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福島原発事故での最大放射能汚染は東電の過失

【たんぽぽ舎ひろば情報】より
東電は2号機のベントを行いながら、この事実を住民に知らせず、被ばくを強いたということは重大な犯罪です。SPEEDIの結果が知らされなかったこと以前の犯行です。
ベントを回避する方法はあったのに、東電の判断ミスにより適切に事故対策されませんでした。
そのため、最悪の事態を招いてしまったのは、東電の重大な過失
です。



福島原発事故で最も放射能を放出したのは2号機

最も放射能を放出した2号機が最大の放射能を放出したのは3月15日正午頃。




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http://ex-skf.blogspot.jp/2012/03/dry-vent-of-reactor-2-may-have-released.html
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なぜ、3月15日正午頃最大の放射能を放出したのか?

最も重要な謎の一つに蓋が閉められている。


この放射性物質の最大放出は東電の過失。

ベントで大量の放射性物質が格納容器から放出されることを

① 知っていたのか?

② 知らなかったのか?

いずれにしても東電が大きな過ちを犯している。

①ベントで大量の放射性物質が格納容器から放出されることを知っていたとしたら?

ベントの時間をずらすことができたはずである。

下図を見てもわかるように、3月15日正午頃の

水位計
圧力容器内の圧力
格納容器内の圧力

いずれも即座にベントを実施するような緊急性はなかった。
ベントの時間をずらすことができたはずである。

ベントの時間をずらすことで
海側に高濃度の放射性物質を流すことができた可能性があった。

また 周辺住民に避難と備えを十分に行える時間が作れたはずである。

②ベントで大量の放射性物質が格納容器から放出されることを知らなかったとしたら?

前日から、国民に知らせず、密かに行っていたベントの成功=ウェットベントで、3月15日正午頃のベントも前3回と同じように、ウェットベントができると誤った判断をしてしまった可能性。

まさか3月15日正午頃のベントで、これほどの放射性物質が出てくると思っていなかった。

だから、周辺住民に全く危険を知らせていなかった。
その結果 多数の住民が高濃度の放射能で汚染させてしまった。

東電=政府がドライベントをウェットベントだと間違えていなければ、飯館村を含む原発から北西地域の高濃度放射能汚染はなかったかもしれない。

この東電=政府の判断ミスは重大な過失。

この東電=政府の判断ミスは公にすることはできない。

そのためには

2号機でのベントは失敗に終わった。
ベントはできなかったとしておけば、全ての批判をかわすことができる。

東電は絶対に2号機でのベントが行われたことは隠し読けるだろう。

SR弁の3回の開放直後に、密かにベントが行われていた。
この時のベントはウェットベントに成功していたので、放射性物質の大量放出だけは避けることができた。

http://www.nhk.or.jp/nw9/marugoto/2012/07/0724.html
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下記データーで、3月15日正午時点のデーターを見る限り、原子炉に壊滅的な損壊を与える事態には陥っていない。
ベントをする時間をずらすことは可能であったと思われる。
ベントをする時間をずらすことで放射能汚染少しでも抑えることができたのではないか?

http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/images/handouts_120312_02-j.pdf

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http://www.youtube.com/watch?v=J8bA-3GPcSo
【たんぽぽ舎ひろば情報】
福島原発事故で2号機からの放射能放出が最大でした。しかし、東京電力は、それがどのように放出されたかは不明としています。政府、民間、国会の事故調査報告書のどれもが­この点を解明せず、不明という東電発表に協力する形となっています。
しかし、槌田敦氏は、第3回目の講演(7月9日)で、東電が過酷事故に対応する能力がなく、誤った判断と操作によって、2号機格納容器の耐圧限界まで圧力上昇をきたし、3­月15日朝、格納容器ベントを行ったことを、保安院報告書(2011年4月4日)データから明らかにしました。その結果、排気塔から放出された放射能は、風に乗って浪江町­、飯舘村を襲い、住民を被ばくさせたという加害の事実が明らかになりました。
東電は2号機のベントを行いながら、この事実を住民に知らせず、被ばくを強いたということは重大な犯罪です。SPEEDIの結果が知らされなかったこと以前の犯行です。
ベントを回避する方法はあったのに、東電の判断ミスにより適切に事故対策されませんでした。そのため、最悪の事態を招いてしまったのは、東電の重大な過失です。
過失によって事態を悪化させ、住民を被ばくさせると知りつつベントを行い、その事実を隠し通すという卑劣な行為を私たちは断じて許してはなりません。
今回は、東電の加害の事実に焦点を当て、これを東電に対する訴訟にどう有効に生かすかについてご講演いただきます。
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なぜ原発事故で、飯館村方面だけが高濃度放射能汚染したのか?

