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日航機123便事故当時の日経記事「生存者の内1人は少年らしい。」

日航機123便事故の生存者は4人の女性のみである。

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飄(つむじ風)
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2010/10/123_b350.html

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新聞記事の拡大

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この中にその男の子はいた.

http://www.geocities.jp/joox_tv2/jal123/kaeranai.jpg

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http://www.geocities.jp/joox_tv2/jal123/13_23m.jpg

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飛行機が突然爆発したのはなぜか。
圧力隔壁の破損で空中爆発はありえない。

巡査長によれば、日航機123便は発見されたときは炎上していなかった。
突然「ドーン」という大きな音が聞こえ、飛行機は両側から青、真ん中から赤い光を発した。





記事拡大
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日航機墜落事故翌日の朝日新聞夕刊トップ記事は「生存者8人」

朝日新聞8月13日の夕刊最終版4版一面トップの見出しは「生存者8人」

JAL日航ジャンボ123便の事故生存者は4人。
落合由美さん、川上慶子さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの親子の4人。

しかしそれ以外に4人の生存者がいたらしいが、4人の生存者がいたとされる証拠はなかった。

日航機墜落事故現場にいた7~8歳くらいの男の子、元気でいた女の子、中学生くらいの男の子、20代の男。

しかし、事故があったその日以降、発見された4人の情報は途絶した。

10月21日に阿修羅に掲載された写真(JAL日航ジャンボ123便 生存者の男の子)は大きな波紋を広げる。

阿修羅に掲載された男の子の写真は他に生存者がいたという明らかな証拠となる。

そして写真の男の子の名前が分かればその証拠は不動のものとなる。




その20代の男か?
http://blogs.yahoo.co.jp/mvbzx0147/archive/2009/10/11
M氏[11]:ボクが見た負傷者の中に、指先が1本ちぎれただけの男の人がいました。
「この程度なら死ぬことはないな」と思い、救助活動(隊員への声かけ)を後回しにしたのをはっきりと覚えています。あの人がどうなったのか、ボクにも分かりません。



http://planz.blog62.fc2.com/blog-entry-175.html

123氏のコメント抜粋

サソウ様の証言につきまして。 (123)
2009-08-11 02:59:58
殺された元日航サソウ様ですが、他に以下の情報を喫茶店
  でお会いしてうかが っております。


生存者の4人のほかにもう一人生存者がいて、ピンピンし
   ていたため捕らえられ、007便のマクドナルト上院議員
   のように監禁されている。

日航ジャンボ123便にオレンジ色の核ミサイルが刺さっていた証言をしていたサソウ様が死去 (123)
2009-08-11 02:51:12
日航ジャンボにオレンジ色の物体が刺さっていた証言をし  ていたサソウ様が死去しました。というか殺されました。
当時日航の方で、社内情報のリークをされておられました。

何で美谷島様がテレビで鳴いていたのでしょうか (123)
2009-09-24 16:33:56
ご遺族と接触されてみればよいのではないでしょうか。ご遺族は当然、理解しております。
国の隠蔽部隊に取り囲まれ、発言できない環境にあります。
先日、美谷島様がNHKニュースに出ていましたが、泣き崩れていました。
この意味をよく考えていただきたいと切に願います。健君9歳自体、助かっていたかもしれません。

今日の朝日新聞に美谷島さんの記事が出ています。 (123)
2009-10-17 11:19:34
天下の朝日新聞が123 便の美谷島さんの写真まで入った記事を出している、という意味は、世界権力の上野ほうでは123便の真実をそろそろ公表しましょうね、という意図になります。

中曽根・KY晋ちゃん、の団体等の実行部隊が必死に抵抗しているようです。困った人たちです。

見えてくるのは通貨の暴力性 (123)
2009-11-11 16:12:52
いずれにせよ、123便事件で最終的に見えてくるのは通貨の暴力性です。
通貨が起こした事件と言えます。



