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抗がん剤や放射線照射が効かない科学的理由→がん幹細胞の特性

追加
本当かどうか?
詳細がわかりません。
治療過程を教えていただければ、幸いです。

メルモさんの下記記事に対するコメントより
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-2257.html
「AWG療法受けました
癌3大療法で免疫力が極度に落ちていましたがAWG療法を1度受けただけで倦怠感、骨痛がなくなりとても調子がよくなりました。
あまりの効果に驚いています。」





がんには「がん幹細胞」と「娘細胞」がある。

「がん幹細胞」が「娘細胞」を生み出す。

がん幹細胞の発見で
→ようやく本物というか倒すべき相手が見えてきた。

がん幹細胞をターゲットにした治療法が開発されないと
今以上にがん治療がグンとよくなることは期待できない。

今現在

がん幹細胞をターゲットにした治療法は確立されていない。

つまり

抗がん剤は効果が期待できないということを意味している。

また

放射線治療も同じように、細胞が分裂するときの不安定な状態を狙い撃ちしているので、効果が期待できない。



http://www.kaken-hp.or.jp/clinic/dormant_treatment/index.html

細胞は、分裂しながら増殖していますが、この分裂を種々の方法で阻害するのが抗がん剤です。

そのため、抗がん剤は分裂する細胞ならがん細胞だけではなくどんな細胞でも障害します。

がん細胞を障害すれば効果と呼びますが、正常細胞(骨髄、毛髪、消化管粘膜)を障害すると副作用(白血球減少、脱毛、下痢、嘔吐など)と呼ぶにすぎないのです。

つまり、抗がん剤とはがんの薬ではなく、がんを含め分裂・増殖している細胞すべてを障害する薬剤なのです。

したがって、抗がん剤は一般に分裂・増殖速度が速い細胞ほど効くということになります。

ちなみに、

白血病の細胞は、通常のがんに比べはるかに速度が速いため、抗がん剤がよく効く
のです。



がん幹細胞が発見され、新たにわかったこと。

抗がん剤投与すると

がん細胞=娘細胞を減らすことはできる。


しかし
がん幹細胞は生き残る。

なぜなら

がん細胞=娘細胞の分裂・増殖速度は速い。

一方

がん幹細胞の分裂・増殖速度は遅いから。





世界で初めて肝臓がんの幹細胞がんが発見された。

さらに研究を進めるとがん幹細胞が転移を引き起こす原因であることがわかってきました。

がん幹細胞から生み出される癌細胞は一定期間猛烈なスピードで分裂を繰り返しますか、その後、増殖をやめてしまいます。

それに対しがん幹細胞は長期間活動を続けます。
わずか数個でも血液中に流れ込めば、その場所に移動し、がんを作るのです。

がん幹細胞は、様々ながんで確認され始めています。

そして

がん幹細胞をターゲットにした治療法の開発が始まろうとしています。



世界で初めて発見された「がん幹細胞」
050801.jpg


抗がん剤投与前
050701.jpg

抗がん剤投与後
がん細胞=娘細胞は減っている。
しかし
がん幹細胞は生き残る。

放射線治療も細胞の分裂するときの不安定な状態を攻撃しているので
がん幹細胞には効かない。

050702.jpg





がんは、みな同じように分裂し、増殖すると考えられていました。
それに異を唱えるのが、がん幹細胞モデルです。
がん幹細胞は「がん幹細胞が作り出す娘細胞」とは微妙に違うからです。
腫瘍の大部分は娘細胞からなるのです。

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がん放置療法のすすめ→癌で何もしないことが有効な治療法となる場合がある



がん治療の方法として「がん放置療法」を近藤誠医師は勧めている。

「がん放置療法」とはがんの治療をしないこと。
がんは発生場所や症状、年齢、進行度によって全く異なったものとなり、治療方法をひとまとめにすることができない。

しかし
「がん放置療法」という考え方があることを知っておくことは極めて大事なことである。

「がん放置療法」を知らなければ
手術第一主義の医者がほとんどであるから、直ちに手術で患部切除が行われ、もはや取り返しのつかないことになってしまう。

がんになったとき慌ててはいけない。
がんを放置することがもっとも有効な治療法である場合がほとんどであるから。


近藤誠氏はがんは2種類あるとしている。

「本物のがん」と「がんもどき」

放置しても転移することがない「がんもどき」

どんな治療をしても治らない「本物のがん」


がんが「がんもどき」「本物のがん」いずれであっても、「がん放置療法」という考え方は有効である。


「がんもどき」であった場合、

がんを放置することは最善の治療方法となる。
何もしないで、定期的に検診を行い、経過を観察するだけですむ。
「がんもどき」=放置しても転移することがないがん、なので、やがてがんは消失していく。

一方

「本物のがん」であった場合でも
がんを放置することには、メリットがある。

がんを放置することでより長く生きることができる。
うまくいけば、がんを抱えたまま天寿を全うできるかもしれない。

なぜがんを放置すれば、長生きできるのか?
言い換えれば、
がん手術を行わないことが、より長く生きる上では重要である。

がん手術のデメリットとは

①がん手術によって「基底膜」が傷つけられる。


「本物のがん」が転移するための最大の障壁が「基底膜」。
手術は、この防壁「基底膜」を破壊すること

「本物のがん」=「転移能力を持つがん」の進行プロセス。
がん細胞化した上皮細胞が基底膜というバリアを超えなければ、転移は起こらない。
基底膜を越えるために「本物のがん」は特殊なタンパクを出す。
タンパクが基底膜を溶かして、がん細胞が外に出る。
がん細胞がタンパクを出すことが転移の必須条件となる。
ところが
手術することで基底膜を傷つければ、タンパクの助けを借りずに容易にがん細胞が外にでることができる。
その結果
がん転移が促進される。

012701.jpg


②がん手術をすることは、腹膜転移を進めること。

腹膜が、がん細胞に対するバリアーの役割を果たしている。

腹膜にびっしり転移が存在していても、それだけでは症状は以外と軽く、腸閉塞もあまりみられない。
(腸閉塞が見られるのは、手術後。)

つまり自然状態では、転移病巣は腹膜の奥にむかって成長する力は弱い。

腹膜ががん細胞に対するバリアーの役割を果たしている時に、
腹膜を切り裂くのは、泥棒が高い塀を越えられないのに、塀を壊してあげるのに似ています。
腹膜の向こう側に達したがん細胞は悠々と増殖することができ、腸閉塞をも引き起こすのです。



http://www.weblio.jp/wkpja/content/%E7%B6%B2%E5%9A%A2_%E7%B6%B2%E5%9A%A2%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
腹膜は赤線
臓器の周辺を覆っている。
腹膜はがん細胞の侵入を防ぐバリアとなっている。

