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一人の男の野望から日中戦争→太平洋戦争が始まった。

日本が戦争を始めるときに、日本はロシアへ北進するか、石油を求めて南進するか決断しなければならなかった。

なぜ、その時、近衛文麿は南進する決断を下したのか?

スターリンはゾルゲと尾崎 秀実=近衛文麿に日本は、必ず南進するような政策を取れと命令した。
(宇野正美講演会より)


尾崎 秀実
近衛文麿政権のブレーンとして、政界・言論界に重要な地位を占め、軍部とも独自の関係を持ち、日中戦争(支那事変)から太平洋戦争(大東亜戦争)開戦直前まで政治の最上層部・中枢と接触し国政に影響を与えた。

共産主義者、革命家としてリヒャルト・ゾルゲが主導するソビエト連邦の諜報組織「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして活動し、最終的にゾルゲ事件として1941年発覚し、首謀者の1人として裁判を経て死刑に処された。

共産主義思想はユダヤ開放思想である。
(宇野正美氏講演会より引用)



近衛は東大の哲学部を卒業しましたがある日、京都大学の教授で、共産主義の大御所、河上肇の元へ飛びました。

また、近衛は「アメリカ、イギリス本位の平和主義を排す」といい、ユダヤ人のオスカー・ワールド著「社会主義化における人間の魂」を翻訳し発禁になったという経緯もあります。

ガラスケースに飾られた「共産主義思想」を眺め、貧しい者たちは共産主義とは愛情あふれ、ヒューマニズムにあふれていると勘違いしてしまう。

近衛は自分の思想を実現するために、日本を混乱のどん底に陥れ共産主義化を企てていたとみられます。

既に自分の長男をスターリンの元に送っており、日本が共産化した後の事を計画していたのでしょうが、天皇が近衛の思惑に反し、本土決戦を避けたため、結果、日本の共産化は避けられました。

共産化社会が構築されれば自分の立場がなくなると考えたのでしょうか。

戦後近衛は、戦犯容疑で東京裁判に出廷を言い渡されたのち自殺しましたが、自殺の理由ははっきりしません。

実はスターリンの元に送り届けた長男がスターリンにより殺害された事が一つの大きな理由かもしれません。





黒幕 2/6
http://www.youtube.com/watch?v=zbfNs8uEGI8&feature=relmfu

黒幕 3/6
http://www.youtube.com/watch?v=gK_ucbyHN8g&feature=relmfu

黒幕 4/6
http://www.youtube.com/watch?v=YvNW4W50UWw&feature=relmfu

黒幕 5/6
http://www.youtube.com/watch?v=J1jNntbqEyk&feature=relmfu

黒幕 6/6
http://www.youtube.com/watch?v=nF6AVlhF7qs&feature=relmfu

http://cosmo-world.seesaa.net/article/178525269.html
2011年01月05日
近衛文麿。

何を考えるにつけ、日本が劇的に変遷していったターニングポイントはやはり太平洋戦争、いや、大東亜戦争というべきでしょう、この戦争の敗戦から始まったという事は間違えのない事でしょう。

開戦に際しては、当ブロブ「アメリカの戦争責任とハル・ノートの真実」で詳しく述べさせていただきましたが、日本の内部からみた大東亜戦争の仕掛け人「近衛文麿」について取り上げてみたいと思います。

近衛文麿は共産主義者であったと言ったら「えっ?」て思いますか?
実は紛れもなくかれは超一級の共産主義者でした。

近衛内閣の外務大臣であった生粋の民族主義者、松岡洋右は東条英機に対し17メートルにわたる毛筆による手紙(現在は国立図書館に保管)を書きましたが、その長い手紙の内容はつまり、「近衛には気をつけろ」というものでした。

松岡は国際連盟を脱退したことで有名ですが、彼は、国際連盟の本当の目的を見抜いていたのでしょう。
所詮国際連盟も連合も、貧しい国が不平不満を言う場所にすぎず、世界統一政府実現のための一つの機関にすぎません。

松岡は連盟を脱退して、独自の外交を模索しましたが、世界支配層と繋がっている近衛は松岡の民族主義を許さず、これを更迭しました。

近衛は東大の哲学部を卒業しましたがある日、京都大学の教授で、共産主義の大御所、河上肇の元へ飛びました。
また、近衛は「アメリカ、イギリス本位の平和主義を排す」といい、ユダヤ人のオスカー・ワールド著「社会主義化における人間の魂」を翻訳し発禁になったという経緯もあります。

