、非常に珍しい解説室総動員の豪華版時局解説特集であり、
解説室長が司会をして公正中立を装い、解説員の各自が自分の担当分野を中心に報告して、
皆で議論を重ねる形式であった。
長谷川解説主幹の画面には、特にわざと「主幹」の紹介文字はなく他の全員と同列に扱い
その意見を開設室が敢えてとらないように単なる「解説員」扱いであり
その専門を「政治・外交」と紹介されていた。
つまりは、9・11事件の解説総責任者からはずされて降格扱いが全国に晒されたのだ。

9・11事件の真犯人のシオニスト・ユダヤとその日本国内の同調者・手先達である。
その中心にいたのは小泉初め政府の中枢部とそのの同調者のNHK海老沢会長
であった。
従って、米英の諜報機関かその手先またはこれらから指示を受けた暗殺者が
異論(本当は正論)を唱えた解説主幹長谷川浩氏を密かに自殺を装って始末させたのだ。
その「死因」発表については、転落死による自殺だという結論を決め付けて、
警察庁や警視庁中枢部に根回しして、密かに始末
した。
すなわち、イスラム過激派による同時多発テロだという公式見解の定説を米国の指示通り、
大本営発表を垂れ流したのだ。
かくして、日本国民も米国と同様に、オサマ・ビン・ラディンだアルカイーダだというようになったのだ。
ユダヤの支配下にない「日本国民の公共放送」が歪められるまでには、
解説主幹長谷川浩氏という正論の優れた勇気あるNHK一幹部職員の死と
腐敗堕落した海老沢会長という権力者に対しては卑屈な日本国民の裏切り売国奴の存在が必要であったのだ。

しかし、解説主幹長谷川浩氏の霊は残っている。
まともの葬儀さえもされずに肉親だけの密葬ですませた。
その葬儀が執り行なわれた自宅住所も伏せられてNHK社葬とされるべき葬儀は、NHKの参列者もなかったようだ。これは、NHKに海老沢会長に殺されたようなものだろう。
幽霊となって長谷川氏は、その恨みを我が夢に「この恨みをはらしてくれ。」と訴えて来ている。
おそらくは、下手人も海老沢会長の枕元には毎夜、夜な夜な姿を現しているに相違、ない。
NHKの腐敗汚職追求の嵐はこれから吹き荒ぶ。
海老沢会長が、解説主幹長谷川浩氏の幽霊に呪い殺され狂い死にするまで・・・・・・・・・。

    御霊よ安らかに眠れ。この恨みは歴史がはらし、そのその正邪は歴史の法廷が裁く
      合掌       救国の草莽の志士





http://74.125.153.132/search?q=cache:SSk9FrcPMUQJ:www.jca.apc.org/~altmedka/akuukan-01-10-73.html+NHK%E3%80%80%E9%95%B7%E8%B0%B7%E5%B7%9D%E3%80%80%E8%87%AA%E6%AE%BA&cd=5&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

 転送、転載、引用、大歓迎!

 2001.10.31.追記:次号で詳しく報告するが、この「怪死」事件の隠蔽工作は、明らかにNHKおよび記者クラブと腐敗警察との長年の癒着関係の延長線上に起きた象徴的な出来事であり、しかも、「プライヴァシー」を逆用する歪み切った政治犯罪として進行したものであり、その汚い政治犯罪は、さらに、アメリカの国家テロによる無差別大量虐殺に呼応する日本の戦争犯罪の一環なのである。

 時系列では逆になるが、「長谷川浩NHK解説主幹『怪死』事件」に関して、本日、 2001.10.30.午後5時ごろに判明した最新の独自捜査結果から、先に報告する。

 すでに本通信で報告したように、通称「桜田門」の警視庁本部の広報は、記者会見発表をしていないと答えた。新聞報道は現地の代々木署から得た情報だろうと言い、 「事件として扱う事案とは思わない」と、まるで返答にならない返答をした。

  検死解剖もせずに、何故、「自殺」扱いにできるのか

 以後、世界中から関連の諸情報が殺到するので、少し遅れたが、長谷川浩さんの 「死因」発表について確かめるべく、代々木署の「広報担当の副署長」と指名して電 話を掛けたら、今度は直接つながった。相手は「平野」と名乗ったが、決して「平」刑事で はない。通常、副署長は叩き上げのベテラン刑事である。声は、そんな感じだった。