102701.jpg





012601.jpg


腹膜転移はどのようにして生じるのか。
胃癌の場合は、粘膜下層、筋層を通って、腹膜に達します。
これらの細胞の中には、腹腔にこぼれ落ちる細胞が生じ、正常でも、少量存在する腹水の中を漂うことになる。
しかし、別部位の腹膜に取り付いて増殖するには若干特殊な能力を必要とするようです。
という理由は第一に鍵穴と鍵物質の関係。

第二には腹膜にびっしり転移が存在していても、それだけでは症状は以外と軽く、腸閉塞もあまりみられない。
(腸閉塞が見られるのは、手術後。)
つまり自然状態では、転移病巣は腹膜の奥にむかって成長する力は弱いようなのです。
それなのに手術でお腹を切り裂いたらどうなるか。

腹膜ががん細胞に対するバリアーの役割を果たしている時に、
腹膜を切り裂くのは、泥棒が高い塀を越えられないのに、塀を壊してあげるのに似ています。
腹膜の向こう側に達したがん細胞は悠々と増殖炉することができ、腸閉塞をも引き起こすのです。

上述したことは腹膜転移が見られる
大腸がん、膵臓がん、卵巣がんにも妥当します。

では患者、家族はどのように行動したら良いのか。

1999年11月、当時62歳の男性が、早期胃癌との診断で胃の摘出手術を勧められ、私の外来を受診されました。
精密検査の結果、一応早期がんですが粘膜下層にまで達しており、直径は5センチ。
生検では「未分化がん」との診断でした。胃の「未分化がん」にはタチのよいのも含まれますが、
他方でタチの悪いスキルスがんも「未分化がん」です。この患者さんは、一応早期がんでも、スキルスがんの前身である可能性が高いと考えました。


検査結果が揃ったところで私は説明を始めました。

早期胃がんで、粘膜下層に留まっているという診断です。
ただし、がんがどこまで達しているかは断定できず、スキルスがんの一歩手前の可能性もある。
どの病院でも、手術を勧められるでしょう。
しかし、
手術が妥当かは別問題です。まず手術した場合を説明しましょう。
あなたは胃の部分摘出術になるでしょうが、開腹して、がんが予想以上に広がっていた場合には、全摘術になる。
手術の合併症、後遺症は私の本をお読みになったそうなので、何か分からないことがあれば、質問して下さい。
胃のスキルスがんは、タチが悪いと言われているが、血流を介した転移傾向は少なく、たいていの場合、死因は腹膜転移です。

もし腹膜に達していたなら、手術すると、寿命は確実に、縮まります。

逸見さんのように、一年以内の可能性も高く、五年生きられる人は一パーセント程度でしょう。

次に手術しなかった場合ですが、がん細胞が腹膜に達っしていない場合には、放っておいても腹膜に達することができず、天寿をまっとうできる可能性がある。
が、あなたの具体的余命は不明です。

こういうばあい、これから一年の間に死亡する可能性がどれほどあるか考え、一年間生きることができたら、次の一年の予想を立てるのがよいでしょう。

あなたの場合、放っておいても、これから一年の間に死亡する可能生はゼロです。

一年以内に死亡する可能性があるのは、胃摘出手術した場合と、抗がん剤治療をした場合だけです。

胃袋は放射線感受性が高い臓器で、放射線治療で重篤な合併症が生じる可能性がある。
取るべき症状がないという、あなたの現在の状態では、放射線治療はお勧めできない。

もっとがんが増大して、閉塞症状等が生じてきたら、放射線治療が妥当な場合もありえます。

説明終了後、このまま仕事を続けたいとの希望で、半年に一度、検査や診療をすることになりました。
原発病巣はだんだん進行し、2001年4月の検査では、はっきり筋層に入っているという見立てでした。

それでも本人は手術を希望せず、私も手術を勧めることはなく、2002年10月には腹膜に達している可能性があると診断され、2006年9月には、腹膜に達していると診断されました。
それでも元気でしたところが初診時から9年立った2008年9月に、大便が細くなったとの訴えがあった。おそらく腹膜転移が大腸周囲にはびこって、内腔を狭めたものと思われます。

そのまま様子を見ると、2009年1月には、調子が悪い、食が減った、便通が良くない、ときどき下腹部が痛い等の訴えがあった。

すべて腹膜転移で説明できますが、根本的な治療がないので、下剤等の対症療法をしました。
体調はゆっくり低下していきました。
しかし、仕事は続けられました。
そして10月に、近所の病院に入院。
息子さんの話では、最後まで意識ははっきりしていたが、肺に水が溜まって苦しくなり、麻薬の増量を希望され、2009年10月18日に亡くなられたとのことです。享年72。合掌。

この方の経過について2点だけ指摘しておきましょう。
経過から見て、初診時から腹膜転移があったと考えるのが妥当で、手術をしていれば、一年、二年の命だったはずです。
それが10年生きることができました。
第二には腹膜転移による症状が出現しましたが、食事も可能でした。
食べたものを吐く、それを軽減するための鼻から腸までのチューブを入れておくといった、手術後に生じる腸閉塞症状とは雲泥の差です。
胃癌の胃摘出手術には、得になることは一つもないようだと改めて実感した次第です。

癌で苦しまずに、死ぬために知らなければならないこと→癌死=安楽死

中村医師は「抗がん剤や放射線をした場合の最期が、必ず痛むかどうかはわかりません。
しかし、治療をしなかった人は痛まなかったということだけは言えます」



食欲が落ち、やせてきて、胃腸の具合が思わしくないということで入院した海老原卓二さん(70)は検査の結果、進行性の胃がんで余命三ヵ月と診断された。

がん性の腹膜炎を起こしていたが、がんに対して積極的治療の意思がなかった海老原さんは二週間で退院してホームに戻ってきた。

痛みは全く訴えなかったが、がん性腹膜炎で腹水が増え、蛙腹がだんだんひどくなっていく。

しんどがるようなら、腹水を抜かなくてはと中村医師が思っているうちに傾眠状態となり、口から一滴の水も摂ることができなくなる。

その後、海老原さんは何の治療もしなかったが、最後まで痛みを訴えることなく、安らかに息を引き取ったという。

驚いたことに、亡くなった時には、あの出っ張った蛙腹がぺしゃんことなり、完全に腹水が消えていたという。

「人間、生きるためには水分が必要です。口から水分を摂れなくなった海老原さんは、身体にある水分を全部使い果たして亡くなったのです。人間の自然の身体の仕組みはこんなにすごいものなのかと、感嘆しました」


最期まで痛みが出ないがん患者が十人くらい続いたという。

十人に共通していたことは
がんが手遅れで発見され、その後、抗がん剤や放射線などの治療をせずに、
いわば、がんを「完全放置」していたことだった。


自然死とは餓死なんです。

もう死に時がきているから欲しくない。

おなかが空かない、のどが渇かないから

餓死なんだけど、全然本人にとっては、普通のことなんですね。

自然の流れなんです。

しかも

飢餓状態っていうのは、頭の中から「エンドルフィン」というモルヒネみたいな物質がでるらしい。

気持ちよくなるらしい。

まどろみの中で、この世からあの世へ移っていくのが

実は死ぬっていうこと。



安楽死っていうのはご高齢の方だけしかできない?