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女の子の生存者

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JAL123便日航機墜落事故の5人目の生存者はどうなったのか。

http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20100829-01-0901.html
美谷島邦子:罰を与えれば満足などということはあり得ません。刑事訴訟も、事故調も、補償も、すべてがきちんとなされて、はじめて遺族は救われるのです。


現場から運ばれて来る、粉々になった遺体…部分遺体と呼ばれる、その人の指の先だったりを見て、親族は本人かどうであるかの確認を迫られたのです。
美谷島邦子さんと善昭さんは、健くんを指で確認しました。(2時間ドラマの放送)
http://cometiki.web.fc2.com/newpage103.htm

着ていた緑のシャツの切れ端、チケットの切れ端、そして右手、それが家につれて帰った遺体の全てだった。
(美谷島邦子さんの基調講演)

http://www006.upp.so-net.ne.jp/ninzin/story/osutaka.html

美谷島健くんの遺体は指でしか確認できなかった。
美谷島邦子さんと善昭さんは健くんの遺体を必死で探していた。


もしこの写真が美谷島健くんだとしたら例え遺体(ほとんど無傷であるが)であったとしても、
なぜ自衛隊は美谷島さんご家族にその健くんの遺体と対面させなかったのか。


これはもしかしたら美谷島健くんなのではないでしょうか。(当時9歳)

報道では健くんの遺体は見つからず運動靴だけが発見されたとの事。
この記事の、カメラマンの写真を見ると確かに、運動靴が片方脱げた状態で運ばれています。

髪の毛も写真からは短いように思われる。(事故一ヶ月前の写真の髪の毛も短いようだ)

美谷島さんご家族はこの写真の存在をご存知なのでしょうか....。


是非となるべく多くの人に拡散させて下さい。
この一枚の写真が、もしかしたら日本の闇を全て暴露する端緒になるかもしれません。

乗客名簿の中で10歳前後の男の子は10人もいない。
その中で片方の靴だけが発見されたのは美谷島健くんだけと思うのが自然。

乗員乗客名簿1
http://www.geocities.jp/joox_tv2/jal123/meibo1.jpg

乗員乗客名簿2
http://www.geocities.jp/joox_tv2/jal123/meibo2.jpg





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両腕が下に垂れ下がらずにいるということは、生きている証


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http://www.asyura2.com/10/lunchbreak43/msg/329.html


985年8月12日の日航ジャンボ123便である。
http://www.youtube.com/user/123ja8119osutaka?feature=mhum#p/u/6/SS5LdOlWXRw
↑1985年8月13日午前11時ごろの写真である。

自分で顔を隠す余力のある生存者の男の子が、自衛隊員によって運び出されている。
4人の生存者が出たスゲの沢付近にて撮影された写真である。
http://www.asyura.us/bigdata/up1/source/2385.jpg  

1. 2010年10月22日 09:03:29: tyV2CB1VeA
いつも拝見させて頂いております。
これはもしかしたら美谷島健くんなのではないでしょうか。(当時9歳)
ご存知かとは思いますが、お母様が遺族会のとりまとめをなさっていたと記憶します。
美谷島さんご家族はこの写真の存在をご存知なのでしょうか....。
例えお知らせしても辛い事実を知るのみで、健くんの命は返ってこないにせよ、ご家族は他の誰よりも真実を知る権利があると思うのです。(なんとか伝える術はないでしょうか...)報道では健くんの遺体は見つからず運動靴だけが発見されたとの事。この記事の、カメラマンの写真を見ると確かに、運動靴が片方脱げた状態で運ばれています。

是非となるべく多くの人に拡散させて下さい。
この一枚の写真が、もしかしたら日本の闇を全て暴露する端緒になるかもしれません。


02. 2010年10月22日 19:40:28: 0JIh0H4jtk
この写真を撮影したカメラマンと写真の中の自衛官は今も健在なのでしょうか。


03. GM 2010年10月22日 19:51:06: 5V73fogPrYxxM : t2sLGJSxmc
何故今までこの写真が出てこなかったのでしょう?撮影者が危険な目に会う可能性があったのでしょうか?現在米国の力が弱ったためでたのでしょうか?
信頼できる写真であればぜひご遺族の方に見ていただくことが必要と思われます。