 名乗りを挙げて、ずばり、「検死解剖をしたのか」と聞くと、即座に、「私は対応できない。本部に聞いてくれ」と言った。彼らが「本部」というのは警視庁の桜場門 の本拠のことである。警視庁だから「庁」だと思って間違え「本庁」とて言う外部の人もいるが、警察関係者の隠語の「本庁」は警察庁のことである。

「対応できない。本部に」、つまりは、役所の得意藝の「盥回し」ではあるが、すで に完全に矛盾をきたしている。それでも一応、再び、警視庁の広報に電話すると、同 じ返事の「そういう事案とは思わない」の一本槍で、何度言っても、「蛙の面に小便」状況である。

新聞報道も中途半端だが興味深い部分も

 新聞報道も、扱いが小さいだけではない。「転落死」と記すだけで、自殺なのか事故なのか他殺なのか、さらには、転落ではなくて別の死因があるのに、運んできて転落 死を装ったものかどうか、などの可能性の追及をしていない。検死解剖もせずに「自 殺」と断定できるのなら、コロンボ刑事は失業する。明らかに「臭いものには蓋」、 いわゆる「メディア仁義」の典型で、記者クラブの「根回し」が歴然である。

 ただし、別途、資料頁を作成した比較検討に提供する予定であるが、各紙を丁寧に 読み比べると、それでもなお興味深い部分が、いくつかある。

 朝日は葬儀の部分に「自宅は公表していない」と記す。これでは友人知人が弔電を 打ちたくても打てない。これだけでも異常な葬儀である。産経は「代々木署が原因な どについて調べている」と記すが、「原因」の後追い取材をした気配がない。東京は 「代々木署は自殺とみて、動機などを調べている」と記すが、これも「自殺」の判断 の根拠を示しておらず、「動機」の後追い取材の気配がない。

 これらの疑問に関して、各社の社会部に問い合わせても、ましなのは「情報提供有難うございます」とは言うものの、「継続取材はむずかしい」、酷いのは「新聞は真実を伝えています」とオウム返し、どうにならない。

NHKは「最後の仕事」と思われる解説番組の録画公開を拒否

 毎日は一番参考になった。「10月10日放送の『特集・あすを読む』で米国同時多発テロ関連の解説をした」と記していた。別途、NHK関係者から、「事件の前はしばらく解説を担当していなかったらしい」と聞いていたので、これには、うぬっとなった。しかも、10月10日という日付けは、米軍のアフガン空爆開始の3日後なのである。古新聞の袋をひっくり返して番組欄を調べた。

 10月10日、1チャンネル、NHK総合テレビの午後11時から零時までの1時間、本物の「特集」として設定された超々特別番組である。普段は、わが電網検索によれば、 「NHKラジオ夕刊」(月~金曜後6・00~6・50)のレギュラーではあるが、顔出しが少ない地味な解説者が、その長年の専門知識を買われて、いわば花の舞台を踏めたのである。

 それなのに、そのたった5日後に、異常な死に方で「自殺」したのだとすれば、そ の番組での解説に、どこぞから文句が付いた可能性もある。上記の「動機」である。

 だから私は、即座にNHKの経営広報に電話をして、録画を見せよと要求した。すで に2年前、私は、ユーゴ戦争に関する半年前の録画を見せよと要求して、認めさせ、 見に行ったのとがあるのだが、今回は非常に頑に拒否された。法的な根拠は、放送法 の「見せなければならない」場合が一般には「個人的関係」などと限定されているか らである。しかし、学術研究の場合とかの既定もあるし、逆に、「見せてはならない」 という法の定めはないし、アメリカなどでは放送した番組をすべて公開するのが常識 となっているのである。  なぜ見せたくないのか、これが問題である。入手方法もあることにはあるが、もし も、当該番組を録画した方がいれば、お知らせ願いたい。

 死体の発見場所も異常

「長谷川さんの死体が発見された場所は、解説員室がある建物の下で、自殺だと仮定すれば、長谷川さんは、自分のデスクの後ろの位置の窓を開けて、飛び下りたことに なる

 これが元NHK職員の友人から聞いた未確定情報である。彼は、事件直後に元NHK職員の集まる機会があって、そこで異口同音、「あれはおかしいね」となって、様々な耳情報が交換されたと言う。

様々な情報源あれど秘匿

 私は、NHK解説主幹という「枢要の地位」にあった長谷川さんの「怪死事件」に関 しては、多くのNHK関係者の声を聞いた。一様に「おかしい」と言っている。もちろ ん、私は、今後も、これらの情報源を秘匿する。名前や所属部署については記さない。

 今回も長くなり過ぎたので、資料編も含めて次回に続く。

タイタニック号の沈没にユダヤの影?