30代40代の方が、もし何もしないと言っても回りが許さない。

→安楽死という選択肢があることを、がん患者と家族が知らない。


中村医師
人様には強要はしませんが
繁殖を終えた人はもうそろそろ、考えた方がいいのではないかと。





http://blog.goo.ne.jp/hs33_001/e/5dd17e87d79e34f2c41e0f135e9a71f2
医者には診せない 苦しまずに死ねる「自然な最期」~ベストセラー医師が明かす大往生の秘訣~
(出典)週刊文春2012/03/29号P52~55
(ジャーナリスト)塩田芳享
―――――――――――――――――――――――――――――
ベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者・中村医師は、老人ホームで末期がんの入居者を数多く看取ってきた体験から、ある一つの確信を得るようになった。がんになっても医療を受けず、「完全放置」すれば、全く苦しむことなくあの世に逝ける――。
―――――――――――――――――――――――――――――

厚生労働省は二〇一二年度を「新生在宅医療・介護元年」と銘打って、在宅医療・介護の推進を呼びかける。厚労省の調査では、六割以上の人が自宅での最期を希望しながらも、実際は病院で亡くなる人が八割近い。住み慣れた我が家で最期を迎える人はわずか15%に過ぎないのだ。
 
二月二十五日に放送されたNHKのスペシャルドラマ『家で死ぬということ』は、住み慣れた岐阜県の旧家で最期を迎えたいと願う末期がんの老女の物語だった。しかし老女の希望は簡単に受け入れられない。東京に住む娘夫婦が入院させようと画策するからだ。「がんの末期は大変苦しいものだ。病院に入院しなければ、その苦しみには耐えられないだろう」--東京の娘夫婦はそう危惧したのだ。

「末期のがんは苦しいもの」-そう考えている人は大変に多い。実際に、日本緩和医療学会の調べでも、がんと診断された時点で痛みを感じる人は30%に対して、末期がんの場合は75%の人が痛みを感じていると報告されている。

しかし、「がんの最期は苦しいもの」という常識に異議を唱える医師が、いま大きな注目を集めている。今年一月に『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)を出版した中村仁一医師(71)だ。わずか一ヵ月半で二十六万部も売れているという。なぜ、この本が多くの読者の心を捉えたのか。それは中村医師が、自ら勤務する老人ホームのデータによって、「自然の最期は苦しまない」「死は恐いものではない」ことを実証してくれたからだ。

「私自身、六十歳でこの老人ホームに来るまでは、がんの最期は苦しいものだと考えていました。そう考えることが医療界の常識でしたし、苦しむがん患者しか診ていませんでしたから」
 
そう語る中村医師は京都大学医学部を卒業後、内科医として京都の民間病院に勤務。介護保険が始まった平成十二年から、京都にある社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所の常勤医となる。「同和園」に来るまでは中村医師も「がんの末期の痛みをとるためには、麻薬を使うのが当たり前」と考えていたという。

「病院に勤務している頃は、胃がん、直腸がん、肺がん、肝臓がんなど、色々ながんを診てきましたが、大なり小なりの差こそあれ、患者さんはみなはっきりと痛みを訴えていました。そして痛みを訴える人には必ず麻薬を使う。それが常識だったのです」

その常識が「同和園」に来て大きく覆されてゆく。実際に「同和園」では、こんなことが起こっていた。「同和園」に入居していた山川悟さん(79、以下患者はすべて仮名)が吐血し、病院に入院することになった。そして精密検査の結果、手遅れの胃がんだと判明する。しかし、山川さんは中等度以上の認知症を患っており、なおかつ七十九歳という高齢。家族は積極的治療を望まず、「同和園」で看取ってほしいと要望する。

普通なら末期のがん患者を医療体制の整っていない老人ホームに戻すことなど考えられないことだという。末期のがん患者のほとんどが激しい痛みを訴えるものと考えられているからだ。しかし、中村医師は家族が望んでいるならと、ホームで看取ることにした。だからといって成算があったわけではなかった。

◎52人全員が痛みがなかった

「このホームには麻薬をおいていなかったので、いくところまでいって、痛みが出たら病院に送ろうと考えていました」
しかしそれは杞憂に終わった。病院でなんの治療もせずにホームに戻った山川さんは、痛みを訴えるどころか、コールタールのような黒い便が普通の便に変わり、食事ももりもり食べるようになった。血液検査をしたところ、貧血も改善し、正常の域に達していった。その後も痛みが出ず、外出するなど普通の生活をすることができるまで回復したという。病院からは、余命はせいぜい二~三ヵ月と言われた山川さんは結局、一年近くも普通の生活を続け、最後まで苦しむことなく安らかに亡くなったというのだ。

このホームに来るまで、中村医師は「最期まで痛みが出ないがん患者」がいることなど、全く念頭になかったという。山川さんのケースは偶然でなかった。こんなケースもあった。

食欲が落ち、やせてきて、胃腸の具合が思わしくないということで入院した海老原卓二さん(70)は検査の結果、進行性の胃がんで余命三ヵ月と診断された。がん性の腹膜炎を起こしていたが、がんに対して積極的治療の意思がなかった海老原さんは二週間で退院してホームに戻ってきた。痛みは全く訴えなかったが、がん性腹膜炎で腹水が増え、蛙腹がだんだんひどくなっていく。しんどがるようなら、腹水を抜かなくてはと中村医師が思っているうちに傾眠状態となり、口から一滴の水も摂ることができなくなる。その後、海老原さんは何の治療もしなかったが、最後まで痛みを訴えることなく、安らかに息を引き取ったという。驚いたことに、亡くなった時には、あの出っ張った蛙腹がぺしゃんことなり、完全に腹水が消えていたという。