2号機で密かに数回のベントが行われた。
最初のベントはサブレッションチェンバーに水があったので、ウェットベントが行われた。
南側の放射能度が低いのは、ウェットベントだったから。
一方
13時のベントは前のベントで、サブレッションチェンバーに水がなくなり、ドライベントとなった。
ドライベントで放出された放射能が、飯館村方面を高濃度に汚染したと思われる。



原発の北西方向に放射性物質の高汚染地域ができた最大の要因ー日本経済新聞

http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG20048_Q2A620C1CR8000/
原発の北西方向に放射性物質の高汚染地域ができた最大の要因は、1号機や3号機の水素爆発やベント(排気)ではなく、昨年3月15日に2号機から出たものだと分析した。
格納容器の一部が損傷したとみられているが、原因については言及しなかった。
格納容器の圧力が大幅に低下し、原子炉建屋から白い煙が出て、北北西方向の風が吹き雨が降ったことを理由に挙げるにとどめた。
地震の揺れによって原子炉の主要な機器が損傷したかどうかについては確認されていないとした。

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上図のように、福島原発から、北西方向、飯館村方面に高濃度の放射性物質が放出されたことは、メデイアで報道されている。

しかし

なぜ高濃度の放射性物質が福島原発北西部=飯館村方面に放出されたかは、一切報道されていない。

なぜ高濃度の放射性物質が福島原発北西部に放出されたか?

密かに2号機のベントが数回行われていた。
(尚、東電や政府は2号機のベントは失敗に終わったと伝えている。)


密かに行われた2号機の数回のベントの内の一つ(13時のベント)が福島原発北西部を汚染させた。

しかも

2号機のベントは何度も行われていたため、2号機圧力抑制室(サプレッションチェンバー)に蓄えられた水がすでに蒸発していたか、ほとんど残っていなかった。

そのため、圧力抑制室(サプレッションチェンバー)は放射性物質濃度を低く抑える効果を失っていた。
(蒸気凝縮能力が著しく衰えていた)

13時に行ったベントは、放射能除去を行わないドライベントとなり、飯館村を含む北西部を高濃度に放射能汚染させた。


逆に、朝6時~8時頃の最初のベントでは、2号機圧力抑制室(サプレッションチェンバー)に水があったたため、ウェットベントができたので、放射能濃度が低く抑えられた。

→午前中に南側方向に流れた放射性物質は放射能濃度が低く抑えることができた。



http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=gCB7oftp7K8#!
15日午後1時過ぎから、新しい放出が始まります。(ベントが行われた。)
→このとき、既に2号機の圧力抑制室(サプレッションチェンバー)の水が残っていなかった。
=高濃度放射性物質の放出




SR弁の開放=圧力容器の圧力減少が3度行われる。
すると南側原発敷地周囲の放射能濃度が上昇する。
(SR弁の開放と放射能上昇に相関関係があった。)
→SR弁が開放され圧力容器の放射能を含んだ蒸気が格納容器に流れる。
→格納容器の圧力を下げるために、密かにベントを行っていた。


建屋から高濃度の放射性物質が漏れ出たと言っている。
しかし 
建屋から漏れ出たなら原発周辺に人は立ち入ることができなくなる。
密かに排気搭から、遠方に高濃度の放射性物質を流していたと考えるべき。