1 小説にあった船の事故が14年後タイタニック号に実際に起こった。


2 同じように手塚治虫の漫画(ブラックジャック17巻)の中で発生した地震が、数十年後に実際に東北地方で発生。
http://74.125.153.132/search?q=cache:w1pkEE20-MEJ:www.yukawanet.com/sunday/2008/06/post_80.html+手塚治虫 地震&cd=1&hl=ja&ct=clnk&gl=jp
手塚治虫
日時:6月14日午前8時
場所:東北地方
規模:M7.5


実際の地震
日時:6月14日午前8時
場所:東北地方
規模:M7.2(推定)



3 1995年に描写されていた絵から6年後に、911テロが起こった!
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-5.html


なぜか巨大組織は本や漫画や絵のストーリー通りに実行する?



謎1 ”タイ”タニック沈没事故を予言した小説が存在する!?

http://www.cue-group.co.jp/blog/index.php?itemid=1054&catid=47
05/23: ②”タイ”タニック沈没事故を予言した小説が存在する!?
カテゴリ:特命リサーチ200X 投稿: CHAPPE




アメリカ人の元船員モーガン・ロバートソンの小説『フューティリティ』の内容が、タイタニック沈没事故に酷似していたため、事故後「事故を予言した小説」として欧米で大きな売り上げを記録したという。
その小説は事故の14年前の1898年に発表されていた。

まず、小説の中で沈没する船の名前が「タイタン」
実はタイタニックは本来タイタン号という名前になる予定だったのだが、当時船の名前の後ろに「ic」というスペルをつけるのが流行っていたので「Titan(タイタン)」+「ic」=「Titanic(タイタニック)」
そもそも「タイタン」の由来は、どちらもギリシャ神話の巨人族の神「タイタン」からきている
似ているのはもちろん名前だけではない

以下にまとめてみた↓


・どちらの船も船籍は英国。

・どちらの船も「不沈船」であると宣伝された。
・どちらも処女航海
・出航時期はどちらも4月。
・タイタン号が   ニューヨークからイギリス 行き
 タイタニック号が イギリスからニューヨーク 行き
・事故が起こった海域はどちらも北大西洋。
・事故原因はどちらも氷山との衝突。
・損傷個所はどちらも右舷側。
・事故が起きた時刻は タイタン号が「真夜中近く」 タイタニック号が 「23時40分」
・タイタン号の全長800フィートに対し、タイタニックは882.5フィート。
 (どちらも、それまでに建造された中で最大級の客船と評された。)
・どちらの船も鋼鉄製で、3つのスクリューと2本のマストを備えている。
・タイタン号の総トン数45000トンに対し、タイタニック号は46329トン。
 (排水量は、タイタン号の70000トンに対し、タイタニック号は66000トン)
・タイタン号の馬力40000に対し、タイタニック号の馬力は46000。
・タイタン号の最大速度25ノットに対し、タイタニック号は23~24ノット。
 (氷山に衝突した時の速度はタイタン号が24ノット、タイタニック号が22.5ノット。)
・水密隔壁はタイタン号の19区画に対し、タイタニック号は16区画。
・どちらの船も乗船者数約3000人を想定して設計された。
・乗客数はタイタン号の2000人に対し、タイタニック号は約2200~2400人。
・乗組員数はタイタン号の1000人に対し、タイタニック号は約900人。
・タイタン号が搭載していた救命ボート数24艘に対し、タイタニック号は20艘。
 (どちらの船も救命ボートの絶対数が極度に不足していた。)

ここまでの一致が偶然で片づけられるでしょうか?

モーガン・ロバートソンは3年後の1915年にピストル自殺で亡くなっています。原因は不明だそうです。




謎2 
タイタニック号にはほとんど同じ船があり、保険がかけられていた。
タイタニック号の実質のオーナーは、このJ.P.モルガン氏である。
J.P.モルガン氏はユダヤ屈指の財閥です。


http://www.nazoo.org/titanic/titanic01.htm


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