「人間、生きるためには水分が必要です。口から水分を摂れなくなった海老原さんは、身体にある水分を全部使い果たして亡くなったのです。人間の自然の身体の仕組みはこんなにすごいものなのかと、感嘆しました」

中村医師が「同和園」に来て以降、最期まで痛みが出ないがん患者が十人くらい続いたという。これはもはや偶然ではない。中村医師はそう思うようになっていった。十人に共通していたことは、がんが手遅れで発見され、その後、抗がん剤や放射線などの治療をせずに、いわば、がんを「完全放置」していたことだった。これは中村医師が勧めたことではなく、本人や家族が望んだからだという。

彼らを診ていくうちに、中村医師はこのような考えに行き着く。「末期のがん患者はのたうちまわるほど苦しむと思っていたのに、十人の患者の誰一人、がんの痛みで苦しむ人がいなかった。がんが発見されるまでも痛みが出ず、その後、亡くなるまで全く苦しんでいない。がんという病気は、『完全放置』していれば、全然苦しむことはないのかもしれない」

この考えが、どれだけ正しいのか。平成十五年から平成二十二年までの間に「同和園」でがんで亡くなった人の数は五十二名。年齢とがんの種類は様々だが、驚いたことに麻薬を使うほどに痛んだケースは1例もなかったというのだ。五十二名中、ホームで最期まで看取った人は二十七名。それ以外の二十五名は病院で最期を迎えたが、彼らも痛みを訴えたから、入院したわけではない。胃や腸から大量の出血をしたり、肺炎になったり黄疸がでたりしたために、「最期は病院で」という家族の要望があったからだという。

もちろん痛みを訴えた人が、まったくいなかったというわけではない。九十九歳の女性は首に大きなしこりができたので、病院で検査したところ、どこかから転移したがんであると診断される。詳しく知るためには精密検査が必要だったが、高齢であることから、家族は治療も精密検査も望まず、ホームに戻ってきた。

その後、しこりは急に大きくなり、女性は痛みを訴えたのだが、その痛みは、冷却シートを貼るだけで治まってしまったというのだ。「がんの痛みが冷却シートぐらいで治る訳がありませんから、これはがんの痛みではなく、しこりが急速に大きくなったため、皮膚が引っ張られて、それを痛みと感じるようになったんだと思います」

以前は、がん患者が痛みを訴えたら、すぐにそれはがんの痛みと考え、麻薬を使っていたこともあったという中村医師だが、「同和園」に来て、その考えが大きく変わったという。「がんの患者が痛みを訴えると、なんでもがんの影響だと考える傾向が強いような気がします。ここに来て、そのことがよくわかるようになりました。お尻がただれて痛いという患者に麻薬を使う医師がいるほどですから。がん患者の痛みの中には、がんの影響ではないものもかなりあると私は思うようになりました」

◎病院のがん患者との違いは何か

中村医師は十六年前から「自分の死を考える集い」という市民グループを主宰している。
「いまの時代、“死”をタブー視し、遠ざけるあまり、“生″もおかしなものになっている。“自分の死”を考えることは、“死に方”を考えるのではなく、死ぬまでの“生き方”を考えることなのだ」

中村医師のこんな考えに共感した人が全国から集まってくる。なかにはがんと診断された人もいる。検査の結果、肺がんと診断された森野茂一さん(79)もそんな一人。森野さんは診断後、担当医からこう言われたという。

「八十歳なら手術はやらないが、あなたは七十九歳だから手術しよう」なぜ、一歳だけの違いで手術をするかしないかが決まるのか――。そう考えた森野さんは医師に不信感を持つようになる。そして「集い」にやってきて、中村医師の考え方に共感し、その後一切の医療との関わりを絶つことになる。手術の勧めを拒否し、肺がんを「完全放置」した森野さんはその後どうなったか。

なんと、その後四年三ヵ月間も好きな卓球を続けながら、QOL(生活の質)も全く落ちることなく、普通に生活を続けることができたというのだ。さすがに亡くなる1ヵ月前には、へたりこんで力は衰えたというが、最後まで呼吸困難もなく、痛みも全く出なかったという。しかし、亡くなる間際に問題が起きた。どこの医者にもかかっていなかった森野さんには、亡くなった後に死亡診断書を書いてくれる医師がいなかったのだ。そうした場合、「不審死」として警察が入って厄介なことになる。中村医師は森野さんに至急、往診医を探すよう助言する。八方手を尽くしてなんとか往診医を見つけるが、医療との関わりを絶ったがん患者など、普通の医師からすれば常識外だ。往診医から、「入院しろ、検査しろ、点滴しろ」と厳しく迫られたという。

当初は頑なに拒否していた森野さんだが、仕方なく一回だけ点滴注射と血液検査を受けた。そのとき、肺がんの腫瘍マーカーの数値のあまりの高さに医師は驚いたという。だが、最期まで全く痛みを訴えることもなく、苦しむこともなかった。そして、何の治療もしないことに猛反対だった子供たちが、「よくぞ、こんな穏やかな死を見せてくれた」と感謝したほど、森野さんの最期は安らかなものだったという。

前述したように、中村医師は、以前は「がんの最期は苦しむもの」が常識だと考えていた。だが、「同和園」で診た七十人以上のがん患者には、一人も麻薬が必要な人はいなかった。その違いは何なのか?実ははっきりとした違いがあった。「同和園」の人たちは、がんが手遅れで発見され、さらに高齢でほとんどの人が認知症を患っているために、抗がん剤や放射線などの治療を一切していない。

中村医師が以前勤めていた病院で診た患者は、すべて手術をした後か、抗がん剤や放射線の治療をしている人たちだった。「抗がん剤や放射線をした場合の最期が、必ず痛むかどうかはわかりません。しかし、治療をしなかった人は痛まなかったということだけは言えます」

筆者は本誌昨年九月二十九日号の「病院で死なないための『理想の看取り』」という記事で、延命治療などの医療に頼らずに「自然な最期」を迎えた人たちの事例を取り上げた。

東京・世田谷にある特別養護老人ホーム「芦花ホーム」に入居していた武藤公江さん(89)は誤嘸性(ごえんせい)肺炎を起こして救急病院に運ばれた。幸い肺炎はすぐに治まったが、その後医師から「胃ろう」をつけるよう強要される。しかし、これを夫は頑なに拒否した。認知症の妻の体に管を付けて、みじめな姿にさせたくないというのが理由だった。口から食べられないと宣告された公江さんだったが、その後、一日わずか六百キロカロリーという少量のゼリー食を夫が愛情込めて食べさせることで、一年半も元気に生き続けたのだ。息をひきとるときも、大変に安らかなものだったという。