2号機がドライベントを行った証拠。
→2号機がドライベントを行えば、この主排気筒には高濃度の放射性物質が残る

主排気筒(1号機と2号機の原子炉内の放射性物質を遠方に流すための筒)から高濃度の放射能が検出




http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/images/handouts_120312_02-j.pdf
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当初、東電は圧力抑制室(サプレッションチェンバー)が朝6時10分頃に、爆発して、そこから放射性物質が漏れ出したとしていた。
しかし
爆発で破損したとすると、格納容器の圧力は下がっていき、やがて大気圧で落ち着く。
格納容器の圧力が上昇、下降、上昇と変化していくことはない。


上図を見るとに、一連の格納容器の圧力変化が起こっている。
この圧力変化は爆発であることを否定している。
人為的な操作=ベントが行われていたとみるべきである。




○15日朝6時~8時頃に最初のベントが行われた
→上図
格納容器の圧力が減少していく
→排気塔から大気に放射性物質が放出。
2号機圧力抑制室(サプレッションチェンバー)には水が残っていたので、放射性物質が水に吸収され放出放射能濃度が低く抑えることができた。

○ベント弁を閉めるー上図
→格納容器の圧力が上昇

○13時頃に2回目のベント弁を開放(このベント弁開放が飯館村方面を汚染させる)
圧力抑制室(サプレッションチェンバー)には水が残っていなかったため、放射性物質が水に吸収されなかった。
高濃度の放射能が排気搭から放出された。=ドライベントの実施
→格納容器の圧力が減少していく。


○格納容器の圧力が減少したので、ベント弁を閉めるー上図
→格納容器の圧力が上がってくる。




http://www.pref.fukushima.jp/j/20-50km0315-0331.pdf

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なぜ3月15日6時56分に福島4号機の屋根が崩壊したのか?

昨年3月15日6時56分の4号機爆発の映像はどこにもないとされていた。

しかしインドのSNAHAチャンネル9だけが秘密裏に配信していた。

映像を見てわかるように
煙の上がった高さが爆発した1号機と3号機に比べて低く、爆発の規模もかなり小さい。

このことから、昨年3月15日6時56分の4号機爆発は水蒸気と熱湯が5階から垂直に吹き上げていたと考えられる

このようなことが起こる可能性があるのは、使用済み燃料プールか原子炉。

使用済み燃料プールは壊れていなかった。

蓋の開いた原子炉から白煙の噴出が起こったとしか考えられない。

6時56分の4号機爆発は原子炉に燃料が入っていたことを証明している。


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4号機の煙は排気筒の高さより低い
→3号機の爆発は排気筒の高さの倍以上の高さにまで達する。

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福島1号機の爆発
1号機の煙の高さは排気筒と同じ高さ

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福島3号機の爆発
3号機の煙の高さは排気筒の高さをはるかに超えている

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ジャーナリスト魂を持つインドキー局の人物が、絶対に所在を突き止められないSNAHAチャンネル9に秘密裏に配信。
そして「奇跡の映像」が放送された。

4号機爆発の唯一の動画


http://spin33.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-afcc.html
 テレビカメラで爆発が撮影された1、3号機と違い、4号機は爆発の目撃者もいない。
原子力安全委員会の関係者は「どの仮説も検討するとあり得ないという結論になる。
いつ壊れたかすら特定できていない」という。
4号機の爆発映像は確実に撮られている。では、なぜ放映もされず、現在に至っても流失しないのだろうか?

そこで私なりに調べてみると、ネット上で福島第一原発4号機の爆発映像を見つけた。
画面背景は中東らしき、アラブ風の文字、背景だったが、その映像を見つけたのである。
そこには、見慣れたアルジャジーラ放送局のマークは無く、一体、中東のどの国のものか判別がつかなかった。

在日外国人の協力で分かったのだが、その文字はカンナダ文字ではないか、という。
カンナダ語とは、南インド4州の一つ、カルナータカ州の公用語である。
奇跡映像が生まれた理由に対する私の推測であるが、3月15日、4号機の爆発映像は福島中央テレビからインドのキーテレビ局に配信された。直後、福島中央、インドのキー局にも放送禁止の御触書が伝達されるが、ジャーナリスト魂を持つインドキー局の人物が、絶対に所在を突き止められないSNAHAチャンネル9に秘密裏に配信、そして「奇跡の映像」が放送されたのであろう。

なぜ福島原発4号機の建屋の壁に8メートル四方の穴が開いたのか?