04. 2010年10月22日 20:03:46: zULHRaeqH2
これ間違いなく死体ですよ。
当時「アサヒグラフ」臨時増刊号で、生々しい事故現場写真と死体写真いっぱい見ましたが、こうやって運ばれる子供の死体写真もありました。
すでに息切れてると思います。
>自分で顔を隠す余力のある生存者の男の子が、
それはちょっと余りに深読みしすぎです。


05. 2010年10月22日 21:06:39: E1joLW87kf
>>04
そりゃどこまで行ってもあんたのただの決めつけでしょ。
わからん事を断定するもんじゃ無いですよ。




http://cometiki.web.fc2.com/newpage103.htm

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特別企画モノで、単発の2時間ドラマでありました。
物語の内容は、20年前に墜落した、日航機に乗り合わせ、亡くなってしまった美谷島 健くん(当時9歳)の、ご両親の話です。



邦子さんと善昭さんは、警察官の静止を振り切り、必死で現場までの
山道を歩きました。そして、関係者として初めて現場入りしたのです。
その惨状たるや、言葉にし尽くせないものでした。
二人は、健くんの生存の希望を絶たれました。
しかし、現実は更に厳しいものでした。
現場から運ばれて来る、粉々になった遺体…部分遺体と呼ばれる、その人の指の先だったりを見て、親族は本人かどうであるかの確認を迫られたのです。
邦子さんと善昭さんは、健くんを指で確認しました。




http://sankei.jp.msn.com/affairs/disaster/100804/dst1008040311000-n1.htm

御巣鷹山と生きて25年(中)美谷島邦子

 □日航機事故「8・12連絡会」事務局長

 ■会の名前から「遺族」の文字削る
 --美谷島さんには強さを感じます
 美谷島 でも私は泣いてばかりいた。たとえば、事故から8カ月後の第1回の刑事告訴のとき、記者会見で「亡くなったお子さんの名前は」と質問され、健のことを思いだし涙があふれてきて答えられず、トイレに逃げ込んだ。
 --それでも事務局長として立派にやってきた
 美谷島 あの刑事告訴の後、遺族みんなの気持ちを集めてがんばらなければならないと思い、「8・12連絡会」の事務局長としての立場ではもう泣くのはやめようと心に決めた。それでも泣いてしまうのだけれども…(笑い)。
 《昭和61年4月12日、日航ジャンボ機墜落事故の遺族でつくる「8・12連絡会」は日航、ボーイング社、運輸省(現・国土交通省)の幹部を業務上過失致死傷罪などで告訴した。告訴・告発は計5回、計3万4138人が名を連ねた。しかし群馬県警が書類送検した関係者も含め、全員が不起訴処分となった》
 --「8・12連絡会」は事故から4カ月後に結成していますね
 美谷島 最初は会員が集まるだろうかと不安だったが、結成のニュースが流れると、問い合わせの電話が相次いだ。結局、遺族280家族が入会した。しかし事務局を引き受けるメンバーが決まっても、みな仕事を持っているので事務局の私の家で深夜の会合が続いた。私も夫も38歳とまだ若かった。
 --結成のころの集会はどんな様子だったのですか
 美谷島 昭和60年12月7日の第1回の集会では、15人が集まったが、最初から最後まで涙をふいている人、「死にたい」と泣き伏す人…と、みな苦しみと悔しさのどん底にいた。しかし、だれもがこのままではいけないと考えていた。そんななか、夫を亡くし、独りぼっちになった女性が話し出した。
 --どう言ったんですか
 美谷島 彼女は「事故後、個人葬、社葬、合同葬と何度も喪服を着た。その度に悲しみに打ちひしがれた姿を期待された。でも、もう下を向きながら生きていくことに終止符を打ちたい。しっかりと前を向いて、なぜ、最愛の人が死ななければならなかったかを世に問いたい。会の名前からは遺族の文字は削ってください」と発言した。
 --この発言も感動しますが、結成時から「8・12連絡会」を日航との補償交渉の窓口にしないと決めたことも素晴らしい
 美谷島 私の夫は損害保険会社に勤めていた。交通事故などの賠償金をめぐる争いをつぶさに見てきた。夫はそうした経験から会合で「会が補償交渉の窓口になると、金銭や家庭のトラブルに関与せざるを得なくなり、結果的に遺族同士が傷つけ合い、遺族の絆(きずな)を弱めかねない」と発言し、この意見が尊重された。ただ、補償交渉の方法や経過は会報「おすたか」を通じて知らせ、情報交換した。
 --絆が大切なのですね
 美谷島 遺族の思いを綴(つづ)った文集「茜雲(あかねぐも)」も発行している。520人の肉親が事故機に乗り合わせて32分間の無念と苦痛のときをともに過ごした。残された私たちは520人が一番言いたかったこと、つまり事故原因を解明し、同じ悲劇を繰り返さないよう再発防止を訴えていくこと。それが最大の絆になると考えた。(論説委員 木村良一)