富山県砺波市にある「ナラティブホーム」は終末期の行き場のない人を受け入れる看取りの場である。この施設では延命治療は一切しない。完全に自然な最期だ。そうすると、体はやせ衰えていくが、逆に不思議な現象が色々起こるという。認知症がよくなったり、耳が聞こえるようになったりと、医学では解明できない不思議な現象である。医療に頼らない自然な最期には、本来人間が持っている色々な力が現れてくるのだ。

◎人間には“自然緩和力”がある

そうした事例を知るまでは、筆者も、がんに限らず死ぬときは苦しいものと考えていた。だが、取材を続けていくと、「自然な最期」は驚くほど安らかなものであり、医療に頼らなくても痛みを感じないという“事実”を知るようになった。そんな例をいくつも見ていくうちに、筆者はある確信を得るようになる。

それは、人間には自分で病気を治す“自然治癒力”があるように、安らかに死んでいける力、“自然緩和力”とでも呼ぶべき力が本来備わっているのではないかということだ。このことは、来月上旬出版予定の拙著『医療に頼らない理想の最期』(日新報道刊)に詳しく書いた。

人間は本来安らかに死んでいける力を持っている――数多くのがん患者を診続けてきた中村医師も全く同じ考えを持っていると言う。「死ぬ間際、人間は飢餓状態の場合、エンドルフィンという脳内麻薬が出て気持ちの良い状態になっているのです。呼吸状態がおかしくなっている時は酸欠になりますが、あの酸欠状態の時は脳内モルヒネが出ているのです。人間が死んでいく時は、自然に放っておけば、夢うつつのまどろみの状態で気持ち良くこの世からあの世へ移行できるものなのです。人間は本来、このような力を持っていて、自然な最期は苦しいものではないんです」

だが現在、この“自然緩和力”が使われることはほとんどない。中村医師が言う。「病気ではない“死”に対して、医療が過度に介入するから、人間の本来持っている力が生かされてないのです。人間の持っている自然な力を無駄な医療が邪魔しているのです。医療の本来の役割とは、人間が持っている自然の力を最大限発揮させることなのです」

二人に一人ががんにかかり、三人に一人ががんで死ぬと言われている時代である。治療法は進化し、多種多様になっている。どの治療法を選ぶか悩む人も多いことだろう。だが、そんなときに、「何もしないで完全放置する」という選択肢もあるのではないだろうか。これだけの多くの人が、全く苦しむこともなく、安らかに亡くなっているという“事実”があるのだから。

ガン治療器(AWG電子照射機)が効果を上げた謎→遺伝子を持たない生命体がミトコンドリアに電子を供給する仕組み。

松浦優之博士の電子照射機は、数多くの奇跡的な治癒を引き起こしてきた。
松浦優之博士が医師法違反、薬事法違反に問われるきっかけを作った「余命一週間」のガン患者が一週間後には歩き出して治癒してしまった例を筆頭に、その後も5000人を越えるガン患者や難病患者たちがすっかり治癒してしまったのである。

松浦優之博士の「AWG治療」は、マイナスイオン電子波動を発生させる。

マイナスイオン電子の大きさは原子核の1兆分の1センチ(10-12 cm)の超微粒子で、これは自然界で最も小さな粒子。

松浦優之博士の「AWG治療器」のマイナスイオン電子がソマチッドのエサ?となっているのか?

そしてそのソマチッドは細胞内のミトコンドリアに電子を供給している。

ミトコンドリアは電子を使って、ATPの合成を行い、エナルギーを生産する。

ミトコンドリアの状態の悪化と癌の発生が関係していることは既に明らかになっている。



ミトコンドリアの大きさはミトコンドリア約1μm=1000ナノ
そして 
ソマチッドの大きさは0.5ナノ

このソマチッドは細胞に入り込みミトコンドリアを充電させるコンデンサーでもあるらしい。
http://www.teatejp.net/somatid.html


 ミトコンドリア(mitochondria)では、電子を内膜に伝達させて、水素イオン(H+:プロトン)を膜間スペース(膜間腔)に輸送し(電子伝達系)、生じるプロトン濃度勾配(電位差、pH差)を用いて、共役(注1)的にATPの合成が行われる(酸化的リン酸化)。ミトコンドリア内は、電位は-180mV、pHは、8。
 これら全過程は、呼吸鎖(respiratory chain)と呼ばれている。
http://hobab.fc2web.com/sub2-respiratory-chain.htm

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遺伝子を持たない生命体=ソマチッド

ヒトの生体内には100兆個ほどのソマチッドがある。

ソマチッドは免疫に深く関わっているとされている。

健康な人はソマチッドが個々に活発に動いている。
しかし
乳がんの患者の血液では、ソマチッドが殻を作り、シェルターを作って、動きが緩慢になる。

そのソマチッドはマイナスイオン、つまり電子をエサ?としている。
松浦優之博士の「AWG治療器」は特定の電子を供給している。
この特定の電子がソマチッドを活性化させるエサ?となっているのか?



医師を志していた弟を白血病で亡くした松浦は、実は千島学説の学徒でもあり、千島が亡くなるまでの十数年、千島喜久男の講演や研究会に顔を出しては「腸造血説」などに深い共感を表していた。
その後千島学説の「ウイルスやバクテリアの自然発生説」を裏付けるソマチッド理論がネサンによって発表されるや、自らも夢中になって顕微鏡でソマチッドを観察した。

そして、ヒトの生体内には100兆個ほどのソマチッドがあり、それは生体内の微小コンデンサーとして働いていて、ソマチッドが16個の触手を伸ばして絶えず電子を要求していることを確認した。

ソマチッドは人体内環境に異変が起こるとさまざまな形に変化していくが、松浦が開発した電子照射機を作用させると、全てのソマチッドが健康状態に戻ってしまう。

早い話、ソマチッドのエサはある特定の電子であり、電子がソマチッドを充電させることが分かってきたのである。



2500万年前の貝の化石をマイナスイオン水につけると、ソマチッドが自分からカルシウムのシェルターを破って出てくる。
ソマチッドはマイナスイオン、つまり電子が好きなのである。
乳がんの患者の血液では、ソマチッドが殻を作り、シェルターを作っている。
体の状態が悪くなると、ソマチッドは赤血球や血小板の中でシェルターを作る。
11032_20121104072335.jpg




ソマチッドは不死の生命体。
DNAを持たない生命体。
生命体が死ぬと逃げ出す。
2500万年前の北海道の地殻の変動で、突然化石とされた貝の中に、ソマチッドが閉じ込められた。
ソマチッドは貝殻を溶かし、カルシウムのシェルターを作って、2500万年生き伸びた。