なぜ福島原発4号機の建屋の壁に8メートル四方の穴が開いたのか?

福島原発4号機の異変は3月15日6時14分の爆発によって生じた8メートル四方の側壁の穴から始まった。

仮説 
福島原発4号機の建屋の壁に開いた8メートル四方の穴は米軍か自衛隊による爆破工作。
→極秘の内に、原子炉とDSピットに隠された高熱の燃料体を冷却しなければならなかった。


原子炉とDSピットに高熱の燃料体が残っていた。

高熱の燃料体を何としても冷却しなければならない。

4号機の原子炉は定期検査中で最も安全と思われていた。

そのため、最も安全な4号機に冷却のための対策本部を置くことはできない。

冷却のための人員や機材を大っぴらに手配することはできない。

極秘の内に行う冷却作業は最も困難なものであった。

冷却水を注ぐのは、高所(建屋の5階)

対策を練っている時点では、建屋の屋根は崩壊していなかった。

そのため、冷却するためには、建屋を破壊しなければならなかった。

屋根、建屋5階、建屋4階のいずれかに穴を開ける。

どこに穴を開けるべきか?

いかにして穴を開けるべきか?

東電や米軍の英知を結集した結果、決まったのが、建屋4階の8m四方の穴だった。
恐らく5階や屋根に爆破で穴をあければ、瓦礫が原子炉や使用済み燃料プールに落ちることを恐れたのではないか?

穴を開けた方法は
弾薬が搭載されていないミサイルのような武器を使ったのだはないか?


6時14分に、4号機の建屋4階に穴を開けた。

そして放水路を確保しようとした。

しかし、放水路を確保する前に、6時56分に建屋が崩壊した。

その結果、4号機の建屋に開けた穴は、その目的を達成せずに残った。

建屋4階の穴からの冷却水注入は失敗した。



4号機の建屋に開いた穴は国民に極秘で開けられたため、大きな謎を残したままとなっている。



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http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/pdf/201103151700.pdf
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福島福島原発4号機破壊の謎→なぜ使用済み燃料プールに未使用燃料体64体が余分にあったのか?

なぜ、福島4号機の使用済み燃料プールに未使用燃料集合体64体が余分に入っていたのか?

なぜ、未使用燃料集合体204体が、定期検査が終了する半年前から使用済み燃料プールに入れていたのか?
(定期検査が終了するのは平成23年9月24日だから、定期検査が終了する直前に未使用燃料集合体204体を使用済み燃料プールに入れればいいはず。
未使用燃料集合体は放射能が発生していない。)

もし4号機の事故がなければ、未使用燃料集合体64体が余分にあったことは、明らかにならなかった。
未使用燃料集合体64体は何の目的でそこにあったのか?

原子炉で、その未使用燃料集合体64体が極秘の内に「兵器用のプルトニウム」に加工され、
極秘の内にどこかに運ばれる予定であったとするなら、辻褄があう。


槌田敦・元名城大教授
なぜ未使用燃料棒が使用済み燃料プールにあるのか?
未使用燃料棒=ウランは熱を出していない。
空冷で十分。
水冷は不要。
水冷すれば、危険。
本当に燃料が必要なときに、初めて倉庫から持ってきて入れるのが原則。




その差は64体

平成22年11月30日から平成23年9月24日までの福島原発4号機の定期検査での燃料集合体の交換予定本数
→燃料集合体140体(548対の内から)

福島原発4号機の使用済み燃料プールに置かれた未使用燃料集合体本数(定期検査後に使用予定)
→未使用燃料集合体204体


http://www.tepco.co.jp/cc/press/10112901-j.html

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http://sankei.jp.msn.com/science/news/120715/scn12071500030000-n1.htm
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