「JAL墜落25年後の真実」ー週刊現代2010年8月14日号

オレンジ色の飛行物体は1万1300フィートから2万3900フィートまで執拗に飛行機を追尾している。
このことから考えて、謎の飛行物体は明らかに巡航ミサイル。

衝突を回避させるために、巡航ミサイルを自爆させた?

自爆した風圧の影響?
123便は「横」からのG(圧力)によって機体が揺れている。

また垂直尾翼は破損しておらず、オレンジの破片が垂直尾翼に突き刺さった。(倉庫にある垂直尾翼の写真)


週刊現代2010年8月14日号
「123便」に登場したAさん一家は機内から写真を撮っていた。
そのうちの5枚が窓の外を写したものだった。
最初の一枚は、窓際から妹さんが平穏に風景として撮ったものだが、他の4枚は、違うアングルで、2枚目は父親、3枚から5枚目は妹さんの隣にいた母親が撮ったものと推定されるという。
異変直後に、咄嗟にカメラをよこしてと、撮ったのだろう。

その二枚目の写真をデジタル処理すると、そこには黒い点と思われていた点が、実際にはオレンジ色の物体が、うっすらと浮かび上がっていた。

青山さんはパソコン上でこの写真を拡大していったところ、オレンジ色に変色していったという。画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」という。ネガを直接鑑定すれば、この「オレンジ」の正体も分かるだろう。123便は「横」からのG(圧力)によって機体が揺れている。「後部圧力隔壁損壊」では横揺れは起きないという。


http://choujou.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/1235-9f3e.html
謎の飛行物体を操縦クルーが視認した18時18分時点の飛行機の高度は、1万1300フィート(3440メートル)なのですが、謎の飛行物体が尾翼に衝突した18時24分35秒時点の高度は、2万3900フィート(7170メートル)であることです。つまり、6分間に1万2600フィート(3780メートル)も上昇しているのです。
 この2万3900フィートという高度は、ジャンボ旅客機が水平飛行に移ろうとするときの高度なのです。JAL123便は、6分間も謎の飛行物体に追い掛け回されていたことを意味するのです。何かが飛んできて偶然にぶつかったという状況ではなく、その飛行物体は執拗に飛行機を追尾しているのです。
 このことから考えて、謎の飛行物体は明らかに巡航ミサイルであるといえます。標的が、どのように高度を変えても、時々刻々自ら軌道修正を行い、標的を追い詰めて標的の後ろに回ろうとします。その結果がJAL123便の垂直尾翼破壊だったのです。

2ch情報、現場の自衛隊員?からの告白。
海自です。
標的曳航機がニアミスしたと言うデマがはびこっていますが、
もっとひどいです、誤射です。
追尾失策で逸れたのに気がついたのですが
自爆が遅く破片が123便の垂直安定板を直撃しました。
申し訳有りません。




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http://blogs.yahoo.co.jp/kazusanosukekazusa/50758600.html