ソマチット マイナスイオン 02
http://www.youtube.com/watch?v=X1NdlQfmyS0&feature=share&list=ULX1NdlQfmyS0


http://ikiikiikiyou.naganoblog.jp/e962213.html
2012年03月07日
日本でガン自然治癒技術の再現 社会的封殺も再現 松浦優之博士


松浦優之博士らが25年の歳月をかけた研究・開発により発明されたAWG治療器(任意波動発生器)
11033.jpg


以下ひろみさんの「3匹の子豚との日々」ブログより転載させていただきます。

松浦優之医学博士のAWG電子照射機

これは、ある一定の周波数の電子照射をすることで、人間が本来持っている免疫力をアップさせ、自然治癒を促す新しい医療の話です。稲田芳弘・陽子氏のHPから転載しました。

社会的封殺の運命をたどった先駆者たち(1)

ライフもネサンも独自に開発した顕微鏡を使って血液中の小体を克明に研究し、ネサンはソマチッドを正常化するカンファー製剤で効果を上げたが、一方ライフは、特定の周波数の電磁波を照射して効果を上げていた。これはいわばガン細胞に物質ではなく「情報」を与えるというものである。その効果はすでに述べた通り、その後フランスの医学者バンヴェニストの「モルモットの心臓実験」でも証明されることとなった。

パリのジョルジュ・ラコフスキー博士もまた、ガンに対する電磁波の効果を確認した。博士がさまざまな周波数を出すエミッターを開発し、それを使ってガンやさまざまな病気を治療したところ、そこに大きな効果が現れ出たのである。

しかしラコフスキー博士もライフやネサンと同じように「社会的封殺」の運命をたどった。フランスの食品医薬品局から「インチキ治療器具」の烙印を押され、効果のあるその器具が使用禁止にされてしまったのだ。

こうした事例は数限りなく列挙することができる。たしかに「インチキ治療器具」も多々あるにちがいなく、その犠牲者が大勢いるであろうことも十分に想像できるが、それにしても「画期的なガン治療」に対する異常なほどの監視の目が、現代医学や医療産業から厳しく向けられ続けている。

それも、電磁波や周波数等々の効果は、量子真空の世界に属するものだからだろう。だから、もしそれが広く社会に認知されたなら、古典物理学的な立場に立つ現代医学とその医療が根底から覆されてしまう。そうした危機感が働いているからこそ、ライフやネサンなどの研究成果が厳しくタブー視されてしまったのであろう。

 ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

ところで、日本にもライフと同じように画期的な研究成果を挙げた人がいた。かつて獣医として大活躍していた松浦優之医学博士がその人である。

今から35年前の1971年、世界最大級のバイオ・テクノロジー会社シーメックス・カナダ社に留学していた松浦は、哺乳動物のクローン技術を学ぶ過程で「流産の原因にウイルスやバクテリアが介在している」ことに気づいて研究を進めた結果、それをエレクトロン(10 -12ミクロン電子)を用いて物理的に殺滅できることを突き止めた。と同時に、知人たちからロイアル・レイモンド・ライフに関する話も聞き、ぜひライフの技術を再現してみたいと思うようになった。というのも、松浦は仲の良かった弟を白血病で亡くしたばかりだったし、息子も中皮腫で苦しんできたために、獣医としての研究よりも人間の病気治療技術を開発する方が重要と考えたからだった。白血病で亡くなった弟は、当時200倍という難関の千葉大学医学部に見事入学して医師を志したものの、結局その志を果たすことなく亡くなった。その弟の遺志を引き継ぐためにも、レイモンド・ライフの遺業をぜひ完成させたいと決意したのである。

ライフの偉業とは、独自に開発した顕微鏡を使って生体や血液の中に微小な有機体を発見したことと、「細菌は体の状態に応じて無害なものから致死性の病原菌に変化する。そしてその病原菌は特定の周波数の光で即座に殺すことができる」という画期的な発見だった。しかもライフはその効果をガン、結核、腸チフス、ハンセン病、口蹄病などで確認していた。

ちなみに1934年には16人のガン患者を100%完治させ、その成果が『ネーチャー』に掲載されたりもした。それらの資料により、ライフが60ヘルツの周波数を使ってガン細胞を殺滅する成果を上げたことは分かったものの、その程度の情報だけではどうしようもない。そこで松浦は、レイモンド・ライフの試みを、独自に最初からやってみようと思い立ったのである。

幸いにも松浦には海外に頼もしい研究仲間たちがいたし、獣医だったから顕微鏡などの研究設備もそろっており、たやすく家畜の精子を手に入れることもできた。そこで松浦らは、顕微鏡で精子を覗きながら丹念に1~10000ヘルツの周波数をかけていくという、実に根気の要る実験を繰り返し続けた。

その結果、精子などの生命体にどの周波数が有用であり、どの周波数が有害であるかが判明してきたため、さらに結核菌や大腸菌などを使って周波数と生命活動の関係を研究し続けた。そしてなんと25年にもわたる実験研究の果てに、10000種の周波数の中から69種類の、生命体に有用で画期的な周波数を特定することができたのであった。

精子や大腸菌などによる実験研究が終わったあと、松浦は続いて動物実験に着手した。しかしそれだけではまだ完成とは言えず、どうしても人間に対する効果を確かめなければならなかった。そこで自分自身で試したのはいうまでもなく、その技術に感心を持つ周辺の人々にも参加してもらおうと、松浦は浜松で「健康クラブ」を結成して、約3000人の協力者にその「電子照射機=AWG(Arbitray Waveform Generator)」を使ってもらったのである。

そんなある日、起き上がることも話すこともできず、意識も朦朧状態の「余命1週間」と宣告されたガン患者がやってきた。ところがその人が1週間後にはなんと立上がって歩き出し、まもなく稼業である米屋の仕事に復帰して、重い米袋をかついで働きだした。しかも「お陰で末期ガンが治った」と周囲の人々に言いふらしてしまったものだから、噂が噂を呼び、その翌日からはガン患者が次々と健康クラブに集まってきた。

敬虔なクリスチャンである松浦は、病気で苦しんで訪ねてくる人々に無料で電子照射機を提供していたから、健康クラブには日増しに訪問者が増え続け、一日に380名ものガン患者がやってくる日もあれば、外国から松浦を訪ねてやってくるガン患者まで出てくるようになった。

そんななか、患者の一人がそこにいたみんなに提案した。「電子照射機を使えば電気代もかかるし、私たちをお世話してくれるパートさんに十数人も来てもらっているのだから、せめて実費に相当する3000円くらいはカンパしようじゃないか」と。