近衛家は藤原家の流れであり五摂家の筆頭でもあり、当時天皇の前で唯一、足を組むことを許されたと言われています。
摂家とは、鎌倉時代に成立した藤原氏嫡流で公家の家格の頂点に立った5家のことを言い、大納言・右大臣・左大臣を経て摂政・関白、太政大臣に昇任できました。
近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家の5家があり、645年の大化の改新以来今日に至るまで天皇を支え続けてきている家柄で、元の内閣総理大臣細川護熙は外孫に当たります。

敗戦以降身分制度は目に見えなくなり、「人は平等だ」と思っている方も多いかと思いますが、そんな事はありません。
大化の改新以来、ずっと日本の支配層は天皇家と藤原の流れが中心といってもよいでしょう。
つまり古代ユダヤの血流が常に日本を支配してきました。

現在の日本の国体(国会議員の中には在日帰化人、2世、3世が多い)をみると朝鮮族に日本が支配されているように見えますが実はそうではありません。
ユダヤ金融資本と繋がった本当の日本の支配階級が彼らを支配しています。
所詮は議員も総理大臣も飾り物です。

1192年、鎌倉幕府によって藤原氏は第一線から退きましたが鎌倉幕府を樹立させた源氏は、所謂貴族の用心棒をしていましたが、反旗を翻し藤原氏を蹴落としました。
身分は違っても同じ同族古代ユダヤ血流です。

この時に制定された守護・地頭が毛利(長州)と島津(薩摩)で、後に明治維新に大きな役割を果たす事になるとは、やはり不思議の国日本でしょうか。

さて話を元に戻して1945年2月14日に近衛が天皇に宛てた「奏上文」を見てみましょう。
原文は読みずらいので現代文に近く直して見ました。

戦争は遺憾ながら最早必至なりと存じ候。
以下この前提の下に申し候。

つらつら思うにわが国内外の情勢は今や共産革命に向かって急速度に進行しつつありと存じ候。
すなわち国外においてはソ連の異常な進出に御座候。

少壮軍人の多数は、わが国体と共産主義は両立するなりと信じいるものの如く。
軍部内革新論の基調もここにありと存じ候。

職業軍人の大部分は中流以下の家庭出身者にして、その多くは共産的主張を受け入れやすき境遇にあり。(軍人ほど共産主義思想を受け入れやすい物は無いということ。)

よくよく満州事変、支那事変を起こしこれを拡大してついに大東亜戦争にまで導きこれたるは、これら軍部内の意識の意識的計量なりしこと、今や明瞭なりと存じ候。(自分自身のたくらみを述べている。)

事変長引くがよろしく、事変解決せは、国内革新ができなくなると公言せしは、この一味の中心人物に御座候。(自分自身のことを言っている)

これら軍部内一味の狙いは必ずしも共産革命に非ずとするも、これを取り巻く一部官僚および民間有志、これを右翼というも可。左翼というも可なり。いわゆる右翼は国体の衣を着た共産主義者なり。(右翼も左翼も同じだと言っています。)意識的に共産革命にまで引きずらんとする意図をほうぞうし、無知、単純なる軍人これに踊らされたりみて大過なしと存じ候。

昨今戦局の危機を告ぐるとともに、一億玉砕を叫ぶ声、次第に勢力を加えつつありと存じ候。
掛かる主張をなす者は所謂右翼者流れなるも背後よりこれを先導しつつあるはこれによりて、国内を混乱に陥れ、革命の目的を達せんとする共産分子なりと睨みおり候。

ガラスケースに飾られた「共産主義思想」を眺め、貧しい者たちは共産主義とは愛情あふれ、ヒューマニズムにあふれていると勘違いしてしまう。

近衛は自分の思想を実現するために、日本を混乱のどん底に陥れ共産主義化を企てていたとみられます。

既に自分の長男をスターリンの元に送っており、日本が共産化した後の事を計画していたのでしょうが、天皇が近衛の思惑に反し、本土決戦を避けたため、結果、日本の共産化は避けられました。
共産化社会が構築されれば自分の立場がなくなると考えたのでしょうか。

官僚中心の中央集権。一億みな中流意識。平等な学校教育。出来ない子に合わせた教育。
かろうじて日本が比較的高い学力水準を維持できているのは「塾」の存在があるからにほかならない。