週刊現代2010年8月14日号は、事故当時日本航空に入社三年目のスチュワーデスで、同僚や先輩を失った青山さんという方が、当事者たちを取材して、入手した写真を取り上げている。
初めて知ったのだが、異変後、めいめいにマスクが降りている中、スチュワーデスが一人、通路に立ち、中側のお客に対している有名な写真も、Aさん一家が撮った写真だったというのだ。

Aさんは当時子供で、41歳の父親、40歳の母親、10歳の妹の三人を事故で失った。
大阪に住んでいて、デズニーランド観光の帰りに事故に遭遇してしまった。
その一家のカメラには10枚の写真が残っていた。

そのうちの5枚が窓の外を写したものだった。
最初の一枚は、窓際から妹さんが平穏に風景として撮ったものだが、他の4枚は、違うアングルで、2枚目は父親、3枚から5枚目は妹さんの隣にいた母親が撮ったものと推定されるという。
異変直後に、咄嗟にカメラをよこしてと、撮ったのだろう。

その二枚目の写真をデジタル処理すると、そこには黒い点と思われていた点が、実際にはオレンジ色の物体が、うっすらと浮かび上がっていた。
「オレンジ色の物体」については、当時、吉原公一郎氏が、独自に入手したビデオで、事故現場に「オレンジ色の金属片があった」とし、機体には全く用いられていない物だとし、「自衛隊ののミサイル実験のための無人標的機が衝突した可能性」を指摘した。

当時自衛隊が所有していた「ファイアービー」や「チャカII」などの無人標的機は、全体が赤みがかった鮮やかなオレンジ色に塗装されていて、これが事故に関わったというのだ。



http://www.koubunken.co.jp/mizusima/main.html

青山さんはパソコン上でこの写真を拡大していったところ、オレンジ色に変色していったという。画像処理の専門家にこの写真の検証を依頼したところ、「円錐もしくは円筒のようなものを正面右斜めから見たようなイメージで、この物体はオレンジ帯の方向から飛行機の進行方向に向かっているように見えます」という。ネガを直接鑑定すれば、この「オレンジ」の正体も分かるだろう。123便は「横」からのG(圧力)によって機体が揺れている。「後部圧力隔壁損壊」では横揺れは起きないという。この「オレンジ」が右方向から123便に接近しているとすれば、この「オレンジ」と123便墜落との間に重要な関連があるとは言えまいか。



http://www.magazineland.jp/tenkuu/?page_id=5

この事件はいまや戦後最大のタブーになりましたが、声無き乗客達が貴重な証拠を多く残しておりその全貌は解明されています。
A氏の写真はミサイルを後方から捉えたものです。 つまりミサイルが123便の下を通過した事になります。この八分後に123便は披弾し垂直尾翼が破壊されます。
当時ミサイルの滞空誘導システムを持っていたのは米軍だけです。    




http://nvc.halsnet.com/jhattori/nikkou123/ 

また自衛隊に緘口令がひかれているが、JAL123便の事故当時の時間

相模湾で自衛隊に納入予定の護衛艦「まゆつき」の テスト航行が行われていた。
まゆつきのレーダのテストに標的機を使って いたらしい。それに123便の尾翼の破片を海上で回収。・・・・

そして、極めつけは現場の自衛隊員?からの告白(あくまで下記は2ch情報ですので信憑性に欠けますのでご注意ください :ただこの後のリンクにあるように真相をばらした自衛官は次々と自殺にみせかけられて殺されています。下記の書き込みをした自衛官もこの後、殺されていなければいいのですが)



83 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2000/07/22(土) 07:29
元自衛隊員の証言。 123便について。他スレより転載。
◆◆◆◆◆◆
海自です。
標的曳航機がニアミスしたと言うデマがはびこっていますが、
もっとひどいです、誤射です。
追尾失策で逸れたのに気がついたのですが
自爆が遅く破片が123便の垂直安定板を直撃しました。
申し訳有りません。

 朝日新聞1990年10月14日朝刊に掲載された謎の物体

25 名前: >24 投稿日: 2000/07/18(火) 16:15
E-2Cのクルーです
うちらそれ、たまたま傍飛んでて
確認にやらされた…。
緘口令しかれ、暫くみんな地方の勤務地に
バラバラにされた。
監視もされてた。
今、殆どやめてるよ。