それ以来、部屋の一角に穴を開けたダンボール箱が置かれるようになり、それぞれが自発的にカンパするのに任せるようになった。そして気がついたら、松浦が開発した電子照射機は、なんと5000人以上ものガン患者や難病患者たちを救っていたのである。

しかし、しばらくして問題が起こった。電子照射機=AWGに自信を得た松浦は、厚生労働省に医療治療器の申請をし、世界138カ国に特許申請をしたそのあとで、医師法違反と薬事法違反の容疑をかけられてしまったのである。

稲田芳弘
http://www.creative.co.jp/
転載元

社会的封殺の運命をたどった先駆者たち(2)

1998年9月のある日、松浦の健康クラブに突然30人ほどの警官が押し入ってきて、松浦を夜遅くまで問い詰めたあげく、そこにあった300台近くの電子照射機と大量の実験データや資料などを10トントラック丸々2台分押収していった。その内250台の電子照射機は、チェルノブイリ原発事故の影響で白血病に苦しんでいるカザフスタンの子供たちにプレゼントするために、松浦が少しずつ作り溜めて用意していたものだった。

また資料や機械類の押収に加えて松浦自身も連行され、2ヶ月近くの取り調べを受けた。しかも押収された300台近くの電子照射機と大量の資料はいつのまにか焼却廃棄処分にされてしまい、再び松浦の元に戻ってくることはなかった。かつてレイモンド・ライフに起こったことが、そのまま松浦にも起こったのである。

その結果、長い歳月を費やして開発した電子照射機は、普及の寸前でブレーキがかけられてしまったが、その後富山薬科大学や韓国のハンソ大学などで追試が行われてその有効性が立証され、やがて厚生労働省認可の医療機器として承認された。

さらに世界138カ国への特許申請も済み、すでにアメリカ、ロシア、カナダ、中国、EU、メキシコ、韓国、香港など
12ヶ国で特許を取得した。また松浦は韓国のハンソ大学から国際名誉教授第1号の称号を与えられ、ますます研究に磨きをかけている。しかし日本のガン医療は相変わらず古典物理学的な世界で「切る・殺す・焼く」に終始しており、最先端の量子理論とソマチッド理論に基づいて開発した松浦の治癒技術を、なおも封印し続けようとしているかのようだ。

医師を志していた弟を白血病で亡くした松浦は、実は千島学説の学徒でもあり、千島が亡くなるまでの十数年、千島喜久男の講演や研究会に顔を出しては「腸造血説」などに深い共感を表していた。
その後千島学説の「ウイルスやバクテリアの自然発生説」を裏付けるソマチッド理論がネサンによって発表されるや、自らも夢中になって顕微鏡でソマチッドを観察した。そして、ヒトの生体内には100兆個ほどのソマチッドがあり、それは生体内の微小コンデンサーとして働いていて、ソマチッドが16個の触手を伸ばして絶えず電子を要求していることを確認した。

ソマチッドは人体内環境に異変が起こるとさまざまな形に変化していくが、松浦が開発した電子照射機を作用させると、全てのソマチッドが健康状態に戻ってしまう。早い話、ソマチッドのエサはある特定の電子であり、電子がソマチッドを充電させることが分かってきたのである。

実際、松浦の電子照射機は、数多くの奇跡的な治癒を引き起こしてきた。すでに紹介したように、松浦が医師法違反、薬事法違反に問われるきっかけを作った「余命一週間」のガン患者が一週間後には歩き出して治癒してしまった例を筆頭に、その後も5000人を越えるガン患者や難病患者たちがすっかり治癒してしまったのである。

ロサンゼルスに住む国際弁護士ヘンリー・コウダさんもその一人で、2001年10月に末期の大腸ガンで「余命1ヶ月」と診断されたコウダさんは、アメリカの4つの有名病院を回ったがすべての病院で希望なしと診断され、日本にもやってきて国立がんセンター初め4つの信頼できる病院を訪ねたが、診断結果はみな同じだった。

ところがひょんなある出会いから松浦を知り、浜松に出向いて電子照射機を使ってみたところ、希望が出てきたこともあって電子照射機を借りてアメリカに帰った。すると約2ヶ月後の2002年4月にはガンがほとんど消滅し、9月の検査ではアメリカの病院から「完治」と診断されたのである。

なぜガンが消えてしまったのか。その理由を松浦は、次のように説明する。

ガンなどの病的細胞組織の表面はプラスイオン帯電物質ですから、そこにある特定の周波数を持つマイナスイオン電子波動を照射しますと、ガン細胞が破壊的な共振作用を引き起こして自滅してしまいます。マイナスイオン電子の大きさは原子核の1兆分の1センチ(10-12 cm)の超微粒子で、これは自然界で最も小さな粒子です。マイナスイオン電子波動によって病的細胞が次々と破壊されていきますと、免疫力が一気に高くなり、そこから自然治癒力が働き出していきます。ですから病的な症状を治癒してくれるのはあくまでもその人自身が本来持つ自然治癒力であって、電子照射機はその治癒力の威力が発揮されるための条件を作りだすにすぎません。その意味で、これは「治療器」というよりは、人体を「自然治癒」へと導くための、最有力な装置と言ったほうがいいかもしれませんね。

人間の体は本来NK細胞などの免疫力によってガンの発症を防止しているが、免疫力が弱まるとき、そこからガンが急成長していく。そのため現代医学では抗ガン剤や放射線を使ってガン細胞を殺そうとするが、それは同時に人体の免疫力も弱めてしまう。

これに対して松浦の「AWG治療」は、マイナスイオン電子波動をガン細胞に作用させてガン細胞を自滅・自壊へと誘い、さらに免疫力を高めてガンと免疫力の力関係を一気に逆転させてしまう。そこから先はその患者が持つ自然治癒力の領域の出来事であり、手術をせず、抗ガン剤も放射線も全く使わずに、ガンを克服する全く新しい治癒への道を切り開いたのである。

こうして自然治癒力を驚異的に高めてくれる「人に優しい病気治癒」の器機「AWG」が完成した。それは「無痛・即効性・累積効果」があり「副作用なし・原因直接療法・耐性菌ができない・生体内ウィルスを殺滅・体内免疫を急激に上昇させる」という画期的なものだった。

松浦が開発したこの「AWG」はその先達、ロイアル・レイモンド・ライフとガストン・ネサンの理論と技術を引き継ぎながらも、それらよりはるかに進化したものだった。そしてこの技術は量子の科学に立つものである。

ドイツの数学者ウォルター・シェンプは量子ホログラフィーを利用して進化型MRI(核磁気共振映像技術)を開発して医療分野で大きな貢献を成し遂げたが、松浦博士も量子論に基づいて「AWG」を開発し、21世紀医療に重要な貢献をする道を踏み出したのである。

松浦博士のAWGは、ある意味で千島学説の「気血動の調和」を、即座に一気にもたらしてくれるものとも言えそうだ。というのも、マイナスイオン電子波動の照射を受けると、まず気分がリラックスし、血液循環が良くなって、血液やリンパ液中の病的なものが浄化される。そしてそこから自然治癒力が働き出していくからである。

そしてそれはいま、すでに50名以上の医師たちによって臨床で使われており、特に海外では非常に大きな反響を呼んでいる。ただ日本国内では、かつてのライフやネサンと同じようにいまなお「封殺的な扱い」を受けているために、なかなかポピュラーなものとはなりえない。

しかしぼくは幸いにも、本書の執筆を通じて松浦博士に行き着くことができた。ソマチッド理論の情報をリサーチしていたときに妻がインターネットでAWGのことを知り、そこからマスメディアが封印してしまったこの量子論的治療器(AWG)を知ることができたのである。そしてぼく自身、自分のソマチッドを暗視野顕微鏡で観察することができたのである。

一万倍の暗視野顕微鏡で血液を観察すると、ソマチッドの動きはいうまでもなく、そこに神秘なくらいの生命のドラマを見ることができる。しかも一定の周波数をかけたその後で再び顕微鏡を覗けば、その「ビフォーアフターの変化」が自分の目で明らかに観察できるのだ。

稲田 芳弘
http://www.creative.co.jp/
転載元


以前、ライフ博士について知ったとき、これはもっと沢山の人に知ってもらいたいと思っていたのに、記事にするのを忘れていたのですが、ふるやの森さんの記事を読んで思い出日本にも同じような人がいらっしゃると知り、早速転載しました。
ふるやの森さんありがとうございました

「子宮頸がん」のほとんどはガンではなく、「上皮細胞の慢性変化」。

本物の「子宮頸がん」とウイルスによる「できもの」(上皮細胞の慢性変化)の診断の違いで、患者の生命、人生が決まる。

「子宮頸がん」のほとんどが、ヒトパピローマウイルス等のウイルスによる「できもの」(上皮細胞の慢性変化)の可能性が高い。

注目すべきは「上皮内がん」のほとんどから、性行為で感染するヒトパピローマウイルスの痕跡が見つかるという事実です。
一般には、この事実をもってウイルスが「上皮内がん」の原因になっていると考えられていますが、むしろウィルス感染を原因とした「上皮細胞の慢性変化」と考えるべきではないか。


「子宮頸がん」は
① 本物の「子宮頸がん」と
② ウイルスによる「上皮細胞の慢性変化」がある。

病理診断で、癌と慢性変化を区別しがたいことがある。
病理医でもどちらか判断が難しい。
上皮細胞がウイルス感染ににもとづく慢性変化によって癌のような顔つきになっていても、全然不思議ではない。

病理診断そのものの問題点。
近藤誠 最新刊「あなたの癌はがんもどき」32ページ~40ページ
あいまいながんの定義。
あいまいな病理医の診断基準。
病理診断が義務化されていない現実



子宮頸がんが増えているというニュースは伝えるが、
誰も(近藤誠氏を除く)、ヒトパピローマウイルス等のウイルスによる「できもの」(上皮細胞の慢性変化)が増えているにしか過ぎないということを指摘しない。









近藤誠 最新刊「あなたの癌はがんもどき」梧桐書院より

子宮頸がん(119P)

米国で子宮頸部のゼロ期のがん67人の経過観察(無治療で放置観察)をした報告があります。

結果、がん細胞が上皮外に浸潤したのが4人、ゼロ期が一期になったわけです。

別の5人は浸潤した可能性があるものの、判定が難しく、浸潤したとは断定されていない。

残りの58人中、「上皮内がん」に留まったのが41人。

17人はがんが自然消滅しました。


私が経過を見た子宮頸がんの患者はゼロ期から一B期まで十数人を数えます。

分かったことがいくつかあり、ゼロ期と思われる数人は、不変であるか、消滅しました。

ゼロ期か一A期か、判然としない人も、不変であるか、消滅した。

問題は一B期で、がんが増大するケース、そのまま不変であるケース、消失するケースに別れました。



「上皮内がん」の本質を簡単にまとめました。

「上皮内がん」の発生頻度を見ると、欧米でも日本でも、性的活動が活発な30代、40代が高く、60代、70代になると頻度ががくんと落ちます。

ところが浸潤がんや頸がんによる死亡率は、高齢になるほど高くなる。

「上皮内がん」が浸潤がんの前身であるなら、高齢になるほど「上皮内がん」の頻度が高くなるはずですから頻度が下がるというのは矛盾します。


注目すべきは「上皮内がん」のほとんどから、性行為で感染するヒトパピローマウイルスの痕跡が見つかるという事実です。

一般には、この事実をもってウイルスが「上皮内がん」の原因になっていると考えられていますが、むしろウィルス感染を原因とした「上皮細胞の慢性変化」と考えるべきではないか。

じつは病理診断で、癌と慢性変化を区別しがたいことがあるのです。

その一例として、ある種の胃の悪性リンパ腫があります。

以前は胃摘出が治療法でしたが、最近ではピロリ菌の除去療法を行います。

そして除菌が成功すると、多くの悪性リンパ腫が完全に消えてしまうので、消えたものは癌というより、慢性変化ないし慢性炎症です。
( 従って、癌を意味する「悪性リンパ腫」を廃し、良性を意味する病名に変更すべきである。しかし病理医は今でも「悪性リンパ腫」と診断している。)

上皮細胞がウイルス感染ににもとづく慢性変化によって癌のような顔つきになっていても、全然不思議ではない。

むしろ放置した場合、大部分が浸潤しないで消えてしまうことや、性的に不活発な年代になると「上皮内がん」の頻度が下がることをきれいに説明できます。

ただし、「上皮内がん」のすべてがウイルスによる慢性変化ではなく、ごく一部に本物の癌が混じっているのでしょう。


「上皮内がん」とは
上皮内がんとは、がん細胞であるものの、まわりの組織に広がる能力がなく、上皮内で細胞分裂を繰り返している状態のものを指します。そのため、切除手術を行えば理論的には転移の可能性が無く、数日から1週間ほどの入院で治療が可能です。がんが悪性新生物と呼ばれるのに対して、上皮内がんは上皮内新生物と呼ばれ、英語名でもがんを表す「cancer」ではなく、「carcinoma in situ(=CIS)」という名前がついています。

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