表向き日本の共産化は避けられましたが、事実上日本は地球上でもっとも共産化の成功した国であるというのは何とも奇妙な感じがします。

戦後近衛は、戦犯容疑で東京裁判に出廷を言い渡されたのち自殺しましたが、自殺の理由ははっきりしません。
実はスターリンの元に送り届けた長男がスターリンにより殺害された事が一つの大きな理由かもしれません。

「夢、破れたり」 でしょうか。

1941年10月、東条内閣が発足しましたが、この年の12月8日真珠湾。
既に近衛によって、開戦の準備が整えら得ており、東条にとっては如何ともし難い状況であったでしょう。
戦後、世界中から悪魔の権化のように言われて本当に気の毒だと思っています。

ただ、何度も述べてるように、東条の処刑後の亡骸は、散骨され遺族の元には戻ってはおらず、筆者としえは、絶対に生きて、寿命を全うしたと考えております。
東条内閣は天皇の一存で成立した内閣で、東条は正確には首相ではなく、宰相です。
天皇の信頼が厚く、東条に日本を託した天皇が、東条一人を死なせる訳はない。

世界中見渡す限り、何処の国も貧しい者があふれており、今後ますます貧しい者はさらに貧しく追い込まれてゆくでしょう。
なぜ、はっきりといいきれるのか?
世界統一政府の構築時期が目の前に来ているからです。
すなわち、世界は共産化していく訳です。

近衛さま、もうじきあなたの夢がかないそうですよ。




近衛文麿の戦争責任: 大東亜戦争のたった一つの真実

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日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

「吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。




吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

吉田茂の養父である吉田 健三。
吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。
吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇


吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。



麻生の正体                                                             
 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。
 その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。
 麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%89

吉田 健三(よしだ けんぞう、嘉永2年(1849年) - 明治22年(1889年))は日本の武士(福井藩士)、実業家。昭和期の内閣総理大臣・吉田茂は養子、英文学者・吉田健一は孫に当たる。

1849年、越前福井藩士・渡辺謙七の長男として誕生する。のち、絶家していた渡辺家の一門・吉田家を再興した。1864年に脱藩して大坂で医学を、次いで長崎で英学を学んだ。1866年にはイギリス軍艦でイギリスへ密航し、2年間、同国に滞在して西洋の新知識を習得した。
1868年に帰国。一時は新潟に居住するが、のち横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。さらに3年後に退社して独立し、慰労金(1万円)を元手に様々な事業を展開する。英学塾を皮切りに、翌1872年には東京日日新聞の経営に参画。さらには醤油の醸造業や電灯会社の設立、ビールやトタン、フランネルの輸入など、実業家としての頭角を顕して横浜有数の富豪に成長した。
自由民権運動の高まりを見せていた当時、健三は自由民権・国会開設派の牙城であった東京日日新聞の経営参画を通じ、板垣退助や後藤象二郎、竹内綱ら、自由党の面々と誼を通じて同党を経済的に支援した。特に竹内とは昵懇で、1878年の保安条例公布によって東京を追放された際、横浜の吉田邸に身を寄せている。1881年8月には、竹内の5男茂を養嗣子とする。
生来心身頑強だったが、1888年の父謙七の死去後に病を得、横浜にて急死した。享年40。
家族 [編集]

妻は、儒学者佐藤一斎の孫・士子(ことこ)である。茂が養嗣子となった理由について、実子に恵まれなかった健三が竹内に対し、当時懐妊していた竹内の妾が生んだ子が男ならば自分の養嗣子として貰い受ける約束をしていたから、といわれる。
備考 [編集]

富豪であった健三の死後、わずか11歳の茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。茂はこれを「吉田財閥」と自嘲気味に称してはいるが、やがて遺産の大半を蕩尽してしまう。莫大な遺産を一体何に蕩尽したのか、今もって不明である。
横浜太田町に構えた本邸の表門は、小男であった健三の背丈にあわせて造られていた。政府高官や実業家などの訪問客が出入りしたが、低い門構えであるため、門内で待ち構えている健三に対して自ずとお辞儀をする羽目になったという。
茂の幼年期の回想によれば、健三は日の出前に起床するや、家族や女中らをたたき起こして毎朝大掃除をするなど、エネルギッシュな一面をもっていたという。
狩猟が趣味で、自ら狩猟協会を立ち上げて副会長に就任している。因みに、会長には公爵近衛篤麿を擁立している。
大磯における初期の別荘族として知られる。国府本郷村(現在の大磯町内)の海浜沿いの広大な地所を徐々に買い増し、1万坪もの別荘を営んでいる。戦後「大磯」は、首相となった茂の代名詞となった。
信心深かった健三は、後年菩提寺として光明寺(神奈川県横浜市南区所在)を建立している。同寺の山号(吉上山)は健三と盟友であった上郎幸八の一字ずつと取って命名されている。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%BB%E3%82%BD%E3%83%B3


ジャーディン・マセソン

ジャーディン・マセソン(Jardine Matheson Holdings Limited, 怡和控股有限公司)は、香港にヘッドオフィスを置くイギリス系企業グループの持株会社。ロスチャイルド系であり、米誌フォーチュン誌の世界企業番付上位500社の企業ランキング「フォーチュン・グローバル500」では世界437位

前身は東インド会社で、元は貿易商社。1832年、イギリス出身のイギリス東インド会社元船医で貿易商人のウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンにより、中国の広州(沙面島)に設立された。中国語名は「怡和洋行」。
中国での拠点は1844年に上海の共同租界、外灘(バンド)の中山東一路27号に移し怡和洋行大楼と呼ばれた。この場所の当時の地番は1号であり、ジャーディン・マセソンが最初に外灘(バンド)にて土地を獲得した。(現在は外貿大楼と呼ばれ上海市対外貿易公司や上海市外貿局等が入るが、間もなくサックス・フィフス・アベニューの中国1号店となる予定。)
1841年に大英帝国の植民地の香港に本社を移転(現在登記上の本社はバミューダ諸島・ハミルトン))。170年たった今でも、アジアを基盤に世界最大級の国際コングロマリット(国際複合企業)として影響力を持っている。
設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。同じロスチャイルド系の香港上海銀行(HSBC)は、ジャーディン・マセソンなどが香港で稼いだ資金をイギリス本国に送金するために設立された銀行である。
清とイギリスとの間で1840年から2年間にわたって行われたアヘン戦争に深く関わっている。アヘンの輸入を規制しようとする清朝政府とイギリスの争いが起こった際に、当時のアヘン商人の一つであるジャーディン・マセソン商会のロビー活動により、イギリス本国の国会は9 票という僅差で軍の派遣を決定した。陳舜臣の『阿片戦争』にも、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソンが登場人物として登場する。
香港が中国に返還されるまでは、イギリス植民地資本であるジャーディン・マセソンの役員や幹部らがイギリス植民地下の香港行政局(現在の行政会議 )の非官守(官職)議員として参加し、香港政庁の政策に影響力を行使していた。
日本での歴史 [編集]

日本では、幕末・明治期の重要人物であるトーマス・ブレーク・グラバーが長崎代理店として「グラバー商会」を設立。現在はグラバー園として公開されている。
幕末・明治の日本において、五代友厚(薩摩)、伊藤博文(長州)、坂本竜馬(海援隊)、岩崎弥太郎(三菱財閥)等を支援し、フランスに支援された徳川幕府打倒にも密接に絡んだたことで倒幕運動(明治維新)の黒幕としても知られる。
横浜(旧山下町居留地1番館、現山下町一番地)にも、1859年(安政6年)に上海支店にいたイギリス人ウィリアム・ケズィック(ウィリアム・ジャーディンの姉の子)が支店である「ジャーディン・マセソン商会」を設立。日本に進出した外資第1号としても知られる。 麻生太郎前首相の祖父である吉田茂の養父・吉田健三が一時期、同社横浜支店長を勤めていた。




http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=212394


『日本の政界をコントロールする、スコットランド貴族達』(オルタナティブ通信)リンクより転載します。
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19世紀、江戸幕末の日本で倒幕の武力闘争を開始した薩摩・長州に鉄砲・弾薬の購入資金を提供したモルガン財閥のJ・ピアポント・モルガンは、明治維新政府の「生みの親」として、その代理人トーマス・ラモントを使い、日本の三菱財閥、三井財閥の「育成に力を注いだ」。モルガン財閥は、ロスチャイルド一族の代理人であった。

ロスチャイルドの代理人として、米国で、ロックフェラー一族に資金を注ぎ込む「窓口」となって来たのが、このモルガンであった。

1930年代、日本が中国侵略を行う際、その資金提供を行っていたロスチャイルド=ロックフェラー・ブッシュ一族。その資金提供の「交渉窓口」であった在日アメリカ大使ジョセフ・グルーも、また、モルガン=ロスチャイルド財閥の一族であった。ジョセフの従兄妹ジェイン・ノートン・グルーは初代J・P・モルガンの後継者ジャック・モルガンの妻であった。

この在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

九条節子等を通じ、昭和天皇以降の、「天皇に対する思想教育・思想洗脳」を「担当」して来たのが、奴隷貿易・麻薬貿易業者キャボットと、世界帝国の指揮官ロスチャイルドである。

天皇は、ロスチャイルドによる日本人奴隷支配のための「先兵」に過ぎない。天皇は、ロスチャイルドの「出先機関」である。

アリスの夫ジョセフ・グルーも、ハーバート大学時代、学生新聞「クリムゾン」の編集に携わっていたが、同じサークル仲間の友人に、キャボットが創立資金を出した麻薬専売会社ラッセル社の中国支配人であったルーズベルト一族のフランクリン・ルーズベルト(後の大統領)が居た。

一方、モルガン=ロスチャイルド資金で、倒幕に成功した明治政府の中核=薩摩藩士・大久保利通の息子は牧野家に養子に入り牧野伸顕を名乗っていたが、その娘・牧野雪子(大久保利通の孫)は年離れの親友アリスに「事実上、師事」し、国際情勢・政治経済の「教育」を受ける。モルガン=ロスチャイルドの洗脳教育である。牧野雪子は吉田茂の妻となり、吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。

このアリスという女性の出自、日本での教育・土着の仕方、そして「政治的動きの奇妙さ」は、明らかに幼児期から英才教育を受けた諜報・スパイの動きである。

麻生首相の麻生産業グループの親会社が、ロスチャイルドの船舶会社ラファルジュであると言う経済的実態関係だけでなく、こうして、キャボット=アリス=天皇・吉田茂夫妻=麻生首相へと、有色人種(黒人、アジア・日本人)奴隷支配の「帝王学の系譜」は「継承されて来た」。

なおキャボット一族の「直営」研究所が米国ブルッキングス研究所であり、かつてはナチス・ドイツの侵略戦争の「資金繰り」を担当した財務大臣ヒャルマール・シャハトを輩出している。

また、米国の通貨政策はブルッキングス研究所が作り、FRBが実行すると言われて来たが、このFRB議長を長年、務めてきたのがグリーンスパンである。グリーンスパン自身が経営し、その会長を務めるコンサルタント会社タウンゼンド・グリーンスパン社は、ブルッキングス研究所の下部機関として調査・研究に「従事」している。

グリーンスパンの「ボス」が、キャボット一族と「弁護士を共有」している事は先述した。

また長年、日本の内需拡大策(日本の富を米国買収に持って来るな、という通貨政策)として「日本の高速道路計画」を策定して来たのは、かつての日本道路公団では全く無く、このブルッキングス研究所=キャボット一族である。日本の財政赤字を拡大させる「無駄な公共事業の元凶=道路族」の、バックボーンは、ここにある。




http://www.47news.jp/CN/200910/CN2009100301000210.html

吉田茂側近がCIAに情報を提供 早大教授が米公文書発見

 吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)が、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれ、自衛隊や内閣調査室の創設にかかわる内部情報を提供していたことを示す資料を3日までに、有馬哲夫早大教授(メディア研究)が米国立公文書館で発見した。日本の再軍備をめぐり、吉田元首相の側近までも巻き込んだ米国側の対日情報工作の一端を示しており、戦後の裏面史に光を当てる貴重な発見だ。

 有馬教授は同館で発見したCIAのコードネーム表、辰巳氏ら旧軍人に関する文書などを総合的に分析。「より強力な軍隊と情報機関の創設を願っていた旧軍人の辰巳氏は、外交交渉で日本に再軍備を迫っていた米国にCIAを通じて情報を流すことで、米国が吉田首相に軽武装路線からの転換を迫ることを期待していた」と指摘している。

 CIAの辰巳氏に関するファイル(52~57年)では、辰巳氏は実名のほか「首相に近い情報提供者」「首相の助言者」「POLESTAR―5」とさまざまな名称で呼ばれ、「保安隊の人選」「自衛隊」「内閣調査室」などの「情報をCIAに与えた」と記されていた。

 辰巳氏は占領期、旧軍人による反共工作組織「河辺機関」の一員で、連合国軍総司令部(GHQ)の了解の下、新たな軍隊と情報機関の立案に参画していた。吉田は首相就任後、「河辺機関」のほとんどの旧軍人を遠ざける一方、辰巳氏を信頼し、50年の警察予備隊の幹部人選などを任せた。

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