26 名前: >24 投稿日: 2000/07/18(火) 17:10
そうそう で俺達(空自)のF-4EJがサイドワインダーで
落としたっての、酷いよなぁ。そんなことしてないって、
やったのは、横田を目の前にして
「誘導をやめろ」って命令されてその通りにしただけだよ。





http://choujou.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/1235-9f3e.html

失礼な文章となり大変申し訳ないです。JAL123便墜落でなくなられた全ての人々に心からご冥福をお祈り申し上げます。

http://intec-j.seesaa.net/article/52713760.html

ここで注目すべき事実があります。謎の飛行物体を操縦クルーが視認した18時18分時点の飛行機の高度は、1万1300フィート(3440メートル)なのですが、謎の飛行物体が尾翼に衝突した18時24分35秒時点の高度は、2万3900フィート(7170メートル)であることです。つまり、6分間に1万2600フィート(3780メートル)も上昇しているのです。
 この2万3900フィートという高度は、ジャンボ旅客機が水平飛行に移ろうとする
ときの高度なのです。JAL123便は、6分間も謎の飛行物体に追い掛け回されてい
たことを意味するのです。何かが飛んできて偶然にぶつかったという状況ではなく、その飛行物体は執拗に飛行機を追尾しているのです。
 このことから考えて、謎の飛行物体は明らかに巡航ミサイルであるといえます。標的が、どのように高度を変えても、時々刻々自ら軌道修正を行い、標的を追い詰めて標的の後ろに回ろうとします。その結果がJAL123便の垂直尾翼破壊だったのです。
 最初謎の飛行物体は、コックピットの右サイドで視認されています。つまり、JAL123便よりも前の方を飛んでいたことになります。そのあと、飛行機の右後ろに回り、そこから垂直尾翼に衝突しているのです。
 謎の飛行物体が国産の巡航ミサイルSSM-1であるとするとなぜ、そのようなものを民間航空機が数多く通る空の銀座通りといわれる相模湾上空で飛ばしたのでしょうか
。場所といい、時間といい、自衛隊は軽率のそしりを免れないでしょう。
 巡航ミサイルSSM-1は、攻撃してくるミサイル迎撃のための半導体レーザー結合
光ファイバー画像解析装置を搭載しています。光学センサーでミサイルや戦闘機を瞬時に識別し、最適攻撃手段を選択できる当時の最先端技術です。
 それならば、なぜ、民間航空機であるJAL123便を識別できなかったのでしょう
か。当然識別できるはずですし、まして、地上、海上、航空での管制システムによって
動くのですから、JAL123便が識別できないはずがないのです。
 地上の管制システムは、巡航ミサイルSSM-1が先端部に搭載したシーカーによっ
て民間機JAL123便の画像情報をSSM-1を経由して捕捉していたはずです。そ
れなのに、なぜ衝突を回避できなかったのでしょうか。なぜ、自爆させるなどの処置がとれなかったのでしょうか。管制システムに突如故障が生じたのでしょうか。
 考えられることは、SSM-1搭載コンピュータに民間機識別情報が入力されていなかったことです。演習用なので、すべての航空機を敵機とみなすようになっていたのではないしょうか。

自殺した航空自衛隊員が所持していた2枚の写真

日本航空123便墜落事故が発生して、2日前に25年が経過した。

日本航空123便墜落事故は、1985年8月12日18時56分に、群馬県多野郡上野村の御巣鷹の尾根に墜落した事故。

自衛隊員の自殺数は1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。
一省庁のなかで1年間で90人これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった。)


最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった。

そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる

そのうちの一人(9月12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、

一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。

この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真。
暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたよう。
これはなんなのか?
自殺した航空自衛隊員が、なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?


日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。

写真(b)の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、「オレンジ色」は一切使われていないという。

折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?

自衛隊は二種類の鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機を所有している。



http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802250000/


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第4話 自衛隊員の自殺率の嘘

1981年より自衛隊員の自殺数の調査が行われている、そして1982年から自殺数が急激に上がり1986年には年間90人以上と81年から73パーセントも増加している。

だが実は1981年に調査を開始した記録はなく、1986年に急に以前から調査していたかのように自殺数を公表しはじめた、一省庁のなかで年間これだけの自殺者が出るのは、不自然であり不審であるが報道すらされなかった、しかもなぜわざわざ81年から調査しているなどと嘘をつかなければならないのだろうか?
自殺率増加という一見マイナスイメージしか生まない情報操作はなにを意図したものであろうか?

最初に不審な自殺者が出たのが1986年7月、二人の航空自衛隊パイロットだった、そしてつづいて同年9月12日14日と航空自衛隊員が二人自殺する、(これを皮切りに謎の自殺数増加がはじまる)
そのうちの一人(12日死亡)が友人に預けていた二枚の写真があるのだが、

一枚は7月に自殺した同僚二人の写真(a)である。
(ぼかしをいれてある)この写真の二人だが、当時隊内では同性愛者の心中ではと茶化されておわったという、
この時の状況だが二人は自殺をはかった直後に発見され、自衛隊病院に運ばれ病院内で死亡ということで、司法解剖も、検視解剖もされなかった。
だがこの写真の異様さに気づくだろうか、身長ほどの高さで吊られているが、踏み台もなにもない、しかもパラシュートコードを使ったというが、このコードは6mmほどで300kg近い耐力があり、首への食い込みは太いロープなどと違い血管も神経も切断する。
それを偶然自殺直後に発見し撮影までした後、病院に搬送するまで生きているとは考えづらくはないだろうか?(4人とも遺書は残していない)

そしてもう一枚の写真(b)が暗い倉庫内(建造物にはモザイクをいれた)の写真だがこれはなんなのか?なぜこの2枚の写真を何の説明もなく他人に預けたのだろうか?




http://plaza.rakuten.co.jp/topsecretx/diary/200802260000/

前回の写真の正体を追及したい。

下の「資料3」の赤い部分、日航123便の垂直尾翼はその70パーセントが見つかっていない。

「資料1」の写真は暗い倉庫でフラッシュ無しで撮影されたようで、解像度が非常に悪かったのを
最大まで解像度を上げ補色処理をしたものだが、何にみえるだろう?

折れ曲がりボロボロだが、これは失われた「70パーセント部分」ではないだろうか!?
相模湾上空で失い行方不明のはずの垂直尾翼の写真をなぜ自殺した自衛隊員がもっていたのか、もし自衛隊で回収したのであっても隠す必要はどこにもないはずである。

ここで一つのある「うわさ」に行きつく、「日航123便は自衛隊に撃墜された」
と言ううわさである。

ありえない!なんのために自衛隊が民間機を撃墜しなければならないのか、
そんな必要もメリットも何もない。荒唐無稽な話としか思えないだろう。

よく自衛隊は民間機や客船、漁船などを敵にみたて、ぎりぎりまで接近しミサイルのレーダーロックの訓練を頻繁に行っているのは有名な話だが、ここでミサイルを誤射するなどは絶対あり得ない!
別の可能性、自衛隊機と衝突したのであれば飛行中の破損はさらに甚大であるし機長たちも事故前にわかるはずである。

「資料1」の右はじ部分まくれあがってるような部分があるがそこにオレンジと黒の色が見えるが、123便に使用されている塗料は白黒赤だけであり、
「オレンジ色」は一切使われていないという。

事故当時のニュース映像で日航側の事故調査員が金属片を回収しようとして証拠隠滅の容疑で自衛官に連行されたが、自衛官がなぜ連行なんかしてるのか関係者の間で疑問だった、その後この映像は一切流れることはなかった。このとき調査員の回収しようとした金属片も日航機には使用されていないはずの「オレンジ色」の破片だった…

ここで一番下の写真を見ていただきたい、自衛隊の採用している二種類の
鮮やかな「オレンジ色」のミサイル照準訓練用の小型標的機